ブックマーク / kwsk.hatenablog.jp (21)

  • 肉をハサミで切る - だいたいは日々のなんでもないお話

    日(2022年3月10日)の『東京新聞』朝刊にこんな記事を見つけた。 「生活雑貨メーカーのマーナが〈料理のハサミ〉を発売した」 「調理時に肉をハサミで切る人が多いことがわかり……刃先を細く薄くし、筋切りなど細かい作業をしやすくした」とのことである。値段は1980円。 肉をハサミで切る人が多いって、……そうなんだ〜。わたしは知らなかったが、最近の若い人はそういう人が多いのであろうか。ということは、包丁を持っていないということなのであろうか。 ハサミは、袋を切り開いたり、昆布を切ったりするのには使うけれど、肉ですか。ひょっとして、包丁よりも切りやすいのかもしれないが、当のところどうなのであろうか。今度試してみようかとも思わないでもないが、うちのハサミはそんなに切れ味よくない気がするし、ちゃんと包丁があるから、ハサミで切るなどという事をする必要もないように思うのだが、どうしたもんであろうか。

    肉をハサミで切る - だいたいは日々のなんでもないお話
  • おあずけの新酒ようやく呑めにけり - だいたいは日々のなんでもないお話

    東京都のコロナ禍による緊急事態宣言が解除された。そして、禁じられていた飲店でのお酒の提供が、可能になった。 わたしは以前、「アルコールが消えた」というタイトルで、わたしがお昼をべるためによく行く堂でアルコールの提供がなくなった話を書いた。ある人々にとっては、ささやかな楽しみを奪われたのである。 kwsk.hatenablog.jp で、緊急事態宣言が解除されたことによって、その堂でもお酒が無事に飲めるようになったわけである。めでたしめでたしである。 ところで、この堂はなぜかお昼どきに、ビールや焼酎や日酒を飲みながらお昼をべているお客さんが、結構いるのである。しかも緊急事態宣言中に飲めなかったものだから、なんだかいまは以前よりも飲んでいるお客さんが増えているように思うのだ。みなさん、やっぱり結構我慢を強いられていたのである。その反動であろう。 先日、カウンター席に座っていたわた

    おあずけの新酒ようやく呑めにけり - だいたいは日々のなんでもないお話
  • スマホ見て本は無けれど読書の秋 - だいたいは日々のなんでもないお話

    最近の絶滅危惧種の絶滅の原因はスマホであることが多い。携帯電話は最近はスマートフォンと呼ばれているが、名前の通り基は「携帯可能な電話機」であるから、これが普及すれば、その他の電話機が駆逐されるのは当然、時間の問題である。 実際、公衆電話はほとんど消えたといっていいのではないだろうか。災害時などの緊急時のインフラとして備えておく必要があるため、絶滅は当分しないとは思われるが、実際に使用されることはほとんどなくなったと言っていいのではないだろうか。わたしも、もう、最後に公衆電話を使ったのがいつのことだったのか、思い出せないほど昔のことになっている。 そして、公衆電話の次は、固定電話であろう。じっさい、若い人の住まいにはもはや固定電話というものは最初から持っていないということが多いのではないだろうか。携帯電話があれば、固定電話がなくてもまずこまらないだろうから。 かくいうわたしのうちにも、じつ

    スマホ見て本は無けれど読書の秋 - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 新酒飲み本を開けば夜も更けて - だいたいは日々のなんでもないお話

    前回、大阪の小さな書店、隆祥館書店の二村さんという書店主の紹介記事について書いた。 kwsk.hatenablog.jp その記事には、こんな、小さな書店の抱える問題についての記述もあったのである。 「ランク配という制度があります。は取次という卸会社から各店舗に配分されるんですが、この時に月商と売り場の面積によって配される冊数が決まります。うちのような小さな書店は、その時点で不利。 以前、見を読んだ段階で「売れる」と判断し、発売前からたくさん予約注文を取ったがありました。当店が何度も週間の売上数全国一位を記録したのですが、文庫化された時の配はまさかのゼロ。 もちろん取次会社の中にも現状を変えようと奮闘してくれる人もいますが、制度自体は何も変わっていません。せめて著者別の販売実績を配に反映してほしいです。〈この屋さんはこの作家さんが得意〉というふうに個性が光ってる方がお客さん

