友達からの相談です。みなさんは、ぶりっ子は好きですか?ぶりっ子な感じで告白するのと、そうじゃない感じだとどっちが成功率が高いですか?告白相手は二十歳の男子大学性です。ちょっと誘ったりしてくれていたんだけど、彼の気持ちにいまいち確信が持てません。よろしくお願いします。
http://www.tv-asahi.co.jp/3031/「小学生クラス対抗30人31脚全国大会」の終了について 過去14年にわたって続けて参りました弊社の番組イベント「小学生クラス対抗30人31脚全国大会」を、昨年の大会をもって終了することになりましたのでお知らせいたします。 終了する第一の理由は、全国的に参加校が年々減少し、“全国の小学生が1クラス30名ごとに団結して闘う”という番組スタート当初の基本コンセプトの成立が厳しくなってきたことです。 また、テレビを取り巻く経済環境の悪化により従来の規模での大会運営が大変厳しくなったことが挙げられます。 これまで当番組イベントを支えてくださった全国の小学生の皆さんをはじめ関係者の方々、並びに視聴者の皆様に対し厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。今後も「30人31脚」のように全国の皆様に喜んでいただけるような番組作りに努力
エロ画像を貼るスレでひとこと - はてなハイクより転載。 ヒワイな表現が苦手な方はご遠慮下さい。*1 12 3456789 10 11 12131415161718192021222324
先日の「クラス対抗30人31脚をやめろ」という記事には、おそらく拙ブログで最高数のコメントがつきました(この記事を書いている時点で157個!)。 そこでけっこう見かけた意見に次のようなものがあります:社会に出たら、たとえ嫌でもやらなければならないことはたくさんあるのだから、30人31脚も「嫌だからやるな」というのはおかしい たとえば、以下のようなもの...学校で理不尽なくだらない行動に付き合わされる事に慣れておかないと社会に出た時苦労すると思います。実際問題そんな感じではないかと思います*1...学校とはいずれ社会に出て行く子供達に社会訓練を行う場です。あなたは「個人の意思」と「わがまま」を勘違いしてはいませんか?算数が苦手な生徒の気持ちを尊重して算数のテストを廃止するでは通らないでしょう。そもそも社会自体が理不尽なことを避けては通れやしないというのに・・・*2何人かのコメントにもあるが、
昨日の記事に、様々な反応を頂いております。 はてなブックマーク - 30人31脚を即刻廃止すべきである7つの理由 - 女教師ブログ 賛否両論いずれにせよ、ありがとうございました。特に批判的意見については、納得できるものに関してはできるだけ早く、元記事に反映させたいと思っています。(なぜなら、「30人31脚」のテレビ番組が今週末に迫っているからです) ただ、残念ながら、なにか重要なことを指摘なさっている(ように見える)にも関わらず、根拠が明示されていない(あるいは読み取れない)コメントもいくつか頂きましたので、質問させて頂きます。もしよければ、答えてもらえると嬉しいです。 id:Catfishさん Catfish 論理展開が幼すぎる。自分の中の常識や信念が世界の共通事項だと誤解している典型例。子供の意見を聞いて統計出す前に、こう考えているはずと決めつけているあたりが最悪。生徒さんとたくさん
現在、小学校教育現場の一部で、テレビ朝日系列局が放映している「太陽生命・30人31脚」というテレビ番組への出演を前提とした「教育活動」が行われています。その公式ルールを見れば明らかなとおり、この競技は、クラス全員が参加の同意を表明することを前提としていますが、クラス全員参加による30人31脚の教育的意義は、以下で述べるとおり、全く確かなものではありません。そればかりか、かえって、児童の身体発達、人間関係、ライフスタイルに深刻な害悪を及ぼす危険性すらあります。 したがって、テレビ朝日をはじめとした同競技の主催者、および学級担任や保護者など小学校教育の関係者には、即刻、クラス全員参加による30人31脚を中止することを提言します。(以下、特に断らない限り、「30人31脚」とはクラス全員参加による同競技のことを指します) 1. 「クラス全員が参加に同意する」ということが、いかに尋常でない状況である
