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  • 代官山、天狗坂と一緒にまわってみたい東横線最大の難所R160 | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    渋谷代官山Rプロジェクトとは、東急東横線の渋谷駅から代官山駅の区間すべての地下化が完成し、そのため空き地になった地上部の線路跡地の再開発が始まった際にわかりやすく名付けられたプロジェクト名のことです。 2018年9月には、渋谷駅前の渋谷ストリームとともに、渋谷代官山Rプロジェクトの主要施設が完成し、みなさんも知っている「渋谷ブリッジ」と施設名が付けられたことは有名です。 ただ今回は、施設(渋谷ブリッジ)についてというよりも、再開発当初につけられた渋谷代官山Rプロジェクトの”R”の文字に着目してみます。 鉄道好きの中では有名な話かもしれませんが、渋谷駅から代官山駅に向かう途中、線路が大きく右にカーブするポイントがあります。このカーブポイントは「R160(曲線半径160mの意味です)」と呼ばれ、あまりに急カーブを描いているため、東横線の中でも最大の難所として知られています。ですので、さきほどの

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  • 東急東横線代官山駅前にある代官山坂と界隈名所めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「代官山坂」は、その名の通り東急東横線代官山駅から徒歩2分程度という駅前にある坂道です。坂下は代官山通り、坂上は八幡通りに面しており、坂の南側には地域のランドマークである代官山アドレスがある場所としても知られています。 代官山界隈の中では比較的道幅が広い道路のため、特に坂上からの景色は視界が開けていて印象的です。 代官山坂は道路自体が昭和初期にできたことから、その頃に名付けられたという説が有力です。坂名については、まさにこの代官山の地名に由来しています。 また、代官山坂の中央分離帯の部分には人しか通れないちょっとした空間があります。そこには現在ひまわりが植えられており、夏には「ひまわりガーデン代官山坂プロジェクト」の会場としてひまわりの花が咲き乱れ、地域の風物詩にもなっています。 <代官山坂の基情報> 所在地:東京都渋谷区代官山町 アクセス:東急東横線・代官山駅より徒歩2分

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  • 再開発で姿が変わる東京・麻布台の行合坂と界隈史跡めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「行合坂」は、東京メトロ六木一丁目駅から徒歩3分程度の場所にあります。高速道路を横目に見ながら下っては上るという、普通の坂道であれば下りか上りの一方という形の中、珍しい形をしている坂道です。一度歩いてみるとまわりの景色もあいまって記憶に残る坂道といえるかもしれません。 坂名については、双方から行き合う道のため行合坂と呼ばれるようになったという説が有力です。 行合坂は双方から行き合う道ということで、坂上にあたる場所が二箇所あり、双方に坂の碑があります。 坂の東側はまるまる麻布台の再開発エリアのため、現在でも建物が次々と取り壊されており、坂道からの景色も刻々と変化しています。そして、この行合坂もその影響は免れず、西側を通る六木麻布通り(写真でいえば右側の道路)のレベルまで埋め立てられることが決定しています。ですので、道路自体は同じ位置にあるので地図上では行合坂は存在するのかもしれませんが、

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  • 麻布台再開発で見られなくなる東京の風景!我善坊谷坂と落合坂めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    再開発エリアのちょうど真ん中あたりに位置する「我善坊谷(がぜんぼうだに)坂」は、このあたりの地名である我善坊谷に由来しています。我善坊谷とは、龕前坊谷(がぜんぼうだに)の転化と言われています。 江戸時代に二代将軍秀忠の正室である崇源院(すうげんいん/一般にはお江として知られています)が亡くなった時に、この地で荼毘に付し、龕(仏像を納めた仏具)の前に僧坊(僧尼が生活する宿舎)を建てて、冥福を祈ったことから「龕前坊」と呼ばれるようになり、このあたりは地形的に谷だったことから、龕前坊谷になったというのが通説です。 我善坊谷坂は、谷筋から崖地を一気に上る坂道のため、途中の景色も印象的です。江戸の情緒が残る景色の中、坂の中腹あたりからは東京タワーも見ることができます。 またこの坂道は江戸時代から存在する坂道ですが、再開発計画によれば完全になくなってしまう坂道です。ぜひ今しか体験できない風景を見におと

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  • 奈良時代のロマンスを今に!景色も印象的な新宿市ヶ谷・逢坂めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    逢坂の坂名の由来は、奈良時代のロマンスが元になっています。当時、小野美佐吾という男が武蔵国(現在の東京)の国守となってこの地にきた時、「さねかづら」という美女と恋仲になったのですが、やがて都から帰還の命令がくだり男は再会むなしく亡くなってしまいます。ただその後、彼の魂が女の夢にでてきて、女をこの坂に呼び寄せたという幽玄な話が続きます。そして女がこの坂で待っていると男が昔と変わらない姿であらわれた――逢坂はそんな夢物語を今に伝えています。 また逢坂の坂下には、江戸時代より存在する「掘兼の井」とよばれる井戸があります。一時期、地下鉄の工事で枯渇するなどしましたが、その後、平成21年に再整備され、雰囲気は昔とずいぶん変わっていますが、当時とほぼ同じ位置に残っています。 またこの井戸には、幼い子どもを酷使して掘らせ続け、はてに過労死させてしまったという悲しい伝説も残っています。ちなみに掘兼の井とは

