年表に関するshiromitsuのブックマーク (146)

  • 284年(晋の太康5年)の主な出来事

    月別および季節別の主な出来事 【?月】「孫晧(そんこう)の死?」 この年、孫晧が洛陽で死去した。 『三国志』(呉書・孫晧伝) ★なお『三国志』(呉書・孫晧伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『呉録』には、「孫晧は太康4(283)年12月に洛陽で死去し、このとき42歳だった。その後、孫晧は河南県に葬られた」とあった。なぜ伝と『呉録』にい違いがあるのかはわからなかった。 -283年- 癸卯(きぼう)【晋】 太康(たいこう)4年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)月別および季節別の主な出来事【01月】「山濤(さんとう)の死」晋の山濤が死去する(205年~)。『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちく...

    284年(晋の太康5年)の主な出来事
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    三国志に関連する、年ごとの主な出来事
  • 283年(晋の太康4年)の主な出来事

    月別および季節別の主な出来事 【01月】「山濤(さんとう)の死」 晋(しん)の山濤が死去する(205年~)。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【03月】「司馬攸(しばゆう)の死」 晋の司馬炎の冷遇を受け、同母弟で斉王(せいおう)の司馬攸が憤死する。 『正史 三国志8』の年表 【10月】 晋の司馬炎が、魏舒(ぎじょ)を司徒(しと)に任ずる。 『正史 三国志8』の年表 【12月】「孫晧(そんこう)の死?」 孫晧が死去する。このとき42歳だった。その後、孫晧は河南県(かなんけん)に葬られた。 『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『呉録(ごろく)』 ⇒12月 晋の帰命侯(きめいこう)の孫晧が、洛陽(らくよう)で死去する(242年~)。 『正史 三国志8』の年表 ★なお『三国志』(呉書・孫晧伝)には、「孫晧は太康5(

    283年(晋の太康4年)の主な出来事
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    三国志に関連する、年ごとの主な出来事
  • 282年(晋の太康3年)の主な出来事

    月別および季節別の主な出来事 【01月】「秦州の廃止」 晋の司馬炎が、秦州を廃止して雍州に併せる。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【?月】 晋の司馬炎が「占田・課田制」を実施する。自作農や旧屯田民に田地を与え、租調(田租と上納品)を課す制度。 『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表 【04月】「賈充(かじゅう)の死」 晋の賈充が死去する(217年~)。 『正史 三国志8』の年表 【09月】 呉のもと部将の莞恭(かんきょう)と帛奉(はくほう)が、晋に対する反乱を起こし、揚州を包囲する。晋の嵆喜(けいき)がこれを鎮圧した。 『正史 三国志8』の年表 【12月】 晋の司馬炎が、同母弟で斉王の司馬攸(しばゆう)を大司馬に、大叔父の司馬亮(しばりょう)を太尉に、山濤(さんとう)を司徒に、衛瓘(えいかん

    282年(晋の太康3年)の主な出来事
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  • 281年(晋の太康2年)の主な出来事

    -281年- 辛丑(しんちゅう) 【晋】 太康(たいこう)2年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 月別および季節別の主な出来事 【?月】 この年、晋(しん)の揚州刺史(ようしゅうしし)の周浚(しゅうしゅん)が、寿春(じゅしゅん)から秣陵(ばつりょう)に役所を移し、呉(ご)の旧民たちの反乱を鎮めて懐柔にあたった。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【?月】 この年、戦国時代の魏(ぎ)の襄王(じょうおう。安釐王〈あんきおう〉)の冢墓(ちょうぼ)から、大量の竹簡が発見された(いわゆる「汲冢書〈きゅうちょうしょ〉」。発見された年には異説もある)。 『正史 三国志8』の年表 【?月】 この年、鮮卑(せんぴ)の慕容歩帰(ぼようほき)が昌黎(しょうれい)に侵入した。 『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表

    281年(晋の太康2年)の主な出来事
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  • 280年(〈晋の咸寧6年〉→太康元年・呉の天紀4年)の主な出来事