性を盗むのはなにが悪いんでしょうね、どうすれば理性を保てるでしょう、と、わたし(性を盗まれた者)に聞くことの意味をかんがえてくれ - フランチェス子の日記フランチェス子には申し訳ないんだが、彼女の記事の主題とは直接関係ない。 フランチェス子の記事に「感情的だ」「理性的でない」「冷静さを欠いている」「極論だ」といったようなコメントが(ブックマークを含め)多数ついている。当のフランチェス子は、それらに対し「冷静ですけど何か?」と対応している。 一般的なカジュアルなコミュニケーションであれば、「冷静かどうか」が論点だとすれば、☆:「あなたは冷静ではありません」★:「いえ、私は冷静ですよ」☆:「そうですか」で終了である。 だが、実際この手のレトリックにおける「冷静」「理性」というのは、疑似論点に過ぎないのである。この文脈では、「もっと冷静になるべき」という発言は、「まず一度冷静になって、それから、
「教えて・ザ・ワールド」ミクシィ内、英語教育コミュのトピックよりhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48272297&comment_count=3&comm_id=15156 卒業論文について私は「日本人の小学生にとって英語教育のスタイルはどうあるべきか」について研究しています。そこで現場の声を聞きたいと思い、小学校教師にアンケートを取りにいきます。先生方も忙しいと思いますのでできるだけ時間がかからないものにしたいと思っています。しかし記述式の質問があったほうが詳しいデータが取れると思うので少し記述してもらうことを考えています。ここで質問なんですが、質問の項目が思い浮かばないのですが何かいい案はありますでしょか?火曜日に小学校に訪問するので、できるだけ早くお答えいただけると幸いです。本当に悩んでるのでよろしくお願いします。 もしこの学生が大学院に進学する気ならば、
木村カエラのライブに行ってきたのだが… - くりごはんが嫌い横山健が放った言葉をお前らに捧げてやるよ。「ロックなのに良い子でどうすんの?」押尾学は正真正銘のロッカーであることは古今東西揺るぎのない事実なのだが、押尾が横山のこの発言を聞いたらどう思うだろうか。 起訴されている手前、「ロックなのに良い子でどうすんの?あ、でも、ドラッグはダメだよ!」と表向きには言うかもしれないが、内心、「おまえの『悪い子』って所詮ダイブがどうとか程度だろうが」だったりするのかもしれない。 個人的には、ロックであれジャズであれクラシックであれ、ミュージシャン/音楽家と呼ばれる人種は、人格中枢の色々な部分が激しく麻痺している、有吉がいうところの「音楽くそ野郎」ばかりなので(私がミュージシャンだからこそそう言える)、消費者リスナーくらいは、「良い子」でいてもらったほうがいい気がするのだがどうだろう。 なお、ポップスミ
読書書評:プラトン『饗宴』 -プラトニック・ラブとは-(書評)非常に適確な書評で、これこそ若者の読書離れ(古典離れ、哲学離れ)を阻止する優れたイントロダクションだと思ったので、まるまる転載します。こんな書評がかけるような大人になりたいです。 まず,男達が飲み会をしている。話のネタに困ってきたので,「じゃぁ,『古今東西ゲーム』みたいに,時計回りに順番に『エロスを讃える演説』をやろう」「やろう」「やろう」ということになる。 どんな娯楽だ,それ。 まぁ,それで順番に,「そもそも人間は,かつて球形の体に手足が八本,頭が二つの生物だったのだが,これが分離されたために自らの半身を求めるようになったのだ。だから,走るときには,手を地面につけて宙返りするように,ごろごろ転がっていったのだ」とか,電波ゆんゆんな演説をしていく。 六人演説して,それぞれ主張に違いがあるが,「・・・だから,ホモはストレートより美
