ブックマーク / sasurau-jun.hatenablog.com (47)

  • あっぱれ原監督(箱根駅伝) - さすらう隠居人の日記

    箱根駅伝は青山学院大学が圧倒的な強さで、昨日の往路、今日の復路を制し、記録更新の総合優勝も果たした。原監督の有言実行に敬意を表するしかない。 箱根駅伝2022年ゴールシーン(NHKより) 私は当然母校の早稲田を応援していたが、シード権すら取ることができなかった。青山学院と早稲田の個々の選手の実績(記録)などを見ていると、それ程の差はないように思っていた。しかし、終わってみれば青山学院は記録を更新する断トツの優勝、早稲田はシード権も逃す13位であった。 青山学院の原監督は、年末もテレビ番組に出て「パワフル大作戦」で絶対に優勝すると豪語していた。駅伝は10人がそれぞれ約20kmを走る過酷なレースである。レース前夜に眠られなかったり、体調を崩したり、ちょっとした負の要因で上手くいかないことも多々ある。それらをしっかり調整できる原監督の手腕は見事なものである。1年間を通した調整もしっかりできている

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  • 冬至 - さすらう隠居人の日記

    今日は冬至である。日照時間が1年で一番短く、最も太陽が衰える日であるが、太陽が復活に転じる喜びの日でもある。 中国では、一陽来復の日とされ、太陽がまたよみがえる、太陽の運行の起点と考えられた。 ヨーロッパでは、詳しいことは知らないが、ローマ皇帝が冬至祭の行われていた12月25日をイエス・キリストの降誕祭としてクリスマスを定めたそうである。 冬至で思い浮かぶのは、柚子湯に入ることである。 柚子湯(www.huffingtonpost.jpより) 実家には柚子の木があり、柚子をすことはなかったが冬至には風呂に入れていた。実家には今は誰も住んでおらず、柚子をもらうこともなく、買ってまで入れようという気も起きないので、柚子湯からは遠ざかっている。このようにして、日のいろいろな風習が廃れていくのだろう。来年は柚子を買って風呂に入れてみようか。 山口青邨の句に 吾子はみな柚子湯の柚子を胸に抱き が

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  • 散歩の再開 - さすらう隠居人の日記

    昨日散歩を再開する予定であったが、寒くはっきりしない天気であったので、今日に延期した。 今日は比較的暖かく、雲一つない天気(苦も一つない転機)とまではいかないが、良い気分転換となった。 今日の景色 貯水池には鷺と鴨がいたが、亀は冬眠したのか最近は姿を見かけない。 (左)飛び立つ鷺 (右)鷺と鴨 今日はいつもより早く、午後2時に散歩に出かけたので、出会う人の顔ぶれが違った。散歩道で楽譜を立てギターを弾いている人に初めて出会い、自分は楽器ができないので羨望のまなざしを向けながら通り過ぎた。彼にとっては至福の時であろう。 途中の公園には人はいないが、小鳥がたくさん来ていた。 公園 上は公園を西側から撮った写真である。 下は公園を東側にある東屋に腰かけて撮った写真である。この後ろ側に、実の成った小さめの木があり、現在のこの公園で唯一の色鮮やかな被写体である、 公園(東屋より)と実の成った木 この木

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  • 自社株買い - さすらう隠居人の日記

    12月14日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の議員が企業の自社株買いの禁止まで踏み込むべきだという内容の発言をしていた。ニュースで見ただけなので詳しくはわからないが、その主旨の発言だけを聞くと何を馬鹿な質問をしているのかと思わざるを得なかった。 岸田総理がその質問を一蹴すると思いきや、理解を示すような答弁をしたことに驚いてしまった。 12月14日予算委員会(sankei.comより) 内部留保は自社株買いではなく、従業員の賃上げに使うべきとの考えもあるが、それは個別に判断することであり、短絡的に自社株買いの禁止や規制強化をすべきものではない。 企業はその所有者である株主の利益を考えるのは当然である。株主の利益を考えない企業の持続的な発展はないのである。 今、個人の証券投資の比率が少ない日は、国策として国民に積立・分散投資による安定的な資産投資を促しており、NISAなどの制度もその一環であ

