あまりにも、教育に関する話が多すぎる。(因に私は教育大卒ではあるが、)大学の図書館にあったらいいなと思うような本です。ジャンル的には、『(身体なども含む)表現』『国語教育』『言葉』などに興味がある人にオススメです。ただし、現場の学校の先生がこの本を読んで速攻授業に取り入れられるかというと、疑問。おそらく難しいでしょう。しかし、ことばに関するものの見方や、教え方、学校で行う演劇指導のあり方、身体表現の仕方などについて考えさせられると思います。 一般的な社会人が読むとすれば、こんな所に興味を持つのでは? 筆者が考えるコミニケーションのあり方が書かれている本です。新しいコミニケーションの見方を教えてくれる箇所が何カ所かありました。→印象に残った言葉「コミニケーション教育は、人格教育ではない」という言葉には共感できました。そのほか、「協調性」ではなく「社交性」など。また「ダブルバインド」(よく、会
自分が就活をしていた頃、 企業が欲しい人材は、「コミュニケーション力」がある人でした。 これは、今もさほど変わっていないでしょう。 でも、この「コミュニケーション力」って、いったい何なのか? 疑問に思い始めたのは、仕事をして、暫らくたった頃でした。 それは、日本で(重宝される)「コミュニケーション力」とは、非常に協調性を重視しているのにも関わらず、 なぜか、求めるものは、自主性だったりします。自分の意見をしっかりと論理的に言える人 が求められているのに、現実では、相手と協調出来て、角がないコミュニケーションが 評価されている。これを著者は、ダブルバインド(二重拘束)と言っています。 つまり、あべこべです。言っていることと、実際って、違うでしょ!ってことです。 だから、少なくない人が、コミュニケーションに、期待をしなくなります。 平田氏は、「いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験
わかりあえないことからという優しい言葉に救われました。 いっきに読んでしまいました! すぐ読み直してしまいたくなるくらいです。
想田和弘監督の『演劇1』『演劇2』の公開が始まった。 オフィシャル・パンフレットにちょっと長めのコメントを載せたので、それを転載。 たいへん面白い映画なので、みなさん見に行きましょうね! 『演劇1』『演劇2』、まとめて5時間42分を三晩かけて見た。たいへんに面白かった。何がどう面白かったのか、手持ちの映画批評の用語ではうまく表現できない。そういう種類の経験だった。 私は何であれinnovativeなものに対しては基本的に好意的な人間である。自分がそこで経験したことを記述したり、人に説明したりするためには、新しい概念と新しい言葉を自分でつくり出さなければならないという切迫を愛するのである。まだ見終わったばかりの、興奮さめやらぬ状態で、この映画のどこが私に切迫してきたのか、それについて書いてみたい。 この映画の「成功」(と言ってよいと思う)の理由は二つある。 一つは「観察映画」という独特のドキ
自己中心性とは、自分と他人が区別できないことである。 共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である[4]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする[5][3]。 共依存という概念は、医療に由来するものではなく、看護現場サイドから生まれた[6]。共依存と呼ばれる前はCo-alcoholic(アルコール依存症の家族)と呼ばれ[7]、当初は「アルコール依存症患者との関係に束縛さ
幼いころよりアニメや特撮、そして大規模建造物などの絵を夢中で描いていたという。生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという[2]。高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている[2]。また、漫画少年でもあり、中学生のころは特に少女漫画を大量に読んでいた[3]。庵野の父親は若いころの事故で左足の膝から下を失っており義足であった。朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。 山口県立宇部高等学校での高校生時代には、美術部で部長を務めるほどの画力を有していた。アマチュア映像制作グループ「グループSHADO」にも所属し、自主制作の映像作品『ナカムライダー』が、文化祭
安野 モヨコ(あんの もよこ、1971年3月26日 - )は、日本の漫画家。株式会社カラー取締役。東京都杉並区出身、多摩市育ち。血液型O型。関東高校(現・聖徳学園高校)卒業。別名義に安野 百葉子(読み同じ)。 夫は映画監督の庵野秀明。同じ漫画家の小島功は伯父にあたる[1]。 来歴 高校在学中の1989年、『別冊少女フレンドDXジュリエット』7月号に『まったくイカしたやつらだぜ!』が掲載されデビュー。安野がファンレターを送り、返事が来たのがきっかけで、その後連載を持つまでは岡崎京子のアシスタントを務める[2]。 1995年から『FEEL YOUNG』で『ハッピー・マニア』の連載を開始(1998年7月にフジテレビ系でドラマ化)。『ハッピー・マニア』がドラマ化された同年5月より、『VoCE』にてイラスト&エッセイ作品『美人画報』の連載を開始。 2002年3月26日に庵野秀明と結婚。新婚生活を題材
ふとした瞬間に読み返したくなるマンガ、と言えば、安野モヨコ先生の「働きマン」。仕事とは、働くとは、に真っ向から切り込みつつ、底はあっても悲壮感がない感じが良いんです。28歳独身の女性編集者、松方弘子を主人公に置きつつ、各話でスポットライトが当たる人物や仕事感が移り変わる群像劇的お仕事マンガ。 今のアベノミクス的女性活躍を否定する気はないけれど、編集部に出てくる女性陣が、自分の女としての性を認めた上で、武器を持って真っ当に男社会と勝負してて清々しい。 男より断然男な松方もだけれども、女々した「働かないマン」の梶さんも、女の子感な「お姫さマン」の由美ちゃんも、一回悩みの通過点を超えてるんだなーという逞しさがあるんです。マユは、んーどうなんだろう?凄く主人公主人公した性格なので、このまま5年貫けるならそれは武器なのかな。難しいかな。 初読、学生時代だったんですが、学生時代読んだのと、働き始めて読
いつも時代の3年先というか、みんなが気がつく頃には自分の関心は薄れているようなことにアンテナを張って生きているのだけど、今年話題になったものでいうと、いわゆる「ポエム化」の話かなと思う。ブラック労働とポエムの相性がいいというのは、自分的には周知の事実だと思っていたし、だからこそクロ現の企画も受け入れられたのだと思うけれど、それにしてもあらためて映像化されて驚いたという人も多かったのだろうか。 いまの勤め先に入ってから、学生たちの関心もあって、それまで本格的に手を付けてはいなかった消費社会研究に取り組むことになったのだけど、そこで見えてきたものの中には、たとえば再魔術化やディズニー化といったショッピングモール論につながる話や、以前の自分の研究とつながる話なんかと並んで、『サブカル・ニッポンの新自由主義』で扱ったサービス労働と若者の自己意識の話の延長になる、「感情労働」などの現代的なサービスの
今年も静かに暮れてゆく。騒がしい地球において、日本は動乱状態に陥らず、日々安定して食べてゆくことができているのは、大きな幸福である。 太古以来、この〈食べてゆける〉ことが大課題であるが、その水準に日本は達している。しかし人間は〈物の生活〉が足りておれば、それでいいのであろうか。 ≪問われるべき「心の問題」≫ 物の生活と同時に〈心の生活〉がある。これを満たしてこそ真の幸福である。心はもちろん人間のあり方である。その眼で1年を顧みると異常な出来事が次々と浮かんでくる。虚偽-小保方実験や佐村河内作曲、虚言-吉田清治詐話宣伝の朝日新聞、虚妄-中韓の日本領土侵略の主張…。 さらに子への虐待、子殺し親殺し、学校の友人へのいじめや殺害といったおぞましい事件の数々。 それらには、表れた結果から動く治安の問題すなわち法の問題である以前、まずは、その動機にからむ心の問題すなわち道徳の問題を問うべきではなかろう
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