被災地に集いの場「みんなの家」を次々につくってきた。東北に通うようになって気づいたことがあるという。地方には都会とは違う豊かな人のつながりがあること。そこから未来に向かう力が生まれてくるという確信。都市から人へ、建築が変わるために、いま全力で走り続ける。 人がつながる「みんなの家」 宮城県仙台市宮城野区の仮設住宅に伊東豊雄が設計した「みんなの家」ができ上がったのは、震災から約7カ月後の2011年10月。木造平屋、思い出につながる切妻屋根。仕切りのない20畳の部屋。薪(まき)ストーブ。掘りごたつの部屋。飲み会だってできる。心が安らぎ、自然と話がはずむ10坪ほどの家である。その後、岩手県釜石市、陸前高田市にも建築家と住民が一緒に取り組んだ「みんなの家」が仮設団地や商店街などに次々に生まれ、13年の1月には東松島市の仮設住宅に「こどものみんなの家」も誕生。陸前高田市の「みんなの家」が生まれるまで