劉氏と三国志に関するshiromitsuのブックマーク (58)

  • 劉氏(りゅうし)J ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の娘

    【姓名】 劉氏(りゅうし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の娘 父は劉備だが、母は不詳。 劉禅(りゅうぜん)・劉永(りゅうえい)・劉理(りゅうり)は、みな異母弟だと思われる。ほかにひとりは姉妹がいた。 『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・曹仁伝〈そうじんでん〉)に付された「曹純伝(そうじゅんでん)」によると、劉氏は、(208年に)曹操(そうそう)が荊州(けいしゅう)征伐に赴いた際、長坂(ちょうはん)で曹純に、もうひとりの姉妹とともに捕らえられたという。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 長坂で曹純に捕らえられた後、劉氏姉妹はどう

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    蜀(しょく)の劉備(りゅうび)を中心とした一族に関する個別記事
  • 劉氏(りゅうし)I ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の娘

    【姓名】 劉氏(りゅうし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の娘 父は劉備だが、母は不詳。 劉禅(りゅうぜん)・劉永(りゅうえい)・劉理(りゅうり)は、みな異母弟だと思われる。ほかにひとりは姉妹がいた。 『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・曹仁伝〈そうじんでん〉)に付された「曹純伝(そうじゅんでん)」によると、劉氏は、(208年に)曹操(そうそう)が荊州(けいしゅう)征伐に赴いた際、長坂(ちょうはん)で曹純に、もうひとりの姉妹とともに捕らえられたという。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 長坂で曹純に捕らえられた後、劉氏姉妹はどう

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  • 劉封(りゅうほう)

    【姓名】 劉封(りゅうほう) 【あざな】 ? 【原籍】 長沙郡(ちょうさぐん)? 【生没】 ?~220年(?歳) 【吉川】 第126話で初登場。 【演義】 第036回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・劉封伝』あり。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の養子 父は寇氏(こうし)だが、母は不詳。 養子ながら、劉禅(りゅうぜん)・劉永(りゅうえい)・劉理(りゅうり)は異母弟になる。息子の劉林(りゅうりん)は跡継ぎ。 劉封はもともと羅侯(らこう)の寇氏の息子で、長沙の劉氏(りゅうし)の甥だった。劉備が荊州(けいしゅう)にやってきたとき、まだ跡継ぎがいなかったため養子として迎えられたという。 211年に劉備が蜀へ入り、翌212年に葭萌(かぼう)から引き返して劉璋(りゅうしょう)を攻めた際、20余歳だった劉封も兵をひきい、214年には諸葛亮(しょかつりょう)や張飛(ちょうひ)らとともに

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  • 劉理(りゅうり) ※あざなは奉孝(ほうこう)、蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の安平悼王(あんぺいとうおう)

    【姓名】 劉理(りゅうり) 【あざな】 奉孝(ほうこう) 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~244年(?歳) 【吉川】 第239話で初登場。 【演義】 第077回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・劉理伝』あり。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の息子で劉禅(りゅうぜん)の異母弟、安平悼王(あんぺいとうおう) 父は劉備だが、母は不詳。異母兄に劉禅と劉永(りゅうえい)がおり、ほかに異母姉がふたりはいた。は馬超(ばちょう)の娘。 息子の劉胤(りゅういん)は跡継ぎ。劉輯(りゅうしゅう)も同じく息子。 劉理は、221年6月に梁王(りょうおう)に封ぜられた。223年4月に劉備が崩ずると、劉禅が帝位を継ぎ、230年には安平王に移封された。 244年4月に薨去(こうきょ)。悼王と諡(おくりな)され、息子の劉胤が跡を継いだ。 管理人「かぶらがわ」より 伝によると

    劉理(りゅうり) ※あざなは奉孝(ほうこう)、蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の安平悼王(あんぺいとうおう)
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  • 劉永(りゅうえい) ※あざなは公寿(こうじゅ)