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  • 将軍が名付けた珍しい坂道。東京・飯田橋駅そばに佇む若宮町・ゆ嶺坂 | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「ゆ嶺坂」は、JRもしくは東京メトロ飯田橋駅からなら徒歩3分ほどとかなり駅近にあります。ただその割に、ゆ嶺坂自体はひっそりとしています。坂名については、江戸幕府二代将軍である徳川秀忠により命名されたと伝えられています。付近に有名な梅林があり、秀忠はこの地を大いに気に入り、その梅林にのぼっていく坂道をゆ嶺坂と名付けました。なお、ゆ嶺というのは、中国の有名な梅の名所のことです。 ちなみに都内では、ゆ嶺坂のように当時の将軍が名付けた坂道は2つしかなく、そういう意味でも貴重な坂道と言えるでしょう。 坂の南西側(写真でいえば右側)には立派な擁壁と塀も隣接しています。現在はその内側の敷地はマンションになっていますが、かつてはお屋敷だったと推測され、その痕跡としてエントランスには当時の面影がつよく残る立派な門と塀が残されています。 あとは、在日大韓基督教会東京教会(設計は保坂陽一郎建築研究所)も坂の途中

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  • 再開発のはざまにひっそり残る東京・JR飯田橋駅界隈の3つの幽霊坂 | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    今回、紹介する幽霊坂は3つあります。その中でも、ここ数年、周辺の風景が訪れるたびに変わっている幽霊坂が写真の坂道です。JR飯田橋駅から一番近い坂道でもあります。以前は昼でも薄暗くうら寂しい感じがありましたが、界隈に角川関連のビルやしゃれた保育所などができ、特に坂下あたりは大規模再開発により坂道の雰囲気が一変しました。 幽霊坂という名前については、諸説あります。このあたりでいえば、江戸時代、武家屋敷裏の寂しい坂であったためそう名付けられたと言われています。 ちなみに幽霊坂という名は、幽霊が目撃されたことに由来するわけではなく、偉い人が負のレッテル張りのために名付けたものでもなく、あくまで地域の住民が名付けた坂名です。一般的には、墓地のそばにある昼でも薄暗い場所であることから名付けられることが多いのです。 そういう意味では、幽霊坂と名付けられている場所は、地域とともに見えないなにか(それがたま

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  • 勝海舟も暮らした東京・赤坂の「本氷川坂」と界隈坂道めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    東京メトロ・赤坂駅からすぐの赤坂の地にもいくつか名坂があります。その中でも特筆すべきなのは、幕末から明治にかけて幕臣として活躍した勝海舟と縁深い氷川坂です。今回はそんな氷川坂を中心に、界隈の坂道や勝海舟と縁のある場所などについても紹介します。

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  • 風光明媚な「紀伊国坂」は別名で赤坂。東京・赤坂との関係を探る坂と史跡めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    坂上はJR四ツ谷駅、坂下は東京メトロ赤坂見附駅に位置している「紀伊国坂」は、東京都内でも屈指の風光明媚な坂道です。坂道沿いには外濠をはじめ新旧様々な史跡も存在し、坂下には東京メトロ赤坂見附駅があるとおり赤坂という地名にも縁深い場所です。今回はそんな紀伊国坂とあわせてめぐりたい界隈の史跡スポットなどを紹介してみたいと思います。

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  • 六本木の隠れ花見スポット「桜坂」と旧霊南坂教会痕跡めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「桜坂」は、アークヒルズ内ANAインターコンチネンタルホテル東京の北わきを北西に下っている坂道です。元々は明治中期に新しくつくられた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名がついたと言われています。ただ現在の桜坂は、アークヒルズの開発にあわせて再整備された道のため、昔の桜坂の場所とはすこし違っており、雰囲気も変わっています。 なお現地には坂名の由来が記された坂の碑があるため、坂道の場所はすぐ確認できます。また春の桜シーズンならば、高低差のあるきれいに整備された坂道とあわせて名前の通り桜並木の景色が楽しめる場所です。 ちなみに、桜坂といえば福山雅治さんの曲を思い出す方もいるかもしれませんが、この坂道のことではありませんので、あしからず。 <基情報> 桜坂 所在地:東京都港区赤坂1丁目11と12の間 アクセス:東京メトロ・溜池山王駅より徒歩5分