    -273年- 癸巳(きし)【晋】 泰始(たいし)9年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉)【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)2年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉)月別および季節別の主な出来事【03月】呉の孫晧が、陸抗(りくこう)を大司馬に任ずる。『三国志』... 【春】「呉の崩壊」 晋の王濬(おうしゅん)や唐彬(とうひん)が呉に攻め寄せると、呉軍は雪崩を打って崩壊する。 また晋の杜預(とよ)も、呉の江陵督の伍延(ごえん)を斬り、晋の王渾(おうこん)も、呉の丞相の張悌(ちょうてい)と丹楊太守の沈瑩(しんえい)らを斬るなど、晋軍は至るところで勝利を収めた。 『三国志』(呉書・孫晧伝) ★『晋紀』…このときの戦いの様子。 ★『襄陽記』と『呉録』…張悌について。 ★『捜神記』…従軍中に病死した柳栄(りゅうえい)が生き返ったという話。 ★杜預については、慣例として「どよ」と読まれるとのこと。 【03月】 丙寅(へい

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  • 279年(晋の咸寧5年・呉の天紀3年)の主な出来事

    -279年- 己亥(きがい) 【晋】 咸寧(かんねい)5年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 天紀(てんき)3年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 鮮卑の樹機能(じゅきのう)が、晋の涼州を攻略する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【夏】 呉の郭馬(かくば)が反乱を起こす。郭馬は、もともと合浦太守の脩允(しゅういん)配下の私兵の隊長だった。この脩允が死去すると、配下にいた兵士たちは別々の部署に配属されることになった。郭馬たちは、父祖以来ひとつの軍団をなしてきたので、皆が離ればなれになることを望まなかった。 ちょうどこのころ、孫晧は、広州の戸籍を正確に調べて課税しようと考えた。 郭馬は、私兵内の部将であった何典(かてん)・王族(おうぞく)・呉述(ごじゅつ)・殷興(いんこう)らと共謀し、その計画に乗じて兵士

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  • 278年(晋の咸寧4年・呉の天紀2年)の主な出来事

    -278年- 戊戌(ぼじゅつ) 【晋】 咸寧(かんねい)4年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 天紀(てんき)2年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【03月】 晋(しん)の司馬炎が、山濤(さんとう)を尚書左僕射(しょうしょさぼくや)に任ずる。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【06月】 晋の涼州刺史(りょうしゅうしし)の楊欣(ようきん)が、武威(ぶい)で若羅抜能(じゃくらばつのう)と戦って敗死する。 『正史 三国志8』の年表 【06月】 晋の羊祜(ようこ)が病を押して入朝し、司馬炎に平呉の決断を求める。 『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表 【07月】 呉(ご)の孫晧が、11人の息子を成紀王(せいきおう)や宣威王(せんいおう)などに封じ、そ

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  • 277年(晋の咸寧3年・呉の天紀元年)の主な出来事

    -277年- 丁酉(ていゆう) 【晋】 咸寧(かんねい)3年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 天紀(てんき)元年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】「呉の改元」 呉の孫晧が昨年の決定に従い、「天璽(てんじ)」を「天紀」と改元する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【03月】 晋の文鴦(ぶんおう)が、鮮卑の樹機能(じゅきのう)を撃破する。 『正史 三国志8』の年表 【夏】 呉の夏口督の孫慎(そんしん)が、晋の江夏から汝南へ進軍して焼き討ちをかけ、その地の民を略奪して帰る。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【07月】 晋の司馬炎が、宗室の諸王の改封を大々的に行う。 『正史 三国志8』の年表 【?月】 この年、呉の司直中郎将の張俶(ちょうしゅく)が、その悪事を知られたため誅殺された。 『三国志』(呉書・孫晧伝)

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  • 276年(晋の咸寧2年・〈呉の天冊2年〉→天璽元年)の主な出来事

