ブックマーク / enpy.jp (18)

  • 今日も休んだ。 - 躁鬱の随に。

    今日も1日休んでいた。 今日は昨日より増して休めた。 休める時に休むのはやはり正解だ。 休み足りないような気分は緩和された。 自習の習慣が途絶えて一週間が経つ。 そろそろ習慣を復活させたいところだ。 以前のような習慣に対する焦りも無くなった。 習慣に対するプレッシャーも、今回の停滞の原因だったのだと思う。 心持ちを一転させた今、また新たなサイクルで再開させたい。 停滞期に入って休みをとり、再スタートの準備が整った。 息を切らさぬよう、ぼちぼちで取り組んでいきたい。

    今日も休んだ。 - 躁鬱の随に。
  • 見通しが立つ。 - 躁鬱の随に。

    今日を終えた。 今日は予定通り午後から二つ目の式場を見学した。 さらに時間があったので、兼ねてから考えていた新しい眼鏡の作成と、屋への買い物を済ませた。 午前中は自習及び読書ができなかったものの、やろうと思っていたことが一通り済んで満足している。 考えてみたが、自習の習慣は時間帯を決めて毎日それぞれこなすと言うよりも、空いた時間に気のむく習慣にコツコツ取り組んでいく方が、気にあってるかもしれない。 取り組みたい習慣は5、6個ある。 かいつまんで取り組む方が、予定に柔軟性が効き、できなくてもいちいち気に病むことがない。 Webライティングについても、諦めるのは勿体無く思っていたので、この手法で満遍なく取り組む手法をとってみようと思う。 時間が来たらやると言うよりも、空いた時間を埋めるように能動的に取り組む姿勢が身につくことを図る。 一月上旬も終わり、やることが再び見えてきた。 見通しが立っ

    見通しが立つ。 - 躁鬱の随に。
  • 無自覚な鍛錬。 - 躁鬱の随に。

    今日は午前中にお参り一件こなし、その後堂の拭き掃除。昼からは荘厳の飾り付けを行った。 今日の仕事は13時半には終わり、それからは体を休めていた。 今週は山場だ。しっかり体を休ませながら臨みたいと思う。 最近の生活の出来は50%くらいだと思っている。 及第点には10%ほど足りないが、それでもここまで来れてよかった。 一時期仕事の出来なかった頃の満足度は20%くらいだったから、そこから考えると進歩した。 やはり不満のない生活には80%くらいの満足度が必要なのだろう。 当面そのクオリティは目指したいが、当然いい時もあれば悪い時もあるわけで、やはりアベレージ60%を目指すのが妥当かなと思う。 如何せん僕の生活には波がある。 高い満足度を目指して根気詰めすぎるとで地獄を見る。 自分の気持ちと折り合いをつけながら、無理なく自分のペースでベストを尽くしたい。 しかしこれまでの生活で、精神力というのか

    無自覚な鍛錬。 - 躁鬱の随に。
  • 充電完了。 - 躁鬱の随に。

    今日で10月が終わる。 この10月は十分に休みを取ることができた。 そして、10月下旬からエンジンをかけ始められた。 思えば9月から週休2、3日くらいで体を動かすことが叶っている。 今日の通院で減薬継続の許可が出たし、体調は良好だ。 繁忙期もこまめな休みを挟みながら頑張ろうと思う。 頑張ろうと思えることは休息の十分にとれた証だ。 繁忙期といっても、週に2、3日ほど一日5、6件のお参りが集中しているだけのようなので、場合によっては隙を見てやりたいことを消化できればと思っている。 Webライティングと勉強が直近の課題だ。 これらの習慣化が叶えば言うことなし。 来年の引き継ぎまで半年を切っている。 自分の時間を割けるうちに習慣化を進めたい。 生活リズムは理想に近づいていっている。 後はどれだけ中身を充実させられるか。 根気詰めることなく、のんびりと取り組んでいきたい。

    充電完了。 - 躁鬱の随に。
  • この先の礎。 - 躁鬱の随に。

    今日を終えた。 昨日の就寝前に蕁麻疹が出ていたこともあり、午前中いっぱい体を休めていた。 午後からはやりたいことを消化する予定だったが、明日に初めての一人葬儀が入り、その準備に追われた。 葬式は、いつものお参りや法要とは様式が異なる。 一通りの準備は終わったが、緊張している。 いずれ乗り越えなければいけない懸念ではあったため、僧侶生活2年目にしてちょうどいいタイミングだった。 これを終えれば、一通りの法務を経験したことになる。 明日の経験が、この先の礎になるはずだ。 気を引き締めて頑張ろうと思う。