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  • ドラマ「西郷どん」でも登場!四ツ谷駅すぐ、歴史的舞台ともなった東京・紀尾井坂めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「紀尾井坂」は、JR四ツ谷駅からもすぐの場所にあり、ホテルニューオータニに隣接していることでも有名な坂道です。坂名については、江戸時代にこの坂道沿いに、紀伊徳川家の上屋敷、尾張徳川家の中屋敷、彦根藩井伊家の中屋敷という幕府の有力な三家の屋敷が並んでいたため、紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、井伊家の「井」のそれぞれ一文字ずつを取って紀尾井坂と呼ばれるようになりました。坂道自体は、道幅の広い急勾配の坂道で、道の両側にはイチョウが植えられ、秋にはイチョウ並木がきれいな通りとしても有名です。 またこの坂のあるあたりが紀尾井町と呼ばれているのは、このような歴史的背景も加味されて坂名が町名になったという説が有力です。 紀尾井坂の坂上は坂自体の道幅に加えて、ホテルニューオータニの駐車場や車寄せなどがある平地が隣接しており、この界隈でもめずらしく広々とした空間が広がっています。 そんな一角に平成元

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  • 都心部で唯一富士山が綺麗に見える坂道!東京・目黒の富士見坂 | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    空気のきれいなこの時期の散策におすすめな坂道が富士見坂です。名前のとおり坂道から富士山が眺められたことから名付けられた坂道です。ただ現在は、ビルが立ち並び昔のように富士山を坂道から眺めることが出来る場所は都内でも数えるほどになっています。今回はそんな富士見坂の中でも都心部で唯一、坂道から富士山が綺麗に見えることでも有名なJR目黒駅すぐの場所にある富士見坂について紹介します。

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  • 近代文学発祥の坂道、東京・本郷の炭団坂と界隈坂道めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「炭団(たどん)坂」は文京区郷4丁目の高台でもある郷台地から北に向かって下る急勾配の階段坂です。東京ドームからも徒歩圏内の場所にあります。江戸時代から存在する坂道で、坂名の由来は、このあたりに炭団(炭の粉末に粘結剤を加え団子状にして乾燥させた燃料)などを商売にする者が多かったからとか、かつては階段ではなく急な坂道だったこともあり、坂で転ぶと炭団のように転び落ちる者がいたからなどの説があります。 またこの坂は北側に向かって下る斜面のため、日常的にじめじめしており、今でこそ坂はきれいに整備され雰囲気のある階段坂となっていますが、昔はどろんこの急坂で、特に雨上がりなどは転ぶと炭団のように泥だらけになってしまうというエピソードもあったとか。

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  • 樋口一葉の聖地、東京・本郷の樋口一葉旧居跡と鐙坂めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    都営地下鉄・春日駅から徒歩数分の場所には樋口一葉が3年ほど暮らしたという旧居跡があります。路地裏にひっそりとあり、今や知る人ぞ知る樋口一葉の聖地となっています。また旧居跡界隈は地形に富んだ場所で坂道も多く、樋口一葉の聖地とともにちょっとした観光スポットとしても捉えられています。今回はそんな樋口一葉旧居跡界隈とあわせて、隣接する鐙坂についても取り上げてみたいと思います。

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  • 樋口一葉に宮沢賢治など文学者とも縁深い東京・本郷の菊坂めぐり | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「菊坂」は、都営大江戸線・郷三丁目駅からすぐの場所に坂上があり、そこから北東側に下っている傾斜の緩い坂道です。坂名は、この周辺に菊を栽培する農家が多かったことに由来しています。名前のつけられた時期については、江戸時代にはすでに菊坂町という地名があったことから、おそらくこの頃から菊坂と呼ばれていた可能性はありますが、実際のところは定かではありません。 ただ、江戸時代の古地図を確認してみると、今とだいたい同じ位置に道があるので、当時から名前があったのかどうかはともかく、古くからこの地に存在している坂道であることは確かです。 菊坂の坂下あたりには、樋口一葉ゆかりの旧伊勢谷質店のあった古い町家が坂道に面して建っています。明治時代には、近所に住んでいた樋口一葉が生活費を工面するために通ったことでも有名で、現在は登録有形文化財にも指定され、内部も一般公開されています。建物ができて100年弱が過ぎてい

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  • 映画「君の名は。」の聖地、東京・四谷の須賀神社階段と界隈の坂道めぐり | 東京都 | トラベルジェイピー 旅行ガイド