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  • 虎と年賀状 - さすらう隠居人の日記

    今朝の中日新聞に、東山動物園へスマトラトラの2歳の雄「アオ」が仙台の八木山動物園から、12月14日にやって来たという記事が載っていた。 アオ(中日新聞より) なかなか凛々しい顔立ちである。 9月20日のブログで「東山動植物園」を書き、すぐにでも行くつもりであったが、まだ行くことができていない。1か月前に腹痛が始まり、三寒四温ならぬ三痛四快であるが、アオも来たので早く行きたい。 昼には、今日から年賀状の受付が開始され、日郵政のJPタワーでセレモニーが行われたとのニュースが流れていた。 年賀状受付セレモニー(時事通信より) 私はいつもクリスマスの頃に投函しているので早い感じがするものの、一昨日知ったことだが、13日が正月事始であれば、暦通りに動く律儀な人にとっては早過ぎることではない。 年賀状は一度やり取りを始めるとずっと続いてしまうものだが、会社を退職したこともあり、けじめをつけようと思っ

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  • ホンダF1、有終の美 - さすらう隠居人の日記

    今年でホンダはF1から撤退するが、最終戦のアブダビGPでマックス・フェルスタッペンが勝利しドライバーズチャンピオンになった。それも最終周回での大逆転である。ホンダにとってもアイルトン・セナの時以来、30年振りのF1タイトル獲得となった。 ホンダのHPより 今年のフェルスタッペンとハミルトンの戦いは、一時険悪となることもあったが、最終戦前まで同ポイントとかつてない接戦であり、とても見応えがあった。二人の健闘を讃えたい。 フェルスタッペン(左)とハミルトン(右) ホンダは試合当日の新聞に、ライバルチームに対して全面広告を出した。驚くべきことである。 12/12付、日経朝刊の全面広告 これに対し、トヨタもエールを送っている。今までにこんなことがあったであろうか。企業間のスポーツマンシップを見ているようである。感慨深い。 私の父親がホンダの二輪車の愛知県での卸売り会社を経営していた(相当前の話)の

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  • 妻の誕生日 - さすらう隠居人の日記

    昨日(12/11)はの誕生日であった。結婚して38年目になるが、初めてレストランを予約しの誕生日を祝った。 デザートのプレート このあと、レストランの方が記念写真を撮ってくれた。JALシティ名古屋というホテルのカフェ カナルというカジュアルなレストランであったが、アットホームな感じでいろいろな心遣いがうれしかった。 ホテルへは家からバスで行ったのだが、交通渋滞があり1時間で着くつもりが1時間半もかかってしまった。途中の栄という繁華街は人でごった返していたが、このレストランは感染対策がしっかりなされていた。席数も限定され、休日であるからかもしれないが、店内に客のグループが点在し、とてもゆったりとしていた。 テーブルには、キャンドルが置かれていた。 テーブルのキャンドル キャンドルの灯がゆらぐように、静かに時が過ぎて行った。 クリスマスが近くなっているが、その雰囲気はあまりなくサンタクロー

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  • 日米開戦 - さすらう隠居人の日記

    8年前の1941年(昭和16年)12月8日、日が山五十六連合艦隊司令長官のもとに真珠湾を奇襲攻撃することにより、日米開戦となった。 山村聡扮する山五十六 (映画「トラトラトラ」より) 1941年6月22日、ドイツが対ソ宣戦布告し、破竹の勢いで侵攻しモスクワ陥落も間近と考えられ、日も「バスに乗り遅れない」、「尻馬に乗る」というと語弊があるかもしれないが、この後急速に日米開戦に向って突き進んで行った。 節目節目では御前会議(日米開戦まで昭和16年に4回)が開催されたので、その内容を参考に経緯を見ることにしたい。 1941年7月2日 この会議で、大東亜共栄圏の建設、南北併進、目的達成のためすべての障害を排除する、帝国は号目的達成のため対英米決戦を辞せず、などが明文化された「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」が決定された。(この後、7月23日に日軍は進駐を決定、26日にアメリカは在米日