    この先の礎。 - 躁鬱の随に。
  • 気を休める。 - 躁鬱の随に。

    今日は一日休みに充てていた。 午前中から日中にかけては若干、躁が入って休みづらかった。 夕方になって、ようやくシフトダウンした感じだ。 それでも、やりたいことをやりながら休息することができた。 思いっきり生産性のないことを楽しむのも悪くない。 まだ頑張れるような時でも、週に二日の休息を入れるようにしている。 疲れで動けなくなる前に、疲れを自覚する以前に休みを入れるのがポイントだ。 徐々に体が動けるようになってきている。 無理のないよう、体を慣らしていきたい。 明日はやっておきたいことを消化する一日とする。 また活動的にこなせるよう、今夜はしっかり気を休めようと思う。

    気を休める。 - 躁鬱の随に。
  • 京都の念珠と婚約。 - 躁鬱の随に。

    ただいま京都から帰ってきた。 朝5時半に起き、高松まで車を走らせ、そこからバスに揺られての日帰りだった。 今回は、プロポーズした彼女から、婚約指輪のお礼の品として、念珠を買ってもらえるということで訪問した。 あらかじめ目星をつけていたいくつかの念珠屋さんは当てが外れ、たまたま通りがかって入ってみた念珠屋がしっくりきて、そこで買い求めた。 そこでは念珠のオーダーメイドを受け付けていた。 念珠の玉と飾りの素材、紐を自由に組み合わせることができる。 紐に関しては色を選ぶだけでなく、紐を組むときのパターンまで相談できた。 出来上がりが楽しみだ。 店内は色調の落ち着いたモダンな雰囲気で、落ち着ける空間。 京都下京区の「八木仏具店」というお店だ。京都へ行かれる方はぜひ寄ってみてほしい。 今日作成をお願いした念珠は、十月の結納でお披露目となる。 これでいよいよ婚約が確約する。 婚約が確定した後は、結婚

    京都の念珠と婚約。 - 躁鬱の随に。
  • それなりの愛着。 - 躁鬱の随に。

    今日も一日を終えた。 今日は早朝から台風通過後の落ち葉拾いに勤しみ、溜まっていたやりたいことを朝から夕方までやり尽くした一日だった。 やはり朝早くに体を動かすのは、一日の充実の鍵だ。 これからも早朝の境内掃除は続けたいと思う。 そして、車が車検から帰ってきた。 思ったより早かった。 帰り際、車に乗り込むと、にんまりしている自分がいた。 母親からのお下がり、元々は中古レンタカーの日産ノート。 使い込まれたお古とはいえ、それなりに愛着があったらしい。 そこにはいつもの空間があった。 ゆとりある空間に、ラジオが響いた。 相変わらず走り出しはとろいが、安定した走りを見せてくれた。 明日は、京都に発つべく早朝に高松まで走らせる。 思えばこのノートとの付き合いもちょうど一年が経つ。 廃車になるまでとことん付き合うと思う。

    それなりの愛着。 - 躁鬱の随に。
  • 台風前夜。 - 躁鬱の随に。

    今日は午前中に高松へのお参りが一件。 それが終わるとぼちぼちゆっくりしていた。 台風が世間を賑わせている。 香川への影響のピークは明日。 すでに強風が吹き荒れている。 寺の無事を祈るばかりだ。

    台風前夜。 - 躁鬱の随に。
  • 自責の念からの脱出。 - 躁鬱の随に。

    今日を終えた。 朝から一件、夕方から一件のお参りだった。 昼過ぎには筋トレに着手できた。 やりたいことを成し遂げられた一日はあっという間だ。 これまで自責の念と共に過ごしてきた時間が報われる。 とにかく気持ちを切り替えて行動に起こすことは、根気がいるがやる価値がある。 やらない後悔よりやる後悔というのは当にその通りで、何より行動できなかった自分を責めずに済む。 行動の数だけ自分を変えられる。 しかし、問題は行動できなかった時だ。 順調に行く日もあれば、そうでない日も必ずある。 しかし、一日何もできずに横になっているような日でも、何か一つでも小さな行動を起こすことは突破口になる。 一日横になるというのも必ず飽きがくる。 その飽きに、すかさず行動を挟み込むのが気持ちを切り替えるコツだ。 そのために、あらかじめ行動につながる小さなステップを用意しておく。 中でも、「とりあえずを手に取る」とい

