以下の議論へ感情的な反論と理性(論理)的な反論の双方を書いて下さい。 A1.人間は外部世界(外部)を認識する A2.外部は認識によって内部世界(意識、内部)に現れる A3.外部の認識はいつも不完全である C-1:内部化された外部は外部そのものではない B1.外部の如何なるものも内部によってのみ制作されうる B2.内部によって制作されたものは、外部のそれと比べて差異は無い(eg 夢) B3.他人は外部の一つの物事である B4.よって内部によってのみ制作された他人と、外部のそれに差異はない B5.内部によってのみ制作された他人への感情(愛)と、外部のそれへの感情(愛)に差異はない C-2:内部(虚構)の他人への愛と、外部(現実)の他人への愛は同一である C1.同一の質的な面で二つの物事の一方が勝っている情況において、人間ならば質的に勝る方を取る C2.内部で制作されたものは、理解という質的な面
神はいる、と論理的に説明できるかた、お願いします。 感情論、妄信的説明はご遠慮ください。また、おそらくほとんどにこちらから反論の予定ですので、その心づもりでご回答お願いします。ちなみに反論はしていても、それは敵対の意志でも宗教を否定する意図でもありませんので、そこは予めご理解ください。ただ、つきつめたいだけです。それに感情的にならずにおつきあいいただける方のみ、お願いします。
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