賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
さて、この間の文化庁の中間報告絡みのエントリにいくつか興味深いコメントが付いています。返答を色々書いていると異様に長くなりそうだし、文化庁の話とはだいぶ離れてしまいそうなので、エントリを独立させてしまいます。 まずはttmさんのコメント。以下全文引用。 現状、ニコニコを使っている人間のほとんどは結局「無料レンタルビデオ店」代わりですから。これをマウス右クリック一発でDLできてしまえるソフトが出来ている現状、これは権利者にとって大打撃です。 しかも、この行為はニコニコユーザーが声高に語っていた「商品の宣伝になる」ということすら崩壊させかねない事実なわけで(特にDVDなど)マズイですねえ・・・ 大量の新規ユーザー、タグ偽装工作、再アップロード、そしてお手軽なDL・・・ここまでくると正直権利者の堪忍袋が切れるのも時間の問題です。すでに現行法を行使してのXデー(ニコニコ動画に対するTV局、JASR
漫画家の安野モヨコが、「オタ嫁座談会」でこんなことをいっていた(本当は名前のところはイラストが使われているのですが、そのまま移すわけにはいかないので、ぼくが補いました。)。 安野:あとオタクは「ひとつのものを好きになると、ずっと好き」っていう点では、あまり浮気の心配もないように思うのですが。 神村:そうかも! だって服だって着替えるの面倒くさいくらいだからね(笑) 安野:一度これでいいって思ったら…。 神村:ずっとそれでいいんだよね。他の女にエネルギー遣うくらいなら自分のやりたいことや趣味に費やしたほうが全然いいよ、っていう感じだよね。浮気したいんだけど我慢っていうんじゃなくて。 安野:カントク、ウルトラマンとかもずーっと好きだからなぁ…。私聞いたことあるんだけど、一度好きになると嫌いになったり飽きたりすることはないんだって。 ああ、この感覚はわかるなあ。 ぼくも、基本的には、一度好きにな
「つまらない理由」をいくら列挙しても「面白い」という評価は否定できないに関連して言い足りなかったこととかを。 数少ない私のじまんというかささやかな矜持というか。少なくとも商業作品として出回っている漫画や小説*1について、「読むんじゃなかった」と後悔したことは一度もありません。 もともと本選びにあまり冒険するタイプではないのであまり変なのは避けてこれたというのもありますし、本を一冊読んで「つまらなかった」という否定的感想しか抱けない、その程度の読みしかできないのはとても恥ずかしいことだという自戒*2もあります。 もちろん、「面白さの分からない作品」に出会うことはよくあります。サリンジャーさんのご本の楽しみ方がよく分からなかったときはけっこう悩みましたし、音楽・絵画など「物語」以外のジャンルになるとさらに「分かる範囲」が狭くなります私の場合。 でも、そういうものに触れたとき「読む価値のないつま
少なくとも、今まさに自分は価値の無い人間だ、自分の人生は無意味で辛いものでしかないという自己嫌悪感と戦っている人間には、自分で自分を受け入れろという言葉は、ある種の「切り捨て」でしか無いと思う。とりあえず、kaienさんがどうやって自己嫌悪感から抜け出したか、その経緯を知りたいです。 ――「「不幸」と「幸福」と」 聞きたいですか? ま、べつに話してもいいんだけれど、長くて暗くて退屈な話だよ。それに、まったく、自分でもうんざりするくらいよくある話でもある。 ぼくはふだん、日記では自分語りはしない。だって、仕事で失敗して怒られただの、今日の夕飯はチキンカレーだっただの、そんなことを書いてもおもしろくないだろうから。 ぼくの日記はエンターテインメントである。読んだひとがおもしろいと思わないだろうことを書く気はない。 ただ、まあ、今回は特別に自分のことを書いてみることにしよう。たまにはいいだろうし
先住種の遺跡エルネクローザンドよりその書物が発掘されたのは百五十年前のことだった。共通語に翻訳され、まさに『書なる書』と題して出版されたその書が人々の感涙と共に四陸五海を駆け巡ったのはその三年後のことである。 自己相似にして再帰的な構造を持った本書は幾重にも渡る深き精読を可能とした。とある解釈において傲慢なる神々の贄に捧げられるかの如き不条理な死をもって倒れたある少女は、他の解釈では遍く神々を畏怖させ跪かせる全天の支配者であった。 果たしてその作者の最初にして最後の意図、あらゆる装飾と偽装に隠蔽された先の零地点がいかなるものであるかを巡る論争は評界を席巻した。当時対立著しかったヨンダライト派とケールリング派によって評者は図らずも二分され、「最終解釈」を巡る闘争は遂に暗殺事件にまで発展した。 八十年に及ぶ議論に停滞を与えたのは、暗号理論の学徒より提示されたひとつの事実であった。『書なる書』は
1:言理の妖精語りて曰く、:2007/05/14(月) 17:18:23 面白かった記述を紹介するスレッドです。 優れた記述も、放っておけばどんどん流れてしまいます。 その流れに対抗し、よいものを皆で語り継ぎましょう。 2:言理の妖精語りて曰く、:2007/05/14(月) 17:19:22 紹介する記述はこのBBSのものに限りません。 面白いと思ったものはどんどん紹介しましょう。 3:言理の妖精語りて曰く、:2007/05/14(月) 17:22:11 まずこれ。 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1169157549/61 以前「メクセトが神に負けたのは神の数を少なく見積もりすぎていたから」 という記述があったのだけど、それを逆手に取った形の記述。 七名の英雄というのがアルセス以外の紀神で、 この戦いで紀神たちが神の座を得た