    自責の念からの脱出。 - 躁鬱の随に。
  • 理想に拘束され、将来を焦る自分への戒め。 - 躁鬱の随に。

    今日は午前中に車の車検があった。 一日車検コースに申し込んだが、部品取り寄せの修理が必要で、最低でも一週間はかかるとのこと。 代車が無料で借りられたのが幸いだった。 明日は午前と午後に一件ずつお参りがある。 明後日は再び高松まで往復二時間のお参りだ。 慣れない軽自動車での行き来になる。 ここのところの運転の慣れに、気を引き締めなくては。 車検が終わると一日のんびりしていた。 当は色々と消化したかったのだが、仕方ない。 読書が捗ったのでよしとする。 このところ「やらねば」の焦りが薄れてきている。 できていることに目を向け、その日の「やりたいこと」ベースで動くことが、少しずつ叶っている。 「やらねば」に囚われると、理想に拘束されてしまう。 今ある理想を叶えても、次の理想に追われる。 結局それは、今を生きることから遠ざかる。 理想を追う生活を続けていると、今ある自分が認められなくなる。 将来を

    理想に拘束され、将来を焦る自分への戒め。 - 躁鬱の随に。
  • 夜間ドライブ。 - 躁鬱の随に。

    今、高松での講座を終えて丸亀に戻り、一息ついている。 相変わらずの車で往復二時間+実家から自転車で往復30分。 二時間の講座に対し、手間と時間がかかっている。 しかし、夜の静けさを走らせるドライブというのも悪くないように思った。 日中いつもかけているラジオを切ると、静けさに際立つエンジンや車の駆動音に癒された。 何か自分より大きな存在に包まれたような感覚だ。 通い慣れた道も、サイネージライトに彩られ新鮮だった。 久々に夜の良さを味わった。 次はカブでの夜間ツーリングを夢見ながら、床に着きたいと思う。

    夜間ドライブ。 - 躁鬱の随に。
  • 筋トレのススメ。 - 躁鬱の随に。

    今日は午前中に個人的な雑務をこなし、午後は足の筋トレを行った。 筋トレは全身メニューを三分割し、大体二日おきに行うようにしている。 腕・肩・胸。腹・背。足。といった塩梅だ。 数えてみるとこなしてるメニューは全25種類。 一種目につき三セット。 これらの消化には、一日あたり一時間ほどの時間がかかっている。 筋トレをするのが億劫な時もある。 やりたくない時はやらない。 無理してやって続かなくなるよりも、断続的な継続の方が大切だ。 仕事の繁忙期も、筋トレには手をつけない。 1ヶ月ほどの期間が空いてしまうが、きちんと栄養を取っていればさほど筋量が失われることはない。 むしろまとまった休息の期間が、休み明けのパワーになる。 いつ取り組めるかわからないだけあって、筋トレできる時間というのは貴重だ。 やるからには、とことんやるようにしている。 段々と筋トレに関する知識もついてきて、自分なりの筋肉の付け方

    筋トレのススメ。 - 躁鬱の随に。
  • 自分時間。 - 躁鬱の随に。

    今日は診察日だった。 特に変わりがないことを主治医に報告できた。 薬も変わらず。 香川に戻って半年過ぎたあたりから今まで、安定が続いている。 このところは日々安定感が増しているとすら感じる。 生活の慣れ、仕事の慣れに加えて、日々何かしら自分のために行動できていることが大きい。 些細なことでも、自分のために時間を費やすことは生活満足度を上げるに欠かせない。 自分時間は生活の質を上げる。 どこまで行っても自分の人生。自分のために生きるのが自然だ。 他がために生きることは尊いが、自分を蔑ろにしていては命が削られる。 自分を満たして初めて、他者を満たすことができる。 自身の自立抜きで他者を支えていては、共倒れになる。 自分の力で自分をケアすることは、社会を生きる上で欠かせない。 自分なりの癒し方を少しずつ身につけることが求められる。 自分時間を「我がまま」に過ごすこと。 セルフケアの極地は、孤独に