    新酒飲み本を開けば夜も更けて - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 秋の雨本屋に入ればいつか晴れ - だいたいは日々のなんでもないお話

    日の『東京新聞』朝刊の「あの人に迫る」に、大阪の書店主が登場していた。わたしは仕事に関係する者なので、これは読まなくてはと思い、読んだところ、なかなかよかった。わたしにとってかなり感動的な内容であった。 記事のタイトルはこうである。「出会い生み出す 屋さんは宝箱」。 出会いというのは、と人の出会いであろう。これはきっと店主の体験であり、願いなのだと、わたしは思う。 その書店というのは、大阪市の隆祥館書店という店で、広さは13坪、43平方メートルということであるから、小さい書店である。ここ20年くらい、これくらいの大きさの駅前の小さな書店がどんどん潰れていることを憂いているわたしとしては、とてもうれしい気持ちでこの記事を読んだ。創業した父親のあとを継いだ二村知子さんという娘さんがすごく頑張っている話なのである。 atta2.weblogs.jp もちろんこの書店だって、いまの世の中

    秋の雨本屋に入ればいつか晴れ - だいたいは日々のなんでもないお話
  • バイオマス発電できて扇風機 - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは、再生可能エネルギーのことをこれまでに何度も書いてきた。基的には、わたしは再生可能エネルギーには大賛成である。 その、再生可能エネルギーの一つに、「バイオマス発電」というものがある。「バイオマス」というのは、化石燃料以外の生物(バイオ)由来の再生可能資源のことで、そういう物を燃やすなどして蒸気などを作り出し、それでタービンを回して発電する発電方法のことである。 再生可能資源を使って発電するので、再生可能エネルギーである。日には木がいっぱいあるので、建築材として使えないような、たとえば間伐材などを燃やして発電するのが、日においてのバイオマス発電の主流だろうと、わたしは思っていた。 それはそれで、発電量の確保のために、木を伐りすぎてしまうという問題が起きる可能性があると思うのだが、それよりも、効率最優先のために、わざわざ遠くの熱帯林から燃やすための木材を運ぶというようなことも起き

    バイオマス発電できて扇風機 - だいたいは日々のなんでもないお話
  • コロナ禍に発酵食あり打ち水や - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは、きょう、人生で初めて「マグロ納豆」というものをべた。 わたしは、発酵品はだいたい好きなのである。ぬか漬けも、キムチも、味噌も、ヨーグルトも、チーズももちろん大好きである。日酒もワインも好きであるがこれはちょっと違うのかな。ところが、納豆だけは、こどものころにお目にかかったことがないせいであると思うのであるが、だめなのであった。いわゆるわず嫌いというやつである。 それなのに、どうして今頃になってべているのかというとである、新型コロナのせいなのである。おかげであると言ったほうがいいのかな。 じつは、自然農(?)を実践している方のブログで、「発酵はウイルスに強い」というような仮説の書き込みを読んだからなのである。まあひょっとしたら、わたしが勝手にそのように読んでしまったというだけのことなのかもしれないのではあるが、 なんとなく納得してしまったのである。そこで、早速実践という

    コロナ禍に発酵食あり打ち水や - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 夏の空クマのプーさん浮かんでる - だいたいは日々のなんでもないお話

    最近、知人に教えられて、ベンジャミン・ホフ『タオのプーさん』(平河出版社、1989年2月)を読みはじめた。 どういうかというと、カバー袖にはこう書かれている。 「タオってなんだろ? くまのプーさんと仲間の動物たちが登場し、 著者といっしょに考えて?!いく。 クマのプーさんをとおして タオイズの原理をやさしく説明し、 タオイズムの原理をとおして クマのプーさんを解釈した ユニークな物語。」 というわけで、A.A.ミルンの『クマのプーさん』を引用しながら「タオ」の思想(?)を解説していると思われるであると思う。まだ全部読み終えていないので断言はできかねるのであるが。 この『クマのプーさん』というのは、ぬいぐるみのくまさんが主人公の子ども向けの読み物で、わたしもその名はよく知っていたし、絵もいろんな機会に見たことがあったので、なんとなくそのお話しの中身も知っているものとばかり思っていた。 く