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  • アップルウォッチ - さすらう隠居人の日記

    従来、私はあまり高価な腕時計には興味がなく、薄型でシンプルなものを使っており、身近でアップルウォッチを使っている人がいたが、文字盤を見るとおもちゃみたいで時計としては身に着ける気はしなかった。 しかしながら、今年の初め、施設にいる母親が誤嚥性肺炎で緊急搬送され、集中治療室にかなり長く入らなければならなくなった時、スマホを会議室に持ち込み置いておくわけにもいかず、電話やメール、LINEなどの着信がわかるアップルウォッチが頭に浮かび、会社近くのアップルストアへ見に行った。 その頃、コロナの感染者が急増し、自宅療養を強いられるケースもあり、血中酸素濃度を正確ではないかもしれないが測ることもできることを知った。他にもいろいろな機能がある。もちろん、来の目的である電話やメールなどの着信を振動で知ることができ、どこからの発信されたもかも確認できる。 買うことを決め、傷つきにくいサファイアガラスにする

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  • 中村吉右衛門さんを偲ぶ - さすらう隠居人の日記

    夕方のニュースで二代目中村吉右衛門さんが亡くなったことを知った。 二代目中村吉右衛門 三月大歌舞伎を休演した後、復帰することが決まっていた七月大歌舞伎を再び休演することとなり、その後も様子がわからず心配していただけにとても残念である。 吉右衛門さんは鬼平犯科帳の長谷川平蔵と共通する部分があったのか、とてもはまり役であった。多くの人が放映を楽しみにし、終了したことを淋しく思っていることと思う。 吉右衛門さんの歌舞伎を観たいと思っていたものの、なかなか機会がなく叶わず生で観ることはできなかったが、何年か前にシネマ歌舞伎で「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」を観て、堪能することができた。 二代目吉右衛門の熊谷陣屋 初代中村吉右衛門は娘しかおらず、その娘が五代目市川染五郎(のちの初代松白鸚)と結婚する時、男を二人産んで次男を養子に差し出すと言い、その通り4歳の時に吉右衛門さんは初代の養子になったそうである。

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  • 青木宣親選手とボビー・ジョーンズ - さすらう隠居人の日記

    昨日の日シリーズ第4戦、7回裏ヤクルトの攻撃で青木宣親選手の打席、ピッチャーの投球が逸れ、青木選手が転倒した。 投球を避け倒れ込む青木選手 (撮影:垰健太、日刊スポーツ) (上に掲げた日刊スポーツの写真の撮影者は、私の大学クラブの同期の息子さんである。) その直後、審判は死球を宣告したが、青木選手は投球はバットのグリップ・エンドに当たり、体には当たっていないと審判に説明し、死球は取り消されファール・ボールに修正された。この大試合で、正しいことを自ら申告することにとても清々しさを感じた。共感された方も多いと思う。 日のプロ野球をリードしていく立場の選手がこのような姿勢を示すことで、次の世代が良い影響を受けることを望みたい。 この青木選手のフェアプレーを観て、すぐに浮かんだのがゴルフのボビー・ジョーンズである。 ボビー・ジョーンズ 上の写真は、「ダウン・ザ・フェアウェイ」(小池書院)に挿入

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  • 猿投神社と猿投山 PartⅡ - さすらう隠居人の日記

    昨日、11時半頃に猿投神社へ着き、殿と近くの山中観音堂までを書いた。 その後、奥の院へ向かうのだが、途中にトロミル水車という陶磁器の原料である石粉をつくる装置があった。 トロミル水車 ずっと軽快な道が続いたが、段々と山路に入っていく。もう蜂はいないと安心していたら、「クマに注意」の看板があった。 「クマに注意」の看板 5年ほど前にツキノワグマがいたらしいが、流石に熊に出会うことはないだろう。 山路を進むと大きな山桜の木があった。 山桜 幹の太い部分は約3.5m、高さは18mとの説明があった。樹齢何百年であろう。約60年で寿命を迎える街のソメイヨシノとは次元が違う。 敷島の大和ごころを人問わば朝日に匂ふ山桜花(居宣長) 山桜は日の心であるが、この歌から特攻隊の名前が命名された。今は残ってないが煙草の名前にもなっている。 やっと猿投神社東宮に辿り着くが、かなり険しい道のりであった。 猿投