    【姓名】 劉永(りゅうえい) 【あざな】 公寿(こうじゅ) 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 第239話で初登場。 【演義】 第077回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・劉永伝』あり。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の息子、劉禅(りゅうぜん)の異母弟 父は劉備だが、母は不詳。異母兄に劉禅、異母弟に劉理(りゅうり)がおり、ほかに異母姉がふたりはいた。また、劉玄(りゅうげん)は孫にあたるともいう。 劉永は、221年6月に魯王(ろおう)に封ぜられた。223年4月に劉備が崩ずると、劉禅が帝位を継ぎ、230年には甘陵王(かんりょうおう)に移封された。 その後、263年に劉禅が魏(ぎ)の曹奐(そうかん)に降伏すると、翌264年には劉禅に付き従って洛陽(らくよう)へ移り、奉車都尉(ほうしゃとい)に任ぜられたうえ、郷侯(きょうこう)に封ぜ

    劉永(りゅうえい) ※あざなは公寿(こうじゅ)
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  • 李氏(りし)D ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、李昭儀(りしょうぎ)

    【姓名】 李氏(りし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)の側室、李昭儀(りしょうぎ) 父母ともに不詳。詳しい事績も不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・張皇后伝〈ちょうこうごうでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』によると、「(263年に)蜀が滅亡した後、魏(ぎ)が、蜀の宮女をのいない諸将に与えたところ、李氏は『二重三重の屈辱を受けることには耐えられない』と言って自殺した」ということです。

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  • 王氏(おうし)G ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、王貴人(おうきじん)

    【姓名】 王氏(おうし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)の側室、王貴人(おうきじん) 父母ともに不詳。劉禅との間に劉璿(りゅうせん)を儲けた。 また『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・劉璿伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く孫盛(そんせい)の『蜀世譜(しょくせいふ)』によると、劉璿の弟として名が挙げられている6人、劉瑶(りゅうよう)・劉琮(りゅうそう)・劉瓚(りゅうさん)・劉諶(りゅうしん)・劉恂(りゅうじゅん)・劉虔(りゅうけん。劉璩〈りゅうきょ〉)も、王氏が生んだ子の可能性がある。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 上で挙げた『三国志』(蜀書

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  • 張氏(ちょうし)I ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、張皇后(ちょうこうごう)

    【姓名】 張氏(ちょうし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 涿郡(たくぐん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・張皇后伝(ちょうこうごうでん)』あり。 蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)の正室、張皇后 父は張飛(ちょうひ)、母はおそらく夏侯霸(かこうは)の従妹(夏侯氏か?)。張苞(ちょうほう)と張紹(ちょうしょう)は兄弟で、姉の張氏も劉禅の皇后だった。 237年、宮中に入って貴人(きじん。皇妃の位のひとつ)となる。同年6月には、劉禅の皇后だった姉の張氏が崩御(ほうぎょ)した。 翌238年1月、劉禅の皇后に立てられる。 263年11月、劉禅が魏(ぎ)曹奐(そうかん)に降ったため、翌264年には劉禅に付き従って洛陽(らくよう)へ移る。その後の消息は不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいで

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  • 張氏(ちょうし)H ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、敬哀皇后(けいあいこうごう)

    【姓名】 張氏(ちょうし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 涿郡(たくぐん) 【生没】 ?~237年(?歳) 【吉川】 第259話で初登場。 【演義】 第085回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・敬哀皇后伝(けいあいこうごうでん)』あり。 蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)のもと正室、敬哀皇后 父は張飛(ちょうひ)、母はおそらく夏侯霸(かこうは)の従妹(夏侯氏か?)。張苞(ちょうほう)と張紹(ちょうしょう)は兄弟。 ほかに妹の張氏もおり、姉である彼女が崩じた後、続いて妹が、新たに劉禅の皇后として立てられた。 221年、皇太子の劉禅の妃(きさき)となって宮中に上がる。 223年、劉備(りゅうび)が崩じ、帝位を継いだ劉禅の皇后に立てられる。 その後、237年に崩御(ほうぎょ)し、南陵(なんりょう)に葬られた。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

    張氏(ちょうし)H ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、敬哀皇后(けいあいこうごう)
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  • 麋氏(びし) ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の妻