    映画の舞台にもなった須賀神社の階段へは、東京メトロ四谷三丁目駅からが近いです。須賀神社のある四ツ谷三丁目駅界隈には、元々江戸時代から存在する坂道が多く残るエリアです。この階段については特に坂名を記す案内板は現地にありませんが、神社の参道につくられることが多い男坂と同様に「須賀神社男坂」と呼んでいる専門家の方も多くいます。 見た目にもインパクトがあり、坂上からの眺望も良いのですが、界隈の坂道にあるような坂の碑(案内板)などもないため、以前はどちらかといえば地域の南北エリアをショートカットして行き来できる近道的な道としての印象もありました。 そんな地域にひっそりと昔から存在していた階段坂に脚光をあびせたのが、映画「君の名は。」です。まだ見ていない方には申し訳ありませんが、映画のラストシーンでは主人公の男女(宮水三葉と立花瀧)が再会する重要なシーンの舞台として描かれています。また映画の宣伝ポスタ

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  • 都内屈指の崖地のユニークな坂道!御茶ノ水・駿河台の男坂と女坂 | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「男坂」という坂名は都内にもいくつか存在します。そのほとんどは神社の参道につくられています。今回の男坂は神社とは無関係な場所につくられ、坂名自体が地域名とはほぼなにも関係ないという意味でもめずらしい坂道です。 ちなみに神社の参道によく見られる男坂と女坂はセットでつくられることがほとんどで、直線的で急な階段を男坂、緩やかで男坂にくらべれば上り下りしやすい階段を女坂と名付けられています。これは今の通常の階段に対してバリアフリーのスロープを設けるのと似たような発想だったようですが、昔はそこに男坂&女坂と名前をつけることで、空間的な物語性も付加させていたというのが通説です。 駿河台の男坂は、段数でいえば73段もある一直線の階段で、その分、坂上との高低差もかなりあるため坂下からの眺めも爽快です。神社の参道ではよく見られる形状ですが、やはりここは御茶ノ水という都心部の街中に忽然と存在するところがユニー

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  • 横浜「日本大通り」は日本初の西洋式街路?海へと続く並木道は通り自体に歴史あり | 神奈川県 | トラベルjp 旅行ガイド

    横浜、関内駅そばには、横浜スタジアムから象の鼻パークに向かって一直線に伸びる並木道があります。この並木道は「日大通り」という名がつけられ、途中にはみなとみらい線「日大通り駅」が地下にあることでも有名な場所です。普段は通り沿いの施設ばかりに目が行きがちですが、今回はそこだけではなく、通り自体に歴史があり、建築家が手がけたことでも知られる「日大通り」に着目して取り上げてみたいと思います。 横浜スタジアムのある横浜公園から象の鼻パークに向かって一直線に伸びる並木道を「日大通り」と呼んでいます。幅の広い通りにはイチョウの木が植えられ、秋には紅葉が、クリスマスの時期にはイルミネーションが美しいスポットです。また沿道には歴史的建造物が建ちならび、TVのロケ地としてもよく使われる場所ということもあり、週末にもなると多くの観光客が訪れます。 さらに「日大通り」は通り名だけでなく町名にも「日大通

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  • 横浜・関内にも坂道があった?JR関内駅そばの「衣紋坂」と界隈史跡めぐり | 神奈川県 | トラベルjp 旅行ガイド

    横浜JR関内駅界隈といえば、海がすぐ近くにあり、坂道もない平坦な街のイメージがあります。でも歴史をたどればそんな場所にも名前のつけられた坂道があったのです。今回は、そんなJR関内駅からすぐの場所にあり横浜スタジアムも園内にある横浜公園にも隣接している「衣紋坂」について取り上げてみます。さらに、この界隈には歴史的建造物など新旧スポットがたくさんありますので、あわせてご紹介します。 JR関内駅から横浜スタジアムの方に歩いてすぐの場所に「衣紋坂」はあります。現在は、横浜スタジアムのある横浜公園と横浜市役所の間の通りを「みなと大通り」と呼んでいますが、まさに衣紋坂は、その通り沿いにある坂道だったのです。 なぜ見た目が平坦なのにもかかわらず、ここに坂名があるのかについては、後述しますが、とにかく通り沿いは坂道らしき場所は見当たらず、わずかな高低差が見られますがほぼ平坦で、坂の説明が書かれた案内板な

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  • 東京・田町駅すぐ 三田・潮見坂&聖坂界隈はかつての海岸線だった? | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド

    「潮見坂」という名前の坂道は、坂道から海が見えたことから名付けられた坂名のため、都内でもいくつか存在します。今回の潮見坂はJR田町駅西側を通っている第一京浜と桜田通りの間にある普連土学園から下る坂道に名付けられています。 江戸時代には坂上から芝浦の海辺一帯が見渡せたようで、江戸時代後期に描かれた『江戸名所図会』にも坂上からの海の見える景色が描かれています。現在は見るべきもありませんが、名所図会ではたしかに坂の向うに海が描かれていることからも、ここが潮見坂だったことがわかります。

    東京・田町駅すぐ 三田・潮見坂&聖坂界隈はかつての海岸線だった? | 東京都 | トラベルjp 旅行ガイド