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  • 瀬戸内寂聴さんを偲ぶ - さすらう隠居人の日記

    昨日のニュースで瀬戸内寂聴さんが亡くなられたことを知った。 瀬戸内寂聴さん(ハルメクより) 彼女の名を初めて知ったのは中学か高校の頃、自由奔放な女性作家が出家するというので、少し世間が騒がしかったからであった。その後も彼女の著書を読むことはなかった。 20数年前、日経済新聞の朝刊の連載小説が彼女の「いよよ華やぐ」となり、鈴木真砂女さんをモデルにしたものであった。最初は期待もしていなかったが、題材も良かったためか毎日連載を読むのが楽しみとなった。寂聴さんと真砂女さんは相通じるところがあったのであろう。 連載小説ではモデルとなった鈴木真砂女さんの俳句が随所に出てきて、真砂女さんの俳句を好きになるきっかけを与えてくれ、その後真砂女さんの俳句と生き方に興味が深まっていった。 羅(うすもの)や人悲します恋をして 今生の今が倖せ衣被(きぬかずき) 寂聴さんに話を戻すと、新聞の連載小説は良かったが、そ

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  • 蜂 - さすらう隠居人の日記

    一昨年アシナガバチに刺されてから蜂に怖れを抱いていることは何度も書いたが、スズメバチが家の庭に作った巣の写真が出てきたので紹介したい。 スズメバチの巣(2011.8.20) 上の写真は1度目で、檜葉の地面に近いところに、まわりの枝葉をくり抜いて作ってある。草取りをさぼっていたので、巣が作られていることに気がつかなかった。 2度目の写真はないが、3度目も同じような場所に作られてしまった。下の写真では巣に入っていくスズメバチが見える。 スズメバチの巣(2017.913) もう同じところには作らせまいと現在は草を刈り、周りの小さな木も切り、檜葉の下の方も切り落とし、とりあえず檜葉には巣を作らなくなった。 しかし、昨年は玄関近くの椿の木の地面に近いところに4度目の巣を作られてしまった。 椿(右の地面近く) 玄関からも駐車場からも死角であった。近づくのが怖く、蜂の巣の写真は撮れなかったが、白っぽい真

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  • 戻ってきたグレニャン - さすらう隠居人の日記

    7月27日のブログ「我が家の客人の野良たち」に、二代目の野良グレニャンに早く戻って来てほしいと書いたが、また時々来るようになっている。最近は濡れ縁にいることが多かったが、今日は芝生の上である。 戻ってきたグレニャン 目つきは相変わらずあまり良くないが、家に来ると何だかうれしくなる。 ところは今日はすこし様子が違った。が買い物の帰りにグレニャンを見つけたが、仰向けになっていて動かない。いつもは孤高の彼を尊重して声を掛けないが、今日は心配になって声を掛けたそうだが動かない。家に入るとすぐ私に、「グレニャンが来ているが、仰向けになっていて、全く動かない。」と心配そうに言う。 私が近づいてよく見るとやっと目が開いた。 目を開けたグレニャン 目を閉じたままこの格好で動かないとさすがに心配になるのは理解できた。 起きかけのグレニャン 目が開いたあとは、体を伸ばしたり気ままに動いている。いつもの自

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  • 私のジャズの原点 - さすらう隠居人の日記

    ジャズに興味を持ったのは大学生になってからである。それまでも映画音楽で、スティングのスコット・ジョプリン、死刑台のエレベーターのマイルス・デイビス、華麗なる賭けのミッシェル・ルグランなどを良いと思ったが、それ以上進展することはなかった。 大学生活の後半に、FM東京の深夜放送で油井正一の「アスペクト・イン・ジャズ」を聴くようになり、急速にジャズに傾倒していった。 油井正一(左)とルイアーム・ストロング(昭和28年) 深夜に聴く油井さんの語り口は紳士的で丁寧であった。紹介する曲に対するリスペクトも感じられ、こちらも引き込まれていった。最初はビッグバンドが好きになり、アーティ・ショウ、ベニー・グッドマンのクラリネット、トミー・ドーシー、グレン・ミラーのトローン・ボーン、デューク・エリントン、カウント・ベーシーのピアノなどそれぞれのビッグバンドの特徴を楽しんでいた。 油井正一(右)ベニー・グッドマ