    当陽(とうよう)で曹操軍(そうそうぐん)に追いつかれてしまった劉備(りゅうび)。趙雲(ちょううん)は乱戦の中から、淳于導(じゅんうどう)に捕らえられていた糜竺(びじく。麋竺)や劉備の甘夫人(かんふじん)を救い出す。 さらに、ちょうど行き会っ... 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・趙雲伝)には、趙雲が当陽県の長坂(ちょうはん)で、同じく劉備の夫人(正室?)の甘氏(かんし)と、まだ幼子だった劉禅を救ったことが書かれていますが、麋氏への言及はありませんでした。 ただ、その後は麋氏が登場しないので、見せ場のひとつになっている吉川『三国志』や『三国志演義』での描かれ方は、うまくできているとも感じます。 吉川『三国志』では、劉備が若いころに出会った白芙蓉(はくふよう)という佳人が、この糜氏(麋氏)だということになっているのですが、設定に混乱が見られます。 まず第3話で、白芙蓉(姓は鴻〈こう〉、名は芙蓉

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  • 孫氏(そんし)D ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の妻

    【姓名】 孫氏(そんし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 第033話で初登場。 【演義】 第007回で初登場。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)のもと正室 父は孫堅(そんけん)だが、母は不詳。 孫策(そんさく)・孫権(そんけん)・孫翊(そんよく)・孫匡(そんきょう)・孫朗(そんろう。孫仁〈そんじん〉)は兄弟。 209年、孫権の意向を受けて劉備に嫁ぐ。 214年、劉備が成都(せいと)を攻略した後、孫権のもとに呼び戻される。その際、まだ幼い劉禅(りゅうぜん)も連れ帰ろうとしたが、趙雲(ちょううん)と張飛(ちょうひ)に阻止された。その後の孫氏の動静は不明。 管理人「かぶらがわ」より 孫氏の母は、おそらく孫堅の正室だった呉氏(ごし。武烈皇后〈ぶれつこうごう〉)なのだと思いますが、イマイチはっきりしませんで

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  • 呉氏(ごし)A ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の妻、穆皇后(ぼくこうごう)

    【姓名】 呉氏(ごし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 陳留郡(ちんりゅうぐん) 【生没】 ?~245年(?歳) 【吉川】 第239話で初登場。 【演義】 第077回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・穆皇后伝(ぼくこうごうでん)』あり。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の正室、穆皇后 父母ともに不詳。呉壱(ごいつ。呉懿〈ごい〉)は兄。初めは劉瑁(りゅうぼう)に嫁いだ。 呉氏は呉壱ともども、幼いころに孤児となる。父が旧知だったことから一家を挙げて劉焉(りゅうえん)に従い、蜀へ入った。 その後、呉氏は劉焉の息子の劉瑁に嫁いだものの、やがて劉瑁は亡くなってしまう。 214年に劉備が益州(えきしゅう)を平定すると、正室の孫氏(そんし。孫権〈そんけん〉の妹)は孫権のもとへ帰った。そこで群臣は呉氏を娶(めと)るよう勧め、劉備もこの意見を容れた。 219年、劉備が漢中王(かんちゅうおう)

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  • 甘氏(かんし) ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉備(りゅうび)の妻、昭烈皇后(しょうれつこうごう)

    【姓名】 甘氏(かんし) ※名とあざなは不詳 【原籍】 沛郡(はいぐん)沛県(はいけん) 【生没】 ?~208か209年(?歳) 【吉川】 第053話で初登場。 【演義】 第014回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・甘皇后伝(かんこうごうでん)』あり。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の側室から正室か? 昭烈皇后(しょうれつこうごう) 父母ともに不詳。劉備との間に劉禅(りゅうぜん)を儲けた。 194年、甘氏は、劉備が豫州刺史(よしゅうしし)として小沛(しょうはい)に住んでいたとき、側室に迎えられた。 201年、劉備に付き従って荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)を頼る。その後、207年に劉禅が生まれた。 208年、劉表が死去。跡を継いだ劉琮(りゅうそう)が曹操(そうそう)に降伏したため、甘氏は劉備とともに樊城(はんじょう)から逃げた。 しかし、劉備が当陽県(とうようけ