    -276年- 丙申(へいしん) 【晋】 咸寧(かんねい)2年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 (天冊〈てんさく〉2年) → 天璽(てんじ)元年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【?月】「呉(ご)の改元」 呉の孫晧のもとに、呉郡(ごぐん)から報告が届く。「臨平湖(りんぺいこ)は漢末(かんまつ)以来、雑草が茂って水路が通じなくなっておりましたが、いま再び水路が通じました。土地の古老たちの言い伝えでは、『この湖がふさがれば天下は乱れ、通じれば天下は安定する』とのことでございます。また、湖の岸辺で石の函(はこ)が発見され、中に小石が入っておりました。その小石は青白い色をしていて、長さ4寸、幅2寸余りで、『皇帝』と刻まれているようです」というものだった。 そこで孫晧は、「天冊」を「天璽(天から賜った印璽)」と改元したうえ、大赦を行った。 『三国志

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  • 275年(晋の咸寧元年・呉の天冊元年)の主な出来事

    -275年- 乙未(いつび) 【晋】 咸寧(かんねい)元年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 天冊(てんさく)元年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】「晋(しん)の改元」 晋の司馬炎が、「泰始(たいし)」を「咸寧」と改元する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【?月】「呉(ご)の改元」 呉の孫晧のもとに、「呉郡(ごぐん)で土中から、長さ1尺(せき)、幅3寸の銀が掘り出され、それには年月などの文字が刻まれている」との報告が届く。 そこで孫晧は大赦を行い、「鳳皇(ほうおう。鳳凰)」を「天冊(天から賜った冊書)」と改元した。 『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝) ⇒01月 呉の孫晧が、「鳳皇(鳳凰)」を「天冊」と改元する。 『正史 三国志8』の年表 【06月】 鮮卑(せんぴ)の拓跋力微(たく

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  • 274年(晋の泰始10年・呉の鳳皇〈鳳凰〉3年)の主な出来事

    -274年- 甲午(こうご) 【晋】 泰始(たいし)10年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)3年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【02月】「平州の設置」 晋の司馬炎が、幽州を分割して平州を設置する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【?月】 呉の会稽郡で「章安侯の孫奮(そんふん)が天子になるだろう」という妖言が広まる。 呉の臨海太守の奚熙(けいき)は、会稽太守の郭誕(かくたん)に書簡を送って国政を非難した。 郭誕は孫晧に、奚熙の(国政を非難した)書簡のことは上言したが、(孫奮が天子になるだろうという)妖言については上言しなかったということで、建安へ送られ、船を造る労役に充てられた。 一方で孫晧は、三郡督の何植(かしょく)を遣わして奚熙を捕らえようとしたが、奚熙は兵を徴用して守りを固め、海

    274年(晋の泰始10年・呉の鳳皇〈鳳凰〉3年)の主な出来事
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  • 273年(晋の泰始9年・呉の鳳皇〈鳳凰〉2年)の主な出来事

    -273年- 癸巳(きし) 【晋】 泰始(たいし)9年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)2年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【03月】 呉(ご)の孫晧が、陸抗(りくこう)を大司馬(だいしば)に任ずる。 『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝) ⇒03月 呉の孫晧が、陸抗を大司馬・荊州牧(けいしゅうぼく)に任ずる。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【03月】 呉の司徒(しと)の丁固(ていこ)が死去する。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【04月】「韋昭(いしょう。韋曜〈いよう〉)の死」 呉の孫晧が、韋昭(韋曜)を投獄して誅殺する。 『正史 三国志8』の年表 【07月】 晋の司馬炎が、高位高官の娘を対象として宮人を選ぶことにし、この選抜が終わるまで天下の婚姻を禁止する。 『正史三

    273年(晋の泰始9年・呉の鳳皇〈鳳凰〉2年)の主な出来事
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  • 272年(晋の泰始8年・呉の鳳皇〈鳳凰〉元年)の主な出来事

    -272年- 壬辰(じんしん) 【晋】 泰始(たいし)8年 ※武帝(ぶてい。司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 鳳皇(ほうおう。鳳凰)元年 ※帰命侯(きめいこう。孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】「呉(ご)の改元」 呉の孫晧が、年初より「建衡(けんこう)」を「鳳皇(鳳凰)」と改元する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【?月】 晋(しん)の益州刺史(えきしゅうしし)の王濬(おうしゅん)が大艦を建造する。 『正史 三国志8』の年表 【?月】 呉の建平太守(けんぺいたいしゅ)の吾彦(ごげん)が、「晋が呉の攻略を計画している」と警告する上奏を行ったものの、孫晧は無視する。 『正史 三国志8』の年表 【07月】 晋の司馬炎が、賈充(かじゅう)を司空(しくう)に任ずる。 『正史 三国志8』の年表 【08月】「歩闡(ほせん)の投降と死」