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  • 文化の日と明治 - さすらう隠居人の日記

    今日は文化の日である。子供の頃、日国憲法が公布された日と教えられたが、父親の子供の頃は、明治節といって明治天皇の誕生日を祝していたと聞いた。明治維新に興味を持っていた頃もあり、文化の日には明治天皇の誕生日ということが思い浮かぶ。 明治天皇(文春より) 明治は近代日の黎明期であり、日清・日露戦争などいろいろな出来事があるが、私にとっては夏目漱石の存在が大きい。 夏目漱石については、中学に入り「吾輩はである」を皮切りに文庫で出ているものはすべて読んできたが、半藤一利さんの「漱石先生ぞな、もし」など、漱石にかかわるを読みだしてから、より好きになり興味を深めていった。漱石の俳句が好きになったのもこの時からである。 半藤一利著「漱石先生ぞな、もし」文藝春秋 私の座右の銘として、 木瓜咲くや漱石拙を守るべく という漱石の俳句がある。 「拙を守る」とは漱石が最も好んだ言葉であり、終生持ち続けた

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  • 堺の抹茶と和菓子 - さすらう隠居人の日記

    先日、次男の嫁の実家におよばれした際、抹茶と和菓子をお土産に頂いた。最近、私が抹茶を喫するようになったとの情報が伝わっていたようである。 抹茶も和菓子も千利久、今井宗久、津田宗久らを輩出した土地で受け継がれてきたものであり、歴史の重みと伝統を感じる。 松倉茶舗の抹茶 上の写真は、抹茶の缶が包まれているところを前と後ろから撮ったものである。文政元年創業とあり、創業200年以上続いている茶舗である。 包みを取ると次のようになる。 抹茶「小倉山」 棗に移し替えるより、(私は抹茶の作法を知らないので)このまま使いたい感じである。 美味しい和菓子も頂いた。 八百源の和菓子 ちぬ乃(左)、肉桂(右) 八百源來弘堂の和菓子である。その前身である八百屋宗源の肉桂(にっきもち)は豊臣秀吉の時代から珍重されていたようである。 肉桂に肉桂(シナモン)が混ぜてあり、香りも味もとても良い。 ちぬ乃月は

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  • 直島から高松へ - さすらう隠居人の日記

    今日は直島で地中美術館などを巡った後、フェリーで高松へ向かった。昨日は風雨が強く、草間彌生さんの赤の南瓜を撮る気も起きなかったが、今日は天気が良くフェリーの待ち時間に撮ることができた。 草間彌生「南瓜」(宮浦港) フェリーも昨日は外に出られなかったが、今日は暖かく、ほとんどデッキにいた。 瀬戸大橋 フェリーからは瀬戸大橋も見ることができた。瀬戸内海の眺望は飽きない。 高松に着いてからは、栗林公園と屋島に行った。中学校の修学旅行以来である。 栗林公園 屋島より、源平合戦場跡 <追加> 昨夜宿泊したベネッセ・ハウスの人たちのホスピタリティは素晴らしく、景観や周辺にあるオブジェにも楽しませてもらった。 朝席からの景観(ベネッセハウス) 至る所にあるオブジェ 地中美術館の近くにがいて、写真を撮ろうとしたら近づいてきて、背中を足に押しつけてきた。とてもカワイイ。 路上にいた 地中美術館は今まで

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  • 俳句を愛するならば - さすらう隠居人の日記

    俳句を作るようになってから4年以上が経過した。そのモチベーションが維持されているのは、10月6日のブログ「句会PartⅡ」で書いたように句会によるところが大きい。 また、テレビで放映されている「プレバト」も句作の助けになっているかもしれない。しかし、句作が上達しない理由として、能動的な努力が足りないということは自覚している。今までも少しづつ俳句に関するは読んできたが、今回は髙浜虚子の孫である稲畑汀子さんの「俳句を愛するならば」を読んでみた。 稲畑汀子著「俳句を愛するならば」(NHK出版) この中で特に印象に残った個所は以下の通り。 P170 俳句の勉強は一日で成るものではない。季題の勉強、日語の表現の追及に真面目に取り組んでいるうちに自ずからよい句が作れるようになって行くものである。 中でも省略を心掛けることは多くの人に実践して頂きたい必須の課題である。自分の作った一句を発表する前に、

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