フランス中部ブッサク城の城主が、15世紀に織らせたと伝えられる6枚の華麗なタペストリーは、ジョルジュ・サンドが彼女の小説『ジャンヌ』(1844年)で絶賛したことで、政府によってパリに運ばれて修復され、今も当初の美しさを維持している、と信じられている。ブッサク城には「サンドの部屋」も保存されていて、彼女の長期滞在を思わせる。 タペストリーは、2013年に東京、大阪での「貴婦人と一角獣展」で開催中だが、それによってジョルジュ・サンドブームが起きたという話は聞かない。ショパンに絡んで名前だけはよく知られる小説家・詩人だが、訳本を入手するのは難しいので、本シリーズは貴重である。 サンドはロマン派の作家である。その意味ではリアリズムから始まる「近代小説」の前方にあって、「時代遅れ」と思われている向きもある。だが近代小説が行き詰まり、文学の行方が定かでない今、本書を一読した感想は、久々に「読書の楽しみ
道士、方士、巫祝、五岳、神仙道。 北斗七星、易、卜筮、本草、風水、奇門遁甲。 守一、存思、五斗米道、太平道、上清派。 タオイズムの歴史は神仙の伝承とともに古いけれど、 道教が発動したのは仏教東伝後のことである。 が、いったん発動したとたん、これほど多様に 特異な生命観を謳歌した信仰は、 世界宗教史でも民間民俗でもめずらしい。 そこには仙人から北斗七星までが、 老荘思想から太極理論までが、 風水から導引術まで、呂洞賓から媽祖まで含まれる。 しかし、まずは古代道教の基本的なアウトラインが 見えてこなければ、何もわからない。 葛洪の『抱朴子』とアンリ・マスペロの『道教』(平凡社東洋文庫)を手にしてこのかた、ぼくの手元にはざっと200冊以上の道教関係の本がたまっている。老荘関係や「気」や仙境をめぐる本を入れれば500冊をこえるだろうか。学術書もあれば入門書もあるが、まだ読みきれないものもたくさんあ
これから強み発掘する方へ これまでに、さまざまな既存の方法と、強み(を持つ人)の観察と分析の結果から、強みは「誰にでもある」ということがわかっています。 今、自分に自信が持てない人や、これからキャリアを選択する必要のある人は真っ先に強みから手をつけてください。 一般的な「能力」「リソース」「スキル」「人間関係」を先に行うと、本来の自分ではない物からスタートすることになり、後で疑問を感じることになります。 強み発掘をする習慣は、一生物です。皆さんが自分らしくありのままに振る舞い、満足できる手助けになれば幸いです。 強みコラムを読む
製造業は「価値」を提供するが、それが「モノ」である必要はない:製造業がサービス業となる日(1/3 ページ) 製造業が生産する製品を販売するのでなく、サービスとして提供する――。そんな新たなビジネスモデルが注目を集めている。サービタイゼーション(Servitization、サービス化)と呼ばれるこの動きが広がる中、製造業は本当にサービス業に近くなっていくのか。インタビューを通じて“製造業のサービス化”の利点や問題点を洗い出す。本稿では、サービタイゼーションを研究するペンシルバニア大学 教授モリス・コーヘン氏のインタビューをお伝えする。 製造業において「サービス」というとアフターサービスを考える人が多いだろう。そんな製造業のサービス機能をより広く、より深く展開し、サービスをビジネスの柱とする「サービタイゼーション(Servitization、サービス化)」と呼ばれる動きが広がりを見せている。サ
先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、
いま、朝の4時過ぎだ。6月の小雨がやまない。プラトンを書くことにした。いつかは書かなければならないと思っていたけれど、千夜千冊800冊目を前にして、すこし迷って『国家』を開いた。岩波文庫、藤沢令夫の訳だ。この著名な対話篇の最後に掲げられた「エルの物語」を田中美知太郎や山本光雄の訳文で読んでから、どのくらいの時がたったのだろうか。 30年ほどが花散るように走っていった。その途中、「エルの物語」をポオやボルヘスのように読んだと、そのころ『遊学』(大和書房→中公文庫)に書いたものだった。それからこっち、ぼくのプラトンをめぐる理解が深まったとは思わない。その後に『パルメニデス』に入って、そこで立ち往生させられていたからだ。あのパルメニデスの「一と多の問題」は、三浦梅園の「一即一一」とぼくの相似律理論とともに、いつか素手で掬いなおさなければならない。 そうなのである。プラトンを素手で読むことはなかな
「几帳面で腰が低い日本人の性格は好き。だけど、頭の固さは困ったもの」。 東京外国語大学で教鞭を執るスーダン人の国際政治学者、モハメド・オマル・アブディンさんは「マニュアル化した企業のシステムが、融通を効かなくしている」と指摘する。 12歳で失明したアブディンさんは1998年に20歳で来日。鍼灸を学ぶのが目的だったが、日本語をマスターした彼はそれだけでは飽きたらず東京外大に入学。大学院にも進んで2014年には博士号を取得した。現在は同校の特任助教を務めつつ、東京で3人の子を育てている。 マニュアルから外れると思考停止に 昨年秋、東京都内のとあるJRの駅での出来事だ。アブディンさんが、駅のタクシー乗り場がわからなかったので、駅員に案内と付き添いを頼んだところ、「会社のルールでできない」との返答。押し問答になったが、結局あきらめて帰らざるをえなかった。 「おもてなし」を自慢しても、マニュアルから