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  • 劉徳然(りゅうとくぜん)

    【姓名】 劉徳然(りゅうとくぜん) ※徳然はあざなかも? 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の一族 父は劉元起(りゅうげんき)だが、母は不詳。詳しい事績も不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)によると、「劉備が15歳で遊学した際、劉徳然も一緒に盧植(ろしょく)の下で学んだ」ということです。 ところが、その後の劉徳然の動静はまったくわかりません。劉備は黄巾(こうきん)の乱の時に仲間を集めたそうですが、彼は加わらなかったのでしょうか? 謎ですね。

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  • 劉元起(りゅうげんき)

    【姓名】 劉元起(りゅうげんき) ※元起はあざなかも? 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第001回で初登場。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の一族 父母ともに不詳。劉徳然(りゅうとくぜん)は息子。詳しい事績は不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)によると、「劉備が15歳で一族の劉徳然や遼西(りょうせい)の公孫瓚(こうそんさん)とともに、盧植(ろしょく)の下で学ぶことになった際、いつも劉元起が劉備に学資を援助し、息子と同じ扱いをしていた」ということです。 劉元起はから不満を言われたそうですが、「同族である劉備の才能を高く評価していたため取り合わなかった」とも。 劉備は黄巾(こうきん)の乱の時に、仲間を集

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  • 劉子敬(りゅうしけい)

    【姓名】 劉子敬(りゅうしけい) ※子敬はあざなかも? 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の叔父 父母ともに不詳。詳しい事績も不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)によると、「まだ劉備が幼かったころ、家にあった桑の大樹の下で一族の子どもたちと遊びながら、『いずれきっと、こんな蓋車(がいしゃ。天子〈てんし〉の車)に乗ってやるんだ』と言っていた」のだとか。 「桑の大樹は高さが5丈余りもあり、遠くから車の蓋(ほろ)のように見えた」そうで、「これを聞いた叔父の劉子敬が劉備に、『滅多なことを言うものではない。わが一門が滅ぶことになるぞ』と注意した」のだと。 また『三国志』(

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  • 劉敬(りゅうけい)

    【姓名】 劉敬(りゅうけい) 【あざな】 ? 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の叔父 父母ともに不詳。詳しい事績も不明。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・劉封伝〈りゅうほうでん〉)によると、「孟達(もうたつ)は、もとのあざなを子敬(しけい)といったが、劉備の叔父である劉敬の名を避けて子度(したく)と改めた」ということです。 また『三国志』(蜀書・先主伝〈せんしゅでん〉)には、同じく劉備の叔父として劉子敬という人物も出てきます。両人とも事績がわからないのではっきりしませんが、どうやら別人のようです。

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  • 劉弘(りゅうこう)C ※劉備(りゅうび)の父

    蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の父 父は劉雄(りゅうゆう)だが、母は不詳。息子の劉備が蜀を建国した。 劉弘は州郡に仕えていたが、まだ劉備が幼いうちに亡くなったという。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

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  • 劉雄(りゅうゆう)

    【姓名】 劉雄(りゅうゆう) 【あざな】 ? 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 第002話で初登場。 【演義】 第001回で初登場。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の祖父 父母ともに不詳。劉弘(りゅうこう)は息子で、劉備は孫にあたる。 劉雄は孝廉(こうれん)に推挙され、後に東郡(とうぐん)の范県令(はんけんれい)まで昇った。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。 『三国志演義』(第20回)では、劉恵(りゅうけい)の息子ということになっていましたが、そのあたりもはっきりしません。

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  • 劉復(りゅうふく)

    【姓名】 劉復(りゅうふく) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の先祖にあたるという臨邑侯(りんゆうこう) 『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『典略(てんりゃく)』によると、「劉備は元来、この臨邑侯の分かれである」という。 管理人「かぶらがわ」より 登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

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