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  • 271年(晋の泰始7年・呉の建衡3年)の主な出来事

    -271年- 辛卯(しんぼう) 【晋】 泰始(たいし)7年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 建衡(けんこう)3年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 庚戌(こうじゅつ)の日(30日)、晦(かい) 呉の孫晧が多くの人々を引き連れ、建業の西方にある華里まで行幸する。このとき、孫晧の母である何太后(かたいこう)や妃妾(きさき)たちも随行した。 東観令の華覈(かかく)らが必死で引き止めたため、ようやく孫晧は都(建業)へ戻ることに同意した。 『三国志』(呉書・孫晧伝) ★ここは干支(かんし)を補っておく。 ★『江表伝』…刁玄(ちょうげん)に孫晧がたぶらかされた話。 ⇒01月 呉の孫晧が、「江南の主君が天下を統一するだろう」との讖言(しんげん)を信じ、何太后ほか後宮の数千人をひきいて西方へ向かう。しかし従者たちに不満が広がったため、孫晧は都(建業)に引き返した

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  • 270年(晋の泰始6年・呉の建衡2年)の主な出来事

    月別および季節別の主な出来事 【春】 呉(ご)の万彧(ばんいく)が、武昌(ぶしょう)から建業(けんぎょう)へ戻る。 『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝) 【春】 先(269年11月)に晋(しん)の交趾(こうし)攻めに向かっていた呉の李勖(りきょく)が、建安(けんあん)を経由する道程が難渋したことから、道案内にあたった部将の馮斐(ふうひ)を殺害したうえ、軍勢をまとめて帰還する。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【03月】 呉で天火(雷)が降り注ぎ、1万余戸が焼けて700人の死者が出る。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【04月】「施績(しせき。朱績〈しゅせき〉)の死」 呉の左大司馬(さだいしば)の施績(朱績)が死去する。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【06月】 晋の胡烈(これつ)が、鮮卑(せんぴ)の討伐にあたったものの、返り討ちに遭って戦死する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳

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  • 269年(晋の泰始5年・〈呉の宝鼎4年〉→建衡元年)の主な出来事

    -269年- 己丑(きちゅう) 【晋】 泰始(たいし)5年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 (宝鼎〈ほうてい〉4年) → 建衡(けんこう)元年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 呉の孫晧が、息子の孫瑾(そんきん)を皇太子に立てる。さらにほかの息子たちも、淮陽王と東平王に、それぞれ封じた。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【02月】「秦州の設置」 晋の司馬炎が、雍州・涼州・梁州の3州を分割して秦州を設置したうえ、胡烈(これつ)を秦州太守に任じ、異民族の対策にあたらせる。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 ⇒02月 晋の司馬炎が、雍州・涼州・梁州の3州を分割して秦州を設置したうえ、胡烈を刺史に任ずる。 『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表 ★『正史 三国志8

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  • 268年(晋の泰始4年・呉の宝鼎3年)の主な出来事

    -268年- 戊子(ぼし) 【晋】 泰始(たいし)4年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 宝鼎(ほうてい)3年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 晋の賈充(かじゅう)らが新しい律令を作り、司馬炎に上呈する。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 ⇒01月 晋の賈充・鄭沖(ていちゅう)・荀顗(じゅんぎ)らが新律令(泰始律令)を完成させ、司馬炎に上呈する。 『正史三國志群雄銘銘傳 増補版』(坂口和澄〈さかぐち・わずみ〉著 光人社)の『三国志』年表 【02月】 呉の孫晧が、左右の御史大夫の丁固(ていこ)と孟仁(もうじん。孟宗〈もうそう〉)を、それぞれ司徒と司空に任ずる。 『三国志』(呉書・孫晧伝) ★『呉書』…丁固が尚書だったころに見た夢の話。 ⇒02月 呉の孫晧が、丁固を司徒に、孟仁(孟宗)を司空に、それぞれ任ず