    自分時間。 - 躁鬱の随に。
  • 傾聴できる僧侶。 - 躁鬱の随に。

    今日は、高松での講座に赴いていた。 講座名は、「いのちの電話相談員養成講座」。 今年の春に申し込み、六月から始まった。 自死問題が他人事と思えず、また人の心に耳を傾ける仕事に憧れていたこともあり、大学時代に興味を持った。 学生の時に参加できればよかったが、香川に戻ることはすでに決まっていたため、地元に戻ってからいのちの電話香川支部へ掛け合った。 元々臨床心理学系の授業に興味を持って履修していたこともあり、講座内容はどれも自分の関心を引くものばかりだ。 臨床心理士や、福祉に携わる人、心療内科医など、現場に立ち会っている方ばかりがローテーションで講義してくださるので、毎回中身が濃い。 現場ならではのこぼれ話を聞くのが大変勉強になる。 いのちの電話相談員になれたなら、僧職との掛け持ちになる。 月に2回、一回四時間ほどのボランティア。 人の痛みを知るというのは、それだけで自分のかけがえのない経験と

    傾聴できる僧侶。 - 躁鬱の随に。
  • 本心に従う。 - 躁鬱の随に。

    今日は、昨日の1ヶ月ぶりの筋トレの疲れに根負けしていた。 午前中から横になり、昼からは「これではいかん」とを齧っていた。 その中で印象的な一文があった。 「心の葛藤は、それだけでエネルギーを消耗する。」というものだ。 これを読んで、これまで休んでいるはずなのに気が休まらない理由は「心の葛藤」にあったのではないかと思い当たった。 やりたいけどできない。 休みたいけど休めない。 そんな相反する二つの情動にエネルギーを吸い取られていたのではないかと思うのだ。 今まで、やりたいことをやらないことが躁を抑えるコツと思っていたが、確かにそれで気が休まらないなら意味がない。 結局は、自分の気持ちに素直になり、やりたいことをやるのが健全ということだろうか。 逆に言えば、やりたくないことはやらない。 ただでさえ普段の仕事で耐えているのに、プライベートなことまで我慢する必要はない。 「やるべき」ではなく、「

    本心に従う。 - 躁鬱の随に。
  • こだわった愛用品。 - 躁鬱の随に。

    今日も一日休み。 のんびり体を休めることができた。 今日はお参り用のカバンが届いた。 A4サイズのアタッシュケースのような作り。 父親の持っているものを参考にした。 J.C.Hamiltonとかいう日製のカバンだ。 値が張っただけあって、しっかりとした作りをしている。 カブのラゲージボックスにもギリギリ入った。 寸法がギリギリだったので、入るかどうかは賭けだった。 今後のお参りの愛用品になると嬉しい。 僕はものに対するこだわりが強いほうだ。 ものにこだわりを持つと愛着が湧く。 それだけ、物持ちがいい。 部屋を見渡すと思い入れの品に溢れている。 捨てるのが勿体無いというよりも、元々自分が気に入っただけに捨てるという発想が湧かない。 不思議なもので、使わなくなったものでもひょんなことからレギュラー入りし、なくてはならなくなることがよくある。 捨てることになるのはいつも、中途半端な熱量や衝動買

    こだわった愛用品。 - 躁鬱の随に。
  • 一年を振り返って。 - 躁鬱の随に。

    今日で丸亀の寺に戻ってちょうど一年が経つ。 この一年でだいぶ心境の変化があった。 当時は進歩がないように思い過ごしていたが、振り返ってみると、ひと月ごとに新しいことに挑戦していて、それなりの進歩があったように思う。 短期的にみると一進一退だが、長期的に見てればそれなりに進んでいるものだとわかった。 成長に焦りは禁物だ。 寺に来て最初の1、2ヶ月は生活に慣れるので精一杯だった。 生活に慣れ始め、環境が整いだすと、報恩講での初めての父と二人でのお参りが始まり、それが終わると住職になるための教師講習へ通い出した。 年が明けるとWebライティングを始め、描いた絵や作曲した曲などの創作物を、オンラインで公開する環境を整えた。 春にはバイクの教習所に通い、それが終わると教師教習への準備が格化し、五月末から六月上旬までの10日間、教師修礼のため西山別院へ籠った。 教師教習が明けると、彼女へプロポーズし

    一年を振り返って。 - 躁鬱の随に。
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