劉氏と三国志に関するshiromitsuのブックマーク (58)

  • 劉恵(りゅうけい)

    【姓名】 劉恵(りゅうけい) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉不疑(りゅうふぎ)の息子、済川侯(せいせんこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の先祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(り

    劉恵(りゅうけい)
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    shiromitsu 2020/05/19
    蜀(しょく)の劉備(りゅうび)を中心とした一族に関する個別記事
  • 劉不疑(りゅうふぎ)

    【姓名】 劉不疑(りゅうふぎ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉達(りゅうたつ)の息子、豊霊侯(ほうれいこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の先祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(り

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  • 劉達(りゅうたつ)A ※劉備(りゅうび)の遠祖

    【姓名】 劉達(りゅうたつ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉必(りゅうひつ)の息子、潁川侯(えいせんこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の先祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅ

    劉達(りゅうたつ)A ※劉備(りゅうび)の遠祖
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  • 劉必(りゅうひつ)

    【姓名】 劉必(りゅうひつ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉誼(りゅうぎ)の息子、原沢侯(げんたくこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の先祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅう

    劉必(りゅうひつ)
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  • 劉誼(りゅうぎ)

    【姓名】 劉誼(りゅうぎ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉舒(りゅうじょ)の息子、祁陽侯(きようこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の先祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅうれ

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  • 劉舒(りゅうじょ)

    【姓名】 劉舒(りゅうじょ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉憲(りゅうけん)の息子、祖邑侯(そゆうこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の遠祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅう

    劉舒(りゅうじょ)
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  • 劉憲(りゅうけん)

    【姓名】 劉憲(りゅうけん) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉哀(りゅうあい)の息子、膠水侯(こうすいこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の遠祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅ

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  • 劉哀(りゅうあい)

    【姓名】 劉哀(りゅうあい) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉建(りゅうけん)の息子、広陵侯(こうりょうこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の遠祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(り

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  • 劉建(りゅうけん)

    【姓名】 劉建(りゅうけん) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第020回で初登場。 【正史】 登場せず。 創作された人物か? 劉英(りゅうえい)の息子、安国侯(あんこくこう) 『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の遠祖として名が挙げられるひとり。 管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』(第77話)では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅ

    劉建(りゅうけん)
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  • 劉英(りゅうえい)A ※劉備(りゅうび)の遠祖

    管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋-劉英までを挙げた後、続きを省略し、劉雄(りゅうゆう)-劉弘(りゅうこう)-劉備とつないでいました。 『三国志演義』では劉英の後も省略せず、劉英-劉建(りゅうけん)-劉哀(りゅうあい)-劉憲(りゅうけん)-劉舒(りゅうじょ)-劉誼(りゅうぎ)-劉必(りゅうひつ)-劉達(りゅうたつ)-劉不疑(りゅうふぎ)-劉恵(りゅうけい)-劉雄-劉

    劉英(りゅうえい)A ※劉備(りゅうび)の遠祖
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  • 劉恋(りゅうれん)

    管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄-劉恋-劉英(りゅうえい)までを挙げた後、続きを省略し、劉雄(りゅうゆう)-劉弘(りゅうこう)-劉備とつないでいました。 『三国志演義』では劉英の後も省略せず、劉英-劉建(りゅうけん)-劉哀(りゅうあい)-劉憲(りゅうけん)-劉舒(りゅうじょ)-劉誼(りゅうぎ)-劉必(りゅうひつ)-劉達(りゅうたつ)-劉不疑(りゅうふぎ)-劉恵(りゅうけい)-劉雄-劉

    劉恋(りゅうれん)
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  • 劉禄(りゅうろく)

    管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂-劉禄-劉恋(りゅうれん)-劉英(りゅうえい)までを挙げた後、続きを省略し、劉雄(りゅうゆう)-劉弘(りゅうこう)-劉備とつないでいました。 『三国志演義』では劉英の後も省略せず、劉英-劉建(りゅうけん)-劉哀(りゅうあい)-劉憲(りゅうけん)-劉舒(りゅうじょ)-劉誼(りゅうぎ)-劉必(りゅうひつ)-劉達(りゅうたつ)-劉不疑(りゅうふぎ)-劉恵(りゅうけい)-劉雄-劉

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  • 劉昂(りゅうこう)

    管理人「かぶらがわ」より 正史『三国志』には見えない人物です。 劉貞までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。 吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。 吉川『三国志』では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂-劉禄(りゅうろく)-劉恋(りゅうれん)-劉英(りゅうえい)までを挙げた後、続きを省略し、劉雄(りゅうゆう)-劉弘(りゅうこう)-劉備とつないでいました。 『三国志演義』では劉英の後も省略せず、劉英-劉建(りゅうけん)-劉哀(りゅうあい)-劉憲(りゅうけん)-劉舒(りゅうじょ)-劉誼(りゅうぎ)-劉必(りゅうひつ)-劉達(りゅうたつ)-劉不疑(りゅうふぎ)-劉恵(りゅうけい)-劉雄-劉

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  • 劉貞(りゅうてい)

