先ほど、有馬から帰りました。 結果は、木村挑戦者が勝利。 写真は、局後の検討会風景です。 立会人の内藤九段の横の女性。大変珍しい方にお会いしました。 坂田三吉さんのお孫さんです。 詳しいことは、明日に。
![王位戦 - 熊澤良尊の将棋駒三昧](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e1687f0a2720429b7726537e8afc777385c36bbb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogimg.goo.ne.jp%2Fuser_image%2F13%2F54%2F5d6107dbd176573c527bf86e8a239825.jpg)
7月30日(木)、雨。 先ほど、激しい雨音に眼が覚めました。 日にちが変わって2時間ほどです。 昨日は昼前に工房を出て、14時前に有馬着。所要時間は2時間弱です。 有馬は一時はお客が減っていたようですが、今日は平日にもかかわらず観光客が多い、という印象でした。 王位戦の会場「中の坊瑞苑」では15時から両対局者による「色紙揮毫サイン会」がありました。 王位戦50期記念の催しとして、主に宿泊者へのサービスイベントです。 深浦王位は「堅忍」。木村挑戦者は「百折不撓」。 小生もご両人に1枚ずつ書いてもらいました。 対局室での検分は17時からですが、関係者のご配慮で、明日使用される「駒の箱書き」も同時にしていただきました。 用意した駒は2つ。1つは出来たばかりの「古水無瀬」。もう1つは半年ほど前に製作した「源兵衛清安」。 検分前のこの時点では、どちらが使用されるのかはまだ分らない段階です。 本来は、
7月26日(日)、曇りのち雨。 午後から雨が降りました。 それにしても、九州北部と山口県の災害惨事。 「45年間住んでいて、こんなの初めて」だそうです。 「命があったのが、せめてもの幸せ」と、女性の方が言っていました。 裏山や崖が崩れて、亡くなった方もいます。本当にお気の毒です。 集中豪雨のレーダー映像を見ていると、同じところに次々と猛烈な雨雲が発生し居直っています。 これではたまったものではありません。 このあたりでも昔、昭和28年のことですが、隣の町々を含む木津川流域に大洪水があり、死者が出たり、加茂の町も多くの家々が水に浸かったそうです。 工房を建てるとき、図書館へ行って当時のことが分る資料を見に行きました。 加茂のどの地域がどれくらい水につかったかを調べました。 しかし、一応それがわかっても、想像を超える災害には多分、どうしようもないのでしょうね。 今日の写真は「ハグロトンボ」。羽
7月25日(土)、曇り一時雨。 先日盛り上げた2組の内の注文品の1組です。 午後は、この秋に開く奈良の工芸人たちの集まり「KOM]展会場の下見のため、16時に奈良「吉城園(よしきえん)」へ。 メンバーは10人ほど。漆・赤膚焼・伊賀焼・仏像・一刀彫・筆・能面・それに将棋駒。 「吉城園」と言っても、小生も知らなかった。 知っている方は少ないと思います。地理的には奈良公園のほぼ中央部。 県庁の東側の道を入ったところ。 東大寺の少し手前。西隣は知事公舎。北隣が「寧楽(ねいらく)美術館」。 ここは知っている人は多いと思います。 「吉城園」は今は奈良県の所有ですが、元々は興福寺の関係のお庭だったとか。 広くて起伏のある立派な庭が奈良公園の真ん中に近い一角にあることすら知りませんでした。 その中の茅葺の茶室が会場です。 茶室と言っても、続き部屋の和室が4部屋。それをぶち抜いての会場設営になります。 会期
7月24日(金)、晴れのち曇り。 昨日の続き「古水無瀬」の盛り上げは終わりました。 結果は明日です。 そのほか、完成間際で未完成だった「巻菱湖」1組も、盛り上げを本日終わりました。 昼前、漆仕事中にふと見ると、日除けの「ゴウヤ」に何かがくっ付いているようでした。 何かと近づくと「小さなセミ」でした。 今日もやってきました。昨日は中型。今日は小型です。 よく見ると、口の管を「ゴウヤ」に突き立てて汁を吸っているところでした。 こんな光景は初めてです。 最接近してそっと写真に撮り、そのままにしていたら、1時間余りゆっくりと場所を変えながら汁を吸っていました。 頭の方、水平の棒状のものが管です。 「セミ」は、樹液を吸うものとばかり思っていましたが、果物(?)の汁も吸うンですね。 知りませんでした。しかし、同じ植物の汁ですから納得です。 ところで、何という「セミ」でしょうか。分る人教えてください。
7月19日(日)、晴れ。 蝉の鳴く声があちこちから聞こえます。 薄い雲が空一面に斑模様に見られますが、そろそろ夏です。 今日は名古屋から堀さん夫婦がお見えになります。 その後、昼食をとり、一緒に水無瀬に行きます。 水無瀬神宮には、何人こられましょうか。 「駒サロン」の皆さん。 一番遠いところでは、千葉県から。 福井、名古屋、三重からも集まって来られます。 当方の準備は昨日終わりました。 説明で配る資料も30部作りました。 「飛車」には、200年後、500年後でもよく見れば分るように、 「平成二十一年補作、熊澤良尊」と目立たないように刻しました。 島本町から注文いただいている「水無瀬駒用の展示ケース」も出来上がりました。 これは秋の「文化財指定記念の展示」に使う予定。 現地で確認して、合格なら、この際収めようと思っています。 ーーーーーーーーーーー 写真は、本日水無瀬神宮で撮影した水無瀬駒「
7月16日(木)、晴れ。 再校正しました。差し替えます。 多分、これが最終原稿となります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『将棊馬日記』と、その意義について [H21.7.19 熊澤良尊・記] 『将棊馬日記』は、安土桃山時代の貴族・水無瀬兼成(1514~1602年)の将棋駒づくりの記録である。製作した駒の数は735組。兼成が没して間も無く、その記録を一冊にまとめ直した。それが水無瀬神宮に400年間遺されていた。 見つかったのは水無瀬駒調査で訪問した昭和53年冬。社殿奥から水無瀬忠寿宮司が持ってこられたのが60ページほどの綴り。大きさは手札サイズほど。表紙には『将棊馬日記』とあった。「馬」は「駒」のことである。 虫食いで引っついた薄い和紙を1枚ずつ丁寧に剥がしながら目を通すと「一面、誰々。一面、誰々」と、譲り渡し先とおぼしき名前が、繰り返し書き連ね
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