少女マンガパターン分類講座 メーリングリストで連載している、少女マンガのモチーフに対する分析の講義です。多少の改訂もありますが、全面的な見直しはまだまだです。 この講義はあくまで連載であり、例えば前のほうでは後に見出した概念を使用していない等、一度に読んだらおかしい点は多々あると思います。その点を配慮の上お読み下さいませ。本当の意味で、全体を見つめ直して再構成する作業は後になります。 講義内では世情や社会制度などについてのコメントもありますが、それはすべて個人的な言葉です。特に小さいお子様はうのみにせず、一度疑って検討する習慣をつけましょう。 また、思索しながら書いているものをそのまま掲載しているので、例えば始めに結論がある、などの基本的な事も守られているとは言い難いです。書いている最中に出てきた結論めいたものを、分類作業の後に示す、それさえも幸運なのです。 序論 1-1 1-2 2-1
この記事は2007年5月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。 京都で活動するフリーの俳優・石本径代氏の「京都演劇界の現状とその展望」を拝読しました。京都の観客の方による「ぼんの備忘録」は、「ショックと言うか寂しい思いに」と感想を書かれています。 フリーの方の率直な気持ちとしてはわかりますが、「ぼんの備忘録」も指摘されているとおり、これはカンパニーに属しているかどうかでも変わるでしょう。オファーを待つフリーの立場だと、マスコミや公演自体の少なさが直接響きます。けれど、だからといって東京が絶対有利かと言えば、東京には関西の何十倍もの俳優志望者がいます。競争率で考えると、個性あるカンパニーに所属して存在感を示すことが出来れば、京都でもまだまだ道があると思います。 劇団衛星、MONO、ヨーロッパ企画のような例もあれば、地点のようにわざわざ東京から拠点を
なんかもう限界突破。私たちが「常識」として思考を停止させている部分をあえて掘り下げ、ありえないものとありえないものを関連付けさせて語るその御技。 だって掌編ひとつを丸々使った細胞の文学的描写とかですよ。しかも細胞視点。それで細胞の目を通して何が描かれているかというと実は「時間を越えた愛の物語」だったりして、読者の容量はもう早くもリミットブレイクです。ぴろぴろぴろぴろ。 ここまで一行一行をじっくり読まないと意味が理解できない文章を読んだのは初めてです。本当に、流し読めるような箇所がぜんぜん見当たりません。ひとつひとつの言葉がここまで重要な意味を持っているのは、私たちの持つ前提知識が通用しない世界を描いているからなのでしょう。 ただし、書かれている内容自体はたいへん筋道が通っています。つまり一文ずつちゃんと意味を取りながら読んでいけば十分読解できる作品でもあって、その論理の線形っぷりは凄いです
言葉が通じるというのは本当に不思議なことだ。耳に届くある種の音から意味を読み取れる。当たり前のことのようで、普段はまず気にしないことだろうけれど、最近よく思う。 外国人は当然、日本語と異なる音を日本語とは異なる法則に基づいて発生させる。勉強しないと意味なんて分からない。ただの音だ。ところが一度意味を拾ってみると、案外僕らと同じようなことを考えている。似たようなことを話す。 と、僕は思う。しかし、それは僕が勝手に彼らの発した音を理解した「つもり」になってるんじゃないか。自分に分かるように理解するのだから、似たようなことを話すのはむしろ当たり前である。 外国語を習い始めの頃は、本当に通じない。分からない。理解できるようになってくると、ひとえに嬉しい。分かった!と信じる。けれどこの頃思うのだ。実際分かってんのかな、本当に。 今から考えれば、例えば半年前なんて全然分かっていなかった。でも分かった気
昔から優等生だったので、自己顕示欲がものすごいわけ。でも、この年になると誰もちやほやしてくれないので、自分ってほんとに生きる価値あるかなーと思ってしまう。そもそも生きる価値って何だ? 生きたいから生きてるだけであって、価値求める必要ないよな? でも、生きたいかと言われたらそれも微妙。夢はもう叶わないし。いや、追い続けることはできるよ? でも、叶わない夢に一生をかけて堕ちるのって、自殺するのと一緒じゃん? 最終的には死んだも同然な生活になってると思うよ? 娯楽の空しさも知ってしまった。結局俺って、自己顕示を楽しんでたみたいなんだよね。テレビゲームも一人でやってもつまんない。上手くなって「すげー」って言われるのが楽しかったけど、この年になっちゃうと・・・ね。カラオケも、喉にポリープができて下手になっちゃったから駄目。映画見まくってオタクになってみたって、別に誰にも尊敬されないだろうし。 やべえ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く