弊社にて繋養しておりましたディープインパクト号ですが、 かねてより治療しておりました頸部の手術を7月28日に受けました。 手術は無事に終了して術後の経過も安定しておりましたが、 翌29日の午前中に突然起立不能になったため懸命の治療を試みました。 30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎に骨折が見つかり、 回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。 突然の出来事で誠に痛恨の極みではございますが、謹んでお知らせいたします。
弊社にて繋養しておりましたディープインパクト号ですが、 かねてより治療しておりました頸部の手術を7月28日に受けました。 手術は無事に終了して術後の経過も安定しておりましたが、 翌29日の午前中に突然起立不能になったため懸命の治療を試みました。 30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎に骨折が見つかり、 回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。 突然の出来事で誠に痛恨の極みではございますが、謹んでお知らせいたします。
92年の皐月賞、ダービーを制した2冠馬ミホノブルボンが22日に老衰のため死んでいたことが23日、分かった。28歳。12年の種牡馬引退後は、北海道日高町のスマイルファームで余生を送っていたが、21日朝から寝たきりの状態となり、22日午後6時すぎに息を引き取った。同ファームの中村広樹代表は「ひと冬ごとに体がさみしくなっていきましたから。ファンからいただく贈り物も多すぎるくらいで、本当に愛された馬でした」と残念がった。 91年9月に中京競馬場でデビュー。当時、最新施設だった坂路で4本追いを消化するなど、故戸山為夫師の元で徹底的に鍛え上げられ、「坂路の申し子」と呼ばれた。圧倒的なスピードを武器に快進撃を続け、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーなど、無傷の7連勝を達成。ダービーは4馬身差の逃げ切りだった。秋の菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて惜しくも3冠制覇は逃したが、92年の年度代表馬にも選出され
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