外国人記者による、まっとうな(i.e. わりとふつうの、でも地道に行っていく必要のある)、日本のメディアに対する批判。政権交代でも思考停止の日本メディア | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト なんだが、、、 ムダ話党の意見はその場かぎり。記憶力もない。10分しか記憶できない金魚みたいなものだ。昨日まで官僚から情報を仕入れていたというのに、一夜明ければ「国民の敵」としてよってたかってたたく。「天下り」は今や金正日(キム・ジョンイル)やオウム真理教より憎まれている。会食の席で「私は官僚です」などと自己紹介したら、新型インフルエンザの患者みたいにぞっとされるだろう。「事務次官」なら、間違いなく八つ裂きだ。 「10分しか記憶できない金魚みたいなもの」というメタファーの意味がよくわかりません。金魚って、10分間なら記憶できるんだろうか。それはそれ
統計学上、看過できない記述があったので、少し古い記事だが紹介する。小池生夫 2008 「世界基準を見据えた英語教育」、『英語展望』、2008年夏号(pp.14-17)私はいろいろと熟慮した結果、アンケートの回答者を海外交渉の経験があるビジネスパーソンに代表してもらうことにした。多くの実験を経て、アンケート回答者7354名という新聞社等の世論調査回答者数をはるかに上回る数が得られたのは、...(中略)...のお蔭である。この数量の分析結果は、講演等で多くの人からの好ましい反響を直接いただいたことからも実感することができた。(p.15)小池氏は自身の調査の「回答者の多さ」を誇らしげに語っている。しかしここで重要なのは、なぜ「新聞等の世論調査」が1000人程度から多くても三、四千人程度の規模でしか行われないのか、きちんと考えることである。新聞社が「7000人」もの調査をやらないのにはきちんとした
昨日の「体罰」に関する記事ですが、はてなブックマークから判断する限り、けっこう注目をあつめたようです。(ちなみに、昨日のアクセス数は約6300で、いつもの数倍でした)「体罰は教育ですか?」―オフコース、イエス!!! - 女教師ブログ しかし、この記事は3年前の記事とほぼ同内容です。つまり「使い回し」(リサイクル)です「教育的」暴力は仕方ない(かもしれない)が、最悪の事態は避けたい。 - 女教師ブログ この事例からブロガーの皆さまに示すことができることは、「ある程度長く続けているブログであれば、毎日新鮮なネタを発掘するのに頭を悩ませなくても、過去ログ転載で回すことができる(かもしれない)」ということです。どうせ多くの読者は、あなたのことになどこれっぽっちも興味がないはずなので、1年もたてば過去の記事など忘れているはずです。「使い回し」してもバレないでしょう。 まあ、3年前の記事で、私はまだ1
広島大学・柳瀬氏のブログ経由*1で知った、『研究社 - 英語青年ブログ』のTom Gally 氏の記事。はてぶでも話題になりつつある*2。http://www.kenkyusha.co.jp/modules/blog_eigo/details.php?bid=39 素朴な疑問私は来日してから26年になるが、長年、自宅勤務のフリー翻訳者だったため、日本の大学や学界とはほとんど接点がなかった。その後、大学にフルタイムで勤務するようになり、今年の10月で4年になるが、その間、日本の大学や学者たちのことを少しはわかるようになったと思う。それでも、まだ理解できないことがある。その一つは、大学レベルの英語教育に携わる一部の学者が、自分とは異なる教育論の持ち主に対して示す強い憎悪である。これから三つの実例を述べるが、当事者は仲のいい知り合いなので詳細をぼかす。 例1。A氏は有力な甲英語教育学会の会員とし
最初、文章の意味がわからなすぎて、一瞬、自分の頭が悪くなったのかと思った。じっさいのところ頭が悪かったのは、やはりというか、産経新聞。産経ニュースより: 衆院選を優位に戦う民主党は、政権獲得の際には全国学力テストを現在の「全員調査」から、対象を一部の学校に絞る「抽出方式」へと見直す方針とされる。「全員調査は競争をあおる」とする日教組などの意見を反映したものだが、文部科学省は「一人一人が自分の学力を把握し、課題を見いだすには全員調査が必要」としている。今後「全員か抽出か」が焦点の一つとなりそうだ。... 自治体の教委からも「全員調査なら学校単位で経年比較もでき、教え方をチェックするには最適」(宮城県)との声が聞かれる。学力テスト、民主政権なら「全員」から「抽出」に? (1/3ページ) - MSN産経ニュース 「全員調査」というのは社会調査の用語で言えば「全数調査」(あるいは「悉皆調査」)なん