    夏の空クマのプーさん浮かんでる - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 緑陰や連泊限定宿屋あり - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしの知人に、民宿ではないような気がするのだが、宿を経営している人がいる。なんと言ったらいいのであろうか、別荘のような建物を一組の人の宿泊に提供しているのである。旅館経営と言っていいのかな。 もう何年も前から経営しているのであるが、最初は、ふつうの宿のように、泊めるだけでなく朝などを提供していたのである。が、そのお世話がけっこう大変だったようで、しばらくしてからは事の提供をやめたそうである。宿泊のみの宿にしたのだそうだ。 それで客はどうなったかというと、コロナ禍のせいもあるのかもしれないが、若者グループがやってきて、一晩どんちゃん騒ぎをして、翌日帰るというお客さんが増えたそうである。 これは困ったというわけで、なにか対策を考えなくてはならなくなったとのことである。うーむ、こういう場合、どういう対策がいいのであろうか。 客を家族限定にするとか、人数を4人くらいに制限するとか、予約を受け

    緑陰や連泊限定宿屋あり - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 動く物皆生かされて万緑や - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは最近、植物のことを想っていることが多いのである。といっても、コロナ禍で出歩けなくて、わたしが植物になったような気がする、とかいうわけではない。 環境問題に関心が大いにあるということが大きな理由かも知れないとも思う。が、それは置いておいても、とにかく植物がいなければ、人間というか、動物は生きていけないのだから、みんなもっと植物に感謝しようよと声を大にして言いたいのである。生物が生きるための、べるものを生み出せるのは植物だけなのだ。 植物は、なんと太陽の光から生物が生きていくのになくてはならない炭水化物を創り出せるのである。光合成という働きである。こんなことは動物にはできない。だから、動物は植物をべることによってしか生きられない。肉の動物であっても、その動物がべている動物が、植物なしでは生きていけないのであるから、間接的にやっぱり植物なしには生きてゆけないのである。 地球の歴史

    動く物皆生かされて万緑や - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 梅雨どきの健康法や部屋歩き - だいたいは日々のなんでもないお話

    コロナ禍で、わたしにとっての一番の変化はというと、マスクをするという生活様式になったということも大きいが、生活リズムの変化ということでは、「在宅勤務」であろうか。コロナ禍以前にも、自宅で仕事をするということがなくはなかった。が、まあそれは、とても例外的なことであった。 ところがいまや、わたしは、週の半分以上を在宅勤務しているのである。会社に行くのは週に2日から3日ほどである。そして、そのことから生じたもう一つの大きな変化がある。そう、通勤が減ったということは、歩かないし、電車の中で立っているということも激減したのである。つまり問題は、運動不足である。 通勤が減って、わたしがなんとなく変化を感じたのは、体が重く感じるようになったということであった。実際に体重がふえたことも少しはあると思うが、それよりもやはり、運動不足による筋肉の衰えが大きいのではないかと思える。 これはまずいと思い、スポーツ

    梅雨どきの健康法や部屋歩き - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 群れる鯵リーダーそれぞれの中にいて - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは最近、梨木香歩の『ほんとうのリーダーのみつけかた』を読んだ。 梨木香歩さんのを読むのははじめてである。よく知られているはきっと『西の魔女が死んだ』ではないかと思うのだが、わたしは読んだことがない。 さて、こののカバーの袖には、こんな文章が書かれている。 「非常時というかけ声のもと、みんなと同じでなくてはいけないという圧力が強くなっています。息苦しさが増すなかで、強そうな人の意見に流されてしまうことって、ありませんか? でも、あなたがいちばん耳を傾けるべき存在は、じつは、もっと身近なところにいるのです。あなたの最強のチームをつくるために、そのひとを探しに出かけよう」 そう、この小説ではなくて、生き方というか、哲学?的なといったらいいんであろうか。生き方指南? なのである。 生きるということは、人間に限らず、ほとんどの生きものは群れを作ってそのなかで生きているのであるから