よく表現として使われているサービス・接客・接遇、そして「おもてなし」という言葉ですが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか? 「マナー」は、英語 manners行儀作法です。ラテン語で手を意味するマヌス(manus)からきています。「相手に不快感を与えないための最低限のルール 」です。 それに対して、「サービス」は、英語 serviceで、「奉仕する・仕える」という意味です。語源はラテン語 servitus (セルヴィタス)、意味は「奴隷」です。 サービスは「奴隷」の語源の通り、サービスを受ける側、お客様が主であり、お客様に接客しサービスを提供する側が従となります。 このように、サービスは主従関係が明確にされ、サービスに対しては対価が発生します。サービスは「いつでも、どこでも、誰にでも」すべての人を対象とした概念です。 また、サービスは「人・モノ・お金」の3つに分類することができます。
ソフィスト(英: Sophist, 古希: Σοφιστής, Sophistēs, ソピステース)は、古典期ギリシア(前5世紀から前4世紀頃)のアテナイを中心に活動した、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家の総称。 ギリシア語に忠実な読みはソピステースである。語源としては「賢くする」を意味する動詞「ソピゾー」(σοφίζω)から作られた名詞であり、「賢くする人」「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」といった意味がある。代表的なソフィストに、プロタゴラス、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコスがいる。彼らの同時代人にソクラテスがいる。 時代背景[編集] ソロンの立法(紀元前594年)、クレイステネスの改革(紀元前507年)を経てアテナイには民主制が形成される。この世界史に初めて登場する民主制は、従来の有力・富裕氏族による独裁を防ぎ、選挙・抽選によって国民(女性・未成年・
『花の乱』(はなのらん)は、1994年4月3日から同年12月11日にかけて放送された33作目のNHK大河ドラマ。主演は三田佳子。全37話。 概要[編集] 平安建都(遷都)1200年を記念して室町幕府第8代将軍・足利義政の妻である日野富子の生涯と、応仁の乱およびその前後の状況を描いた。 近時代には1991年の『太平記』後半が室町幕府初期となるものの、南北朝時代や戦国時代との重複期間を除いた純然たる室町期を正面から舞台とした作品は、これが初の試みとなった[1]。主演役者がナレーターを務める作品は現在まで本作のみ。 12代目市川團十郎にとって1985年の團十郎襲名以来、初のNHKドラマ出演になった。また野村萬斎も本作の放映が始まる1か月前に「萬斎」を襲名したばかりだった(そのため放送前のテレビ雑誌では野村武司名義である)。このドラマで本格テレビデビューを果たした松たか子・13代目市川團十郎(当時
『花神』(かしん)は、1977年1月2日から12月25日まで放送されたNHK大河ドラマ第15作。主演は中村梅之助。 周防の村医者から倒幕司令官に、明治新政府では兵部大輔にまで登りつめた日本近代軍制の創始者・大村益次郎を中心に、松下村塾の吉田松陰や奇兵隊の高杉晋作といった、維新回天の原動力となった若者たちを豪快に描いた青春群像劇。司馬遼太郎の小説『花神』(主人公:大村益次郎)、『世に棲む日日』(主人公:吉田松陰と高杉晋作)、『十一番目の志士』(主人公:高杉晋作と天堂晋助[注釈 1])、『峠』(主人公:河井継之助)、『酔って候』の「伊達の黒船」(主人公:伊達宗城と前原巧山)の五作品を、脚本家の大野靖子がドラマ化した(前記以外にも『燃えよ剣』等の司馬作品からの引用も散見される)。 企画・制作[編集] 本作は1973年の『国盗り物語』とチーフとセカンドのディレクター、脚本家、音楽監督が共通し、『国
第九回和辻哲郎文化賞 学術部門 受賞作 小野 清美 著『テクノクラートの世界とナチズム ―「近代超克」のユートピア―』 (1996年7月10日 ミネルヴァ書房 刊) 小野 清美 おの きよみ 昭和23年(1948)生まれ。徳島県出身。 専攻は、ドイツ近現代政治史政治思想。東京外国語大学、東京都立大学人文学部卒業。名古 屋大学法学研究科博士課程後期中退。ビーレフェルト大学・ミュンヘン大学留学。大阪外国 語大学外国語学部教授(受賞時)。現在、大阪大学大学院法学研究科教授。著作は、『保守革 命とナチズム―E・J・ユングの思想とワイマル末期の政治』、論文に「ヨハン・プレンゲ の 『戦争哲学』と社会主義論」(『近代世界システムの歴史的構図』所収)、翻訳に、ポイカー ト『ウェーバー 近代への診断』(共訳)、『ナチズムの歴史思想』(共訳)、他がある。 受賞のことば 身に余る賞を賜り大変うれしく光栄に存
「数学のできない人間は、完全には人間ではない。」 ──ロバート・A・ハインライン「愛に時間を」 自然科学を重視することを「左派的属性」だとする考え方があり、当の左派のみならず、ある種の保守派からも(進歩主義批判のような否定的な意味で)言われることがある。しかし、これは俗説だろう。 「知は力なり」とは、フランシス・ベーコンの思想とされるが、ベーコンはまさにこの意味において自然科学を重視し、伝統的な学問の実効性の乏しさを批判したのだった。一方、政治家としてのベーコンは、政治倫理のもつ実効性を疑い、しばしば権謀術数を肯定する面を持っていた。 自然科学それ自体には、政治的価値判断は含まれないとしても、生身の人間が、科学を自分の専門として選択するということは、近代科学の始まりの時から、すでにある種の政治的選択と関係していた。それは、オタク文化が、ときおり美化されるような、子供のように純粋な趣味や美の
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