猫という生き物が最強なのは、人間に対してもっとも無関心だからだろう。猫は「お前らなどにたいして興味がない」というメッセージを常に出すことで、人間(飼い主)から自由でいられる。 そういう意味で「無関心」は武器だ。コミュニケーション上、相手に対し無関心でいられた方がより優位にたてる。そして、相手に興味を持ってしまうと、相手の意図に取り込まれてしまうのだ。 しかしながら、これが人間界で行われるとさながら悲喜劇である:男 「おれ、お前にこれっぽっちも興味ないからな!」女 「は!?私だってアンタのことなんてどうでもいいから」男 「何言ってんの!?最初誘ったのお前だろ。お前は多少興味があるんだろ。繰り返すけど俺はお前の話は別に聞きたくない」女 「ちょっと社交辞令で誘ったら喜んで付いてきたのはどっちだよ。」男 「は!?気があったんだろ、お前」女 「ねえよ。つうか××する気満々だったのどっちだよ」男 「
「体罰の会」なる会のウェブサイト(トップページ)より引用:あなたは「体罰」と「暴力」を混同していませんか? 体罰は【相手の進歩を目的とした有形力の行使】です。 したがって体罰は教育なのです。 私達とともに「体罰」を正しく理解しましょう。体罰の会 「教育とは『強育』である」なんて、上手いような上手くないようなことを言ってる人がいたりいなかったりするが、ともかく、たしかに教育は、放っておけばけ「自然」にすくすく成長していく(らしい)子どもに、「かくあるべし」という枠を「強制」することである。なのだから「育つのを強制する」という意味で、なるほど「教育は強育」なのだ。 「あなたのためだから」という根拠をもとに、学校という施設に放り込み、50cm四方しかない席に一日中拘束し、生活から乖離した知識を「あなたのためだから」と言って強制的に教える。 体罰や社会復帰施設でのしごきは暴力に違いはないが、「暴力
「体罰の会」なる会があるという。かなり余談だが、英語教育関係者の読者もいるようなので付け加えておくと、茂木弘道も発起人に名を連ねている*1ともかく、会のTOPページの文章から。あなたは「体罰」と「暴力」を混同していませんか?体罰は【相手の進歩を目的とした有形力の行使】です。したがって体罰は教育なのです。私達とともに「体罰」を正しく理解しましょう。体罰の会上の文章を読んでいて懐かしくなった中学校時代を思い出したからだ私の通っていた中学校には、指導熱心で有名な熱血教師がいた 教室にケータイを持ち込んで来た生徒がいた「言ってわからない奴には、体でわからせるしかない!」そういってゲンコツで殴った 屋上でタバコを吸っている生徒がいた「言ってわからない奴には、体でわからせるしかない!」そういって平手打ちした 廊下にバタフライナイフを持っている生徒がいた 「な、何なんだおまえ。あ、あ、まあ、その、とりあ
読書教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)作者: 苅谷剛彦出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/06メディア: 新書 「教育と平等」と言われると、思わず、教育格差を「告発」し、「教育は平等であるべきだ!」と高らかに叫ぶ、そういった内容(格差社会論のステレオタイプのような内容)を想像してしまう。もしかすると、タイトルに引きずられて、そのような「オチ」を期待する人も多いかもしれない。しかし、そのような期待を持って本書を読み始めると、混乱(落胆、というよりは、混乱)するだろう。 というのも、著者は、徹底して、「教育の平等」を相対化しているからなのだ。 つまり、私たち「日本人」が当たり前のように使っている「平等」という概念が、実は、「面の平等」という、特殊日本的な平等観であることを描き出しているのである。この「面の平等」とは、欧米とくに合衆国の「個の平等」と対立す
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