    群れる鯵リーダーそれぞれの中にいて - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 西日差す 電車の中や スマホ照る - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしもそうなのだが、ほんとうに、人は電車のなかで新聞を読まなくなってしまったようである。いや、電車のなかだけでなく、「新聞」というものを読まなくなっているのやも知れぬ。もちろん、週刊誌をはじめとする雑誌を、電車のなかで読んでいる人もほぼ皆無といってもいい状態である。を読んでいる人は、少しいると思うがどうであろうか。以前は、通勤電車で読むものといえば、朝はだいたい新聞で、夕方は週刊誌が当たり前であった。 そういう状況に合わせて、広告の主役も、新聞、雑誌から、テレビへと移り、いまやテレビからネットへと移りつつあるはずである。いや、ひょっとしたらもうすでに広告の主役は、ネットに取って代わられているのかも知れない。 こういう状況であるから、まあ当然の変化といえばいえるのであろうが、国土交通省の、「列車の混雑率を表す言い方」が、いよいよ変わるようである。これまでは、「ただ今の〇〇線の混雑は、新聞

    西日差す 電車の中や スマホ照る - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 新緑に 在宅勤務 歩きたや - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは、歩くのが好きである。 コロナ禍で、密を避けるということから在宅勤務が要請され、わたしの会社でもなるべく在宅勤務をしようということになった。その結果、在宅勤務の多いときは、出社の回数がコロナ以前の半分くらいになることもある。通勤がないのはもちろん楽でいいのであるが、何日か通勤のない在宅勤務の日が続くと、なんとなく体が重くなってくるように感じるのである。 といっても、じっさいに体重が増えているというわけではないようなのである。これはいったいなんなんだろう、と考えていたのだが、思い当たる理由としては、まず第一にやはり、通勤がないということは、歩かないということである。これが、わたしが体が重くなったように感じた一番の原因であるに違いないと思う。 人間、やっぱり歩かないとだめである、と思う。実際、わたしの場合は、通勤した日は体の調子がいい感じで、体が軽い感覚があるのである。筋肉が活発に動い

    新緑に 在宅勤務 歩きたや - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 見えないが コロナウイルス 夏嵐 - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしが暮らしている東京都では、ほんとうは今日で終わりだった予定の「緊急事態宣言」が延長されることになった。5月いっぱいということだから、なんと3週間も伸びてしまった。休業要請された施設は1か月以上の休業を余儀なくされるわけだ。これは、なかなか厳しいのではないだろうか。 それらの店や施設はもちろんだが、そこで働いている人々にとっても死活問題になるのではないだろうか。昨年からの自粛生活で、すでに日では弱い立場にいると思われる人々の自殺者の数がそれ以前に比べて増えているということが明らかになっている。 www.newsweekjapan.jp この傾向がますます顕著にならないことを願うのであるが、一体どうすべきなのであろうか。厳しい自粛要請によって、ひょっとしたらコロナによるよりもっと厳しい生活を強いられる人がたくさんいるとするならば、少し自粛を緩めるべきではないだろうか、どうなんだろうか。

    見えないが コロナウイルス 夏嵐 - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 果実食 - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしは前回、「肉をべないという人々がいる」という話を書いた。 kwsk.hatenablog.jp 初めてそのことを知ったときは、わたしはほとんど信じられない気がしたものだった。ところがところが、それどころではないのである。もう一枚上手を行く人がいたのである。なんと「果実しかべない」人間である。フルーツだけである。ほんとうか? news.livedoor.com いや〜、これはまたほんとに信じられないといいたいところだが、事実なんだろうなあ。しかし、この人の場合は、肉が嫌いとか、野菜が嫌いとかべたくないとかいうのではなく、どうやら、「人間は果実だけをべても生きていけるということを証明するための実験をするため」らしい。 いやあ、ほんとうに、世の中広い。わたしなんかにはほとんど想像することさえできそうにない事を考えて、しかも実行している人がいるのだから。うーむ。ほんと、おもしろいなあ