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  • 267年(晋の泰始3年・呉の宝鼎2年)の主な出来事

    -267年- 丁亥(ていがい) 【晋】 泰始(たいし)3年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【呉】 宝鼎(ほうてい)2年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【01月】 晋の司馬炎が、息子の司馬衷(しばちゅう)を皇太子に立てる。 『正史 三国志8』(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉訳 ちくま学芸文庫)の年表 【春】 呉の孫晧が大赦を行う。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【春】 呉の右丞相の万彧(ばんいく)が長江をさかのぼり、巴丘の守りに就く。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【06月】 呉の孫晧が顕明宮(昭明宮)を造営する。 『三国志』(呉書・孫晧伝) ★『太康三年地記(たいこうさんねんちき)』…孫権(そんけん)が造営した太初宮と、このとき孫晧が造営した昭明宮の話。「昭明宮は、晋の司馬昭(しばしょう)の諱(いみな)を避けて顕明宮と呼ばれた」とある。 ★『呉歴』…顕明宮は、太初

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  • 266年(晋の泰始2年・〈呉の甘露2年〉→宝鼎元年)の主な出来事

    【08月】「呉の改元」 呉の孫晧のもとに、「各地で大きな鼎(かなえ)が発見された」との報告が届く。そこで孫晧は、「甘露」を「宝鼎」と改元したうえ、大赦を行った。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【08月】 呉の孫晧が、陸凱(りくかい)を左丞相(さじょうしょう)に、常侍(じょうじ)の万彧(ばんいく)を右丞相(ゆうじょうしょう)に、それぞれ任ずる。 『三国志』(呉書・孫晧伝) 【10月】 呉の永安(えいあん)で、山賊の施但(したん)らが数千人の徒党を集める。 施但らは、孫晧の異母弟である永安侯の孫謙(そんけん)を強迫し、烏程(うてい)まで同行させた。そして、孫和(そんか)の陵に副葬されていた楽器や曲蓋(柄が曲がった貴人の儀杖用〈ぎじょうよう〉の傘)を奪い取ったりした。 施但らが建業(けんぎょう)まで来たとき、その徒党は1万余人にもなっていた。これを呉の丁固(ていこ)と諸葛靚(しょかつせい)が迎え撃

    266年(晋の泰始2年・〈呉の甘露2年〉→宝鼎元年)の主な出来事
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    三国志に関連する、年ごとの主な出来事
  • 265年(晋の泰始元年・魏の咸熙2年・〈呉の元興2年〉→甘露元年)の主な出来事

    -265年- 乙酉(いつゆう) 【晋】 泰始(たいし)元年 ※武帝(司馬炎〈しばえん〉) 【魏】 咸熙(かんき)2年 ※元帝(曹奐〈そうかん〉) → 晋に禅譲し滅亡 【呉】 (元興〈げんこう〉2年) → 甘露(かんろ)元年 ※帰命侯(孫晧〈そんこう〉) 月別および季節別の主な出来事 【02月】 甲辰(こうしん)の日(19日) 魏の曹奐に、胊䏰県(くじんけん)で捕獲された神秘的な亀が献上される。曹奐は、この亀を相国府に収めさせた。 『三国志』(魏書・陳留王紀) 【02月】 庚戌(こうじゅつ)の日(25日) 魏の曹奐が、かつて鍾会(しょうかい)が反乱を起こした際、成都の諸陣営に鍾会の反逆を知らせて回り、命を落とすことになった虎賁(こほん)の張脩(ちょうしゅう)について触れ、その弟の張倚(ちょうい)を関内侯に取り立てる。 『三国志』(魏書・陳留王紀) 【03月】 呉の孫晧が、光禄大夫の紀陟(きち

    265年(晋の泰始元年・魏の咸熙2年・〈呉の元興2年〉→甘露元年)の主な出来事
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/18
    三国志に関連する、年ごとの主な出来事