    【姓名】 劉貞(りゅうてい) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~?年(?歳) 【吉川】 第077話で初登場。 【演義】 第001回で初登場。 【正史】 登場人物。 劉勝(りゅうしょう)の息子、陸成侯(りくせいこう) 父は劉勝だが、母は不詳。 劉貞は、前127年に陸成侯に封ぜられたが、前112年に侯位を失った。 管理人「かぶらがわ」より 上で挙げた記事は『正史 三国志5』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま学芸文庫)の訳者注を参考にしたものです。 別に参考にした『漢書2』(小竹武夫〈おだけ・たけお〉訳 ちくま学芸文庫)では、「王子侯表(おうじこうひょう)」に省略された部分があったため、劉貞が何年に侯に封ぜられたのかまではわかりませんでした。 また『漢書2』には、陸成侯ではなく陸城侯(りくじょうこう)とあったのですが、井波先生が注釈されていたように、『漢書』(地理志〈ちりし〉)には

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  • 劉勝(りゅうしょう) ※漢(かん)の中山靖王(ちゅうざんせいおう)

    【姓名】 劉勝(りゅうしょう) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~前113年(?歳) 【吉川】 第005話で初登場。 【演義】 第001回で初登場。 【正史】 登場人物。 前漢(ぜんかん)の景帝(けいてい)の息子、中山靖王(ちゅうざんせいおう) 父は景帝、母は賈氏(かし。賈夫人〈かふじん〉)。同母兄に劉彭祖(りゅうほうそ。趙敬粛王〈ちょうけいしゅくおう〉)がいる。 劉勝は、跡継ぎの劉昌(りゅうしょう)をはじめとして120余人もの子を儲けた。前154年に中山王に封ぜられ、前113年に薨去(こうきょ)。息子の劉昌が跡を継いだ。 管理人「かぶらがわ」より 上で挙げた記事は『漢書(かんじょ)』によるもの。 『漢書』(景十三王伝〈けいじゅうさんおうでん〉第二十三)によると、「劉勝は酒好きかつ女好きで、いつも劉彭祖と悪口を言い合っていた」ということです。ひどい書かれ方ですけど、当に素行の悪

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  • 劉禅(りゅうぜん) ※あざなは公嗣(こうし)、晋(しん)の安楽思公(あんらくしこう)

    【姓名】 劉禅(りゅうぜん) 【あざな】 公嗣(こうし) 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 207~271年(65歳) 【吉川】 第122話で初登場。 【演義】 第034回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・後主伝(こうしゅでん)』あり。 蜀(しょく)の第2代皇帝 父は劉備(りゅうび)、母は甘氏(かんし)。 幼名は阿斗(あと)。異母弟に劉永(りゅうえい)と劉理(りゅうり)がおり、ほかに異母姉がふたりはいた。 劉璿(りゅうせん)・劉瑶(りゅうよう)・劉琮(りゅうそう)・劉瓚(りゅうさん)・劉諶(りゅうしん)・劉恂(りゅうじゅん)・劉虔(りゅうけん)という7人の息子を儲けた。 ほかにも諸葛瞻(しょかつせん)・関統(かんとう)・費恭(ひきょう)に、それぞれ嫁いだ娘がいたことがうかがえる。 223年5月に帝位を継いだが、263年に魏(ぎ)の曹奐(そうかん)に降

    劉禅(りゅうぜん) ※あざなは公嗣(こうし)、晋(しん)の安楽思公(あんらくしこう)
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  • 劉備(りゅうび) ※あざなは玄徳(げんとく)、蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の昭烈皇帝(しょうれつこうてい)

    【姓名】 劉備(りゅうび) 【あざな】 玄徳(げんとく) 【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん) 【生没】 161~223年(63歳) 【吉川】 第001話で初登場。 【演義】 第001回で初登場。 【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・先主伝(せんしゅでん)』あり。 蜀(しょく)の初代皇帝、昭烈皇帝(しょうれつこうてい) 父は劉弘(りゅうこう)だが、母は不詳。劉雄(りゅうゆう)は祖父。兄弟についてはよくわからない。 跡を継いだ劉禅(りゅうぜん)に加え、劉永(りゅうえい)と劉理(りゅうり)という息子を儲けた。劉封(りゅうほう)は養子。このほかにも、娘がふたりはいたことがうかがえる。 関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)らとともに黄巾(こうきん)討伐に参加。安喜県尉(あんきけんい)に任ぜられたのを手始めに、公孫瓚(こうそんさん)や陶謙(とうけん)らに助力して頭角を現した。 呂布(りょふ)

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  • 「蜀の劉氏」収録人物一覧

    正史『三国志』(蜀書)に伝や付伝の立てられているすべての人物に加え、そのほかに蜀の劉氏と関わりが深かった人物についても、個別の記事を作って採り上げました。 姓名の左にあるのは、正史『三国志』の収録状況です。 「★」…紀(ほんぎ。帝紀〈ていぎ〉)が立てられている人物 「★」…姓名などを冠する形の伝が立てられている人物 「★」…関連人物に付属する形の付伝が立てられている人物 「-」…上の3つに当てはまらない人物 蜀の劉氏2代 ★ 劉備(りゅうび) ※蜀の先主(せんしゅ)、昭烈帝(しょうれつてい) ★ 劉禅(りゅうぜん) ※蜀の後主(こうしゅ)、魏に降った後は安楽公(あんらくこう) 劉備の父祖など - 劉勝(りゅうしょう) ※前漢(ぜんかん)の景帝(けいてい)の息子、中山靖王(ちゅうざんせいおう)、劉備の遠祖 - 劉貞(りゅうてい) ※劉勝の息子、陸成侯(りくせいこう)、劉備の遠祖 - 劉昂(

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    shiromitsu 2020/05/09
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