縄文時代の大規模な集落跡が見つかっている観音寺本馬遺跡(奈良県橿原、御所両市)で、縄文時代晩期(約3000年前)の穴を掘って遺体を入れる土壙墓(どこうぼ)16基と人骨13体が発見され、県立橿原考古学研究所が30日、発表した。一部の土壙墓からは、四隅に打たれた杭(くい)や杭跡が見つかった。四隅に杭が打たれた土壙墓の出土例はないといい、同研究所は「墓の場所を示す目印だったのでは」としている。 土壙墓16基は東西約30メートル、南北約20メートルに集中。穴は縦1・0〜1・8メートル、横0・7〜1・1メートル、深さ20〜80センチで当時の標準サイズ。四隅の杭は6基で確認され、太さ5〜10センチ。長さは1・2〜1・5メートルあったと推測されている。 杭は複数の人骨が埋葬された3基すべてで確認され、同研究所は「遺体を複数回に分けて埋葬するため、位置を明示したと考えられる」と指摘している。 人骨はいずれ
出土した縄文時代の人骨。墓の四隅には木のくいが立てられていた=奈良県御所市の橿考研整理棟出土した縄文時代の人骨。墓の四隅には木のくいが立てられていた=奈良県御所市の橿考研整理棟出土した叉状研歯(左)と斜状研歯(右)=奈良県御所市の橿考研整理棟 奈良県の橿原、御所両市にまたがる観音寺本馬(ほんま)遺跡で、地面に掘られた穴に人骨が残る縄文時代晩期中ごろ(約3千年前)の土坑(どこう)墓が6基見つかったと30日、県立橿原考古学研究所が発表した。穴の四隅に木のくいを打った、墓標と見られる遺構も全国で初めて見つかり、斜めに削った歯など珍しい出土品もあった。橿考研は「縄文人の墓や埋葬方法を考える上で貴重な発見だ」としている。 橿考研によると、約600平方メートルの範囲で出土した。確認された人骨は少なくとも13体。1基あたり1〜5体が埋められ、大人と子どもが混在していた。 6基のうち複数人が埋まった
奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡(縄文時代晩期中頃、約3000年前)で出土した墓で、穴の四隅に杭(くい)が打ち込まれたものが見つかり、県立橿原考古学研究所が30日、発表した。 同じ墓に、何回かに分けて別の遺体を埋めるため、杭で場所を示したとみられる。同研究所は「四隅に杭を打ち込む例はほかになく、当時の墓の構造や埋葬方法などを考える資料となる」としている。 墓は16基出土。大きさは異なるが、おおむね長辺約1・4メートル、短辺約1メートル、深さ約0・4メートル。うち6基で確認された杭は直径5〜10センチで、穴の深さから、杭の長さは1メートル20〜50と推定され、数十センチ分が地上に出ていたらしい。 一部の人骨の歯は斜めや、ギザギザに削られており、石製のペンダントなども出土した。埋葬された人数も1〜5人の違いがあった。
15人が亡くなった2007年7月の新潟県中越沖地震で海底に出現した縄文時代の古木を使って、音楽愛好グループ「柏崎コカリナクラブ」が笛を作り、復興を祈るオリジナル曲「太古(いにしえ)の森」を12日、柏崎市で初披露する。 約20人が活動する同クラブは、震災の記憶をとどめるために活用しようと、古木を入手し、メンバーが笛に仕立てた。仏壇職人小泉雄司さん(62)が自然乾燥させ、ドリルで穴を開けた。水分の蒸発で崩れるのを防ぐため、表面加工も施したという。 オリジナル曲は今年3月に完成。代表の住職栗林文英さん(55)が「縄文時代を思わせ、被災者を勇気づける曲がいい」と提案し、音楽教室講師駒野幸子さん(55)が作曲した。 曲は悠久の時を感じさせる緩やかなメロディーの中に、勇壮さも併せ持つ作風に仕上がった。「何千年も生きてきた古木の活力を被災者に伝えたい」と駒野さんは意気込む。 古木は同県出雲崎沖などで見つ
縄文時代の貝塚は、貝の身に海水の塩分を濃縮させた「干し貝工場」のごみ捨て場だったのではないか――。アフリカ・セネガルで約4千年前から続く貝活用法をヒントに、奈良文化財研究所(奈良市)の松井章・埋蔵文化財センター長(動物考古学)がこんな新説を打ち出した。製塩土器ができるまでは動物の血液などから塩分をとっていたというこれまでの説を覆す可能性があり、研究者の関心を集めそうだ。 松井さんは08年4月、セネガルの首都・ダカールの南約50キロに広がる貝塚群を調査した。数万平方メートルの広大な貝塚の上にある集落で、約100人が古代と変わらない漁労生活を営んでいた。最古の貝塚はダカール大学の調査で約4100年前から続く。 住民は太古から、カキや巻き貝のむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身には塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープの固形だしと
真ん中に横一筋が刻まれた大きな目を持つ姿が宇宙人を連想させる。八戸市の是川遺跡で発掘された縄文晩期(約3千年前)の遮光器土偶。東北地方で栄えた亀ケ岡文化の代表的な遺物だ。からだ全体に雲形などの文様が施された精巧なつくりの怪異な遮光器土偶に、縄文の人びとはどんな思いを込めていたのか。北東北と北海道の縄文遺跡群が世界文化遺産の暫定リスト入りしたのを機に、謎を探ってみた。(掛園勝二郎) 遮光器土偶は、つがる市の亀ケ岡遺跡で出土したものが全国的に知られ、「シャコちゃん」の愛称で親しまれている。亀ケ岡文化、亀ケ岡式土器の名前も亀ケ岡遺跡に由来している。 だが、この時期の遺跡は、岩手県北部から八戸市の太平洋に注ぐ馬淵川流域に多い。 県埋蔵文化財調査センター副参事の成田滋彦さんは、馬淵川沿いだけでなく是川遺跡がある八戸市の新井田川沿いも含めて、「亀ケ岡文化の宝庫」と指摘する。 「津軽に比
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