    果実食 - だいたいは日々のなんでもないお話
  • いまや、本は古紙より価値が劣るの? - だいたいは日々のなんでもないお話

    「あけくれ」という、『東京新聞』の読者投稿コーナーがある。日の(21年4月30日)そのコーナーに、こんな事が書かれていた。60代の女性の投稿である。 (父の)残した大量のがあるが、まだ自分が元気なうちに身辺整理をしようと、美術関係の分厚いを8冊ほど古書店に持っていったところ、全滅した。 というような内容であった。そして、 「今はそういうを買う人がいなくなってしまったのでしょう。知の宝庫としてのは、古紙としての価値より劣るのかとショックです。もはや、は古紙回収にしか出せないのでしょうか?」 と締めくくっていた。 わたしは、これと同じような話は、他のところでも聞いたり読んだりしたことがこれまでにもあったので、この記事を読んで、驚きはしなかった。「やっぱりそうなのか」と思ったのであった。 そう、この人が持ち込んできたを、古屋さんが買い取ったとして、店頭に並べることになるわけだが、

    いまや、本は古紙より価値が劣るの? - だいたいは日々のなんでもないお話
  • 煮干し、食べるだけではない - だいたいは日々のなんでもないお話

    久しぶりではあるが、またまた「煮干し」の話である。 『煮干しの解剖教室』というがある。そう、タイトルの通り、煮干しを解剖しようというのである。 煮干しの解剖教室 (オリジナル入門シリーズ) 作者:小林 眞理子 発売日: 2010/07/22 メディア: 単行 「煮干し」は、わたしは、子どものときからお世話になっている。煮干しと言えば、味噌汁であろう。わたしは子どもの頃も味噌汁が大好きであったが、いまも大好きである。子どものころ、ほとんど毎日べていた我が家の味噌汁の出汁は、煮干の出汁であった。だから、味噌汁を作る前には、煮干しから頭の部分を取り外すという仕事をよく手伝ったというか、手伝わされたと言ったほうが正解かもしれない。そんな覚えがある。思い出してみると、わたしはそのお手伝いは嫌いではなかったという気がする。つまみいができるから、というのもあったかもしれないが、煮干しの頭を胴体か

    煮干し、食べるだけではない - だいたいは日々のなんでもないお話
  • だいたいは日々のなんでもないお話

    2024年2月20日の『東京新聞』の「筆洗」欄にこんな記事が載っていた。 東京の荻窪駅近くの立ちいそば屋に若い女性がひとり入ってきて、券を店の人に渡すと「そばですかうどんですかと」聞かれ、大抵はここで客は「うどんでおねがいします」とか「そばで!」とか応えるのだが、この女性は「どっちですかねえ。どっちがいいですか」と店のおじさんに尋ね返したそうだ。 立ちいそば屋にはわたしもよく入るけれど、たいていは券を自動販売機で買って、その券を店員に渡しながら、「温かいそばで」とか「冷たいうどんでお願いします」とか伝えないといけないので、まあたいていは、券を買うときには、そばにするかうどんにするかを決めていると思うのだが、この女性は決めていなかったのか、あるいは券を買ったときには決めていたのだけれど、いざどっちかを伝えないといけないときになって迷ってしまったのか、どうしたのであろう。 ここで

    だいたいは日々のなんでもないお話
  • 行列だって嬉しく思えた - だいたいは日々のなんでもないお話

    わたしの会社も,このコロナ禍にあって,在宅勤務を勧めているので,会社に行く日数が通常の半分くらいになった。そんなわけで,これまでいつもお世話になっていた会社の近くの堂には,ほんとに不義理をしている。まあ会社に行かないのだから、昼を会社の近くでべることがなくなるのは当然である。申し訳ないがどうしようもない。よもやお昼をべるために出勤するわけには行かない。 きょうは,そんな不義理をしているパスタの店にほんとうに久し振りに行った。あんまり久し振りなので、実をいうとひょっとしたら閉店してるかもしれないと、わたしが行かなかったからということではないだろうけれど、心配していたのだった。 良かった、ちゃんと営業してた。しかも、このご時世だと言うのに、行列ができている。いつもならば、ああ行列かあ、とがっくり来るところであるが、きょうは違った。ああ、無事でよかった、と思ったのだ。しかもいつも通りに行列

    行列だって嬉しく思えた - だいたいは日々のなんでもないお話