中田 考(なかた こう、1960年〈昭和35年〉7月22日 - )は、日本のウラマー、実業家、ライトノベル作家。株式会社東講(旧・カリフメディアミクス)代表取締役社長。東講は矢内東紀が運営するリサイクルショップ ピックアップ [1][2]などを展開している。哲学博士。食品衛生責任者。 元同志社大学客員教授。元同志社大学一神教学際研究センター客員フェロー[3][4]。元同志社大学アフガニスタン平和開発研究センター客員上級共同研究員[5]。元同志社大学教授。 名前[編集] ムスリム名はハサンで、カイロ大学の博士号認定証にはハサン考中田(ハサン・コウ中田、ハサン・コウ・ナカタ、アラビア語: حسن كو ناكاتا、英語: Hassan Ko Nakata)と記載されている[6]。 他にハサン中田(ハサン・ナカタ、アラビア語: حسن ناكاتا)あるいはハサン中田考(ハサン・ナカタ・コ
――「イスラム国」指導者のバグダディ氏がカリフ(預言者ムハンマドの後継者の意で、イスラム国家最高権威者の称)を名乗った。 中田 彼らは建国宣言で、「イスラム国は『イスラムのカリフ制』であり、アブー・バクル・バグダディ氏は全ムスリムのカリフである」と宣言した。ただ、カリフについては「恐るおそる言ってみた」という感じであった。やはりあれは「イスラム国」であり、カリフではないと言ってもいい。 ――彼ら自身もカリフであるということを強く主張はしていないということか。 中田 大して強く主張していない。一応カリフと言ってみたというところ。イスラム法上の正当性があったとしても、認められるかどうかは別なので。彼らは「多分これは認められないだろうな」と思っている。ただし、私は一応カリフの依頼を受けたということで、今回の渡航費も全額自分で支払った。空爆の関係で現地到着後、3日間放置されて、やっと伝令が来
中田 考(なかた・こう)氏 カリフメディアミクス代表取締役社長、同志社大学高等研究教育機構客員教授、イスラム学者(c)Takashi Suga 「イスラム国」に戦闘員として渡航計画を企てていたとして、10月6日に北海道大学の男子学生が警視庁公安部から事情聴取を受け、東京都杉並区の宿泊先などの家宅捜索を受けた。小誌は、この学生の渡航支援を行ったとして、同じく事情聴取と家宅捜索を受けた中田考氏に9月24日の段階で接触していた。9月に現地を訪れたばかりの中田氏が語る「イスラム国」とは――。 * * * Wedge編集部(以下、――)なぜ「イスラム国」へ行ったのか。 中田考氏(以下、中田)9月上旬に「イスラム国」に招かれ、シリア国内の彼らが支配する地域へ行ってきた。「(編集部注:8月にシリアでイスラム国に拘束されたとみられる)湯川遥菜氏の裁判をしたい。公正に裁きたいと思うのだが、英語も通じず
東京電力福島第1原発事故後、初めてとなる福島県知事選が9日、告示され、新人6人が立候補を届け出た。 現県政を継承する前副知事の支援を自民、民主両党などが相次いで決め、実質的に主要政党相乗りの構図となっている。投開票は26日。 立候補したのは、いずれも無所属で、前副知事の内堀雅雄氏(50)、前福島県双葉町長の井戸川克隆氏(68)、牧師の五十嵐義隆氏(36)、元岩手県宮古市長の熊坂義裕氏(62)、コンビニ店長の伊関明子氏(59)、建設会社社長の金子芳尚氏(58)の6人。
中東の過激派組織「イスラム国」に北海道大の男子学生(26)=休学中=が戦闘員として加わろうとしたとされる私戦予備・陰謀事件で、古書店関係者から学生を紹介された元大学教授が7日、朝日新聞の取材に応じ、「『イスラム国』の知り合いの司令官と連絡を取り、学生のシリア渡航計画を伝えた」と話した。 警視庁公安部の事情聴取に対して、学生が「元教授から『イスラム国』はあなたを歓迎している、と言われた」と話していることも判明。公安部は元教授が実際に「イスラム国」側に仲介したとみている。 取材に応じたのは、イスラム法学が専門の元同志社大教授、中田考氏(54)。イスラム思想の分野では国内屈指の研究者で、昨年3月以降、調査などで5回、「イスラム国」の支配地域に入り、現地の様子を発表している。 中田氏の説明では、シリア渡航希望者の求人をしていた東京・秋葉原の古書店関係者の紹介で、8月初旬に学生と面会。学生は「
シルビア、マークⅡ、スープラ……。懐かしい日本の中古車が、ロシアのモータースポーツで活躍している。フィギュアスケートのように、走りの華麗さを競う「ドリフト」競技で、手頃な価格と運転のしやすさが人気の秘密だ。 「3、2、1」。カウントダウンが終わると同時に2台の車が猛烈な勢いでスタートした。日産自動車のシルビアとスカイライン。ともに10年以上前の車だ。カーブに来ると、並んだまま車の後部を大きく振り、斜めになって曲がって行く。タイヤが路面と擦れ、大量の煙が舞い上がった。 ロシア極東のウラジオストク郊外で9月19~21日に開かれたドリフトの大会。レース場には、1990年代を中心に、日本の名車がずらりとそろった。その多くが、すでにカタログから消えて久しい名前だ。 一番人気はシルビア。地元選手の上位16台中、7台を占めた。チブチャン選手(28)の愛車は99年式。10年前、静岡県で数十万円で買った。鮮
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