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2016年12月15日のブックマーク (8件)

  • 『この世界の片隅に』 なぜ監督はそんなに優しいのか聞いた

    2016年の掉尾を飾るがごとく、現在、各地で“熱狂”を生んでいるのがアニメ映画『この世界の片隅に』である。戦前・戦中・戦後直後の広島県・呉市の「日常」を静かに描いた同作の魅力を“日一硬派”なアニメ評論家を自任する古谷経衡氏が綴る。 * * * 公開2日前、東京テアトル社にて片渕須直監督へのインタビューが叶った。監督は一見して見逃しがちなわずか数秒に満たないカットの裏側を語る。 呉工廠への大空襲で溺死した女学生たち、広島が原爆の熱線と爆風で灰燼となる瞬間、画面隅を走る路面電車の右側に存在した神社境内にいた女子勤労学徒(県立第二高等女学校)、戦前まだ活気にあふれていた中島町(爆心直下で消滅)、そこに描き出される、往来を右往左往する人々一人ひとりの人生に名前を付けるようにして、監督は描いたという。「名も無き人などいない」と監督は繰り返す。 あの戦争の犠牲者を「300万人」という5文字に包摂

    『この世界の片隅に』 なぜ監督はそんなに優しいのか聞いた
  • 「この世界の片隅に」を中国で絶対に上映すべき“理由” | AERA dot. (アエラドット)

    「この世界の片隅に」こそ、海外輸出にふさわしい作品だこの記事の写真をすべて見る 戦時中の呉・広島が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」が公開から1カ月あまりが経った。興行収入は4.5億円を超えるヒットとなっている。総制作費は約2.5億円。その一部がインターネット上で有志の寄付を募る「クラウドファンディング」で集められた点でも話題となった。 仕事柄、主人公のすずと同世代かその下ぐらいの、日国内の、いわゆる銃後で戦争を経験した人の話をうかがう機会も少なくない。 こうした方々にとって終戦時の第一の感覚としてあるのが、皆共通して「生き残ってよかった」と口々に話す点だ。そして、「これからどうしよう」という言葉が続く。ここの部分、頭では理解したつもりになるのだが、彼らがなぜそう感じるのか、うまく論理的に説明できず、なかなか実感が湧かないでいた。 「この世界の片隅に」もそれが描かれているのだが、自分が

    「この世界の片隅に」を中国で絶対に上映すべき“理由” | AERA dot. (アエラドット)
  • 「箸の芝居が全員違うのは何故?」「アニメスタイルイベント ここまで調べた『この世界の片隅に』 その調査・考証の全て!?」 - 廣島城天守閣

    前置きと経緯 この記事の続きです。 注意(再掲) ※これは音声おこしではありません。現地での質問・回答をわかりやすく自分なりに噛み砕いたもので、文責はすべて私にあります。また公式関係者より削除の指示があった場合は速やかに対応致します。 二問目(ニコ生02:48:00くらいから)キャラクターデザイン・作画監督の松原秀典さんへの質問 Q楠公飯をべるシーンでは円太郎さん、サンさん、周作さん、すずさんの四人ともが、茶碗を持ち箸を構える所作が違います。原作にはない芝居です。他の場面にも、そういう部分がたくさんあります。 どのようなお考えで作画されたのでしょうか。 (2016年10月19日NHKニュースおはよう日 特集より引用 まず女性と男性で所作が違う。 すずさんは先に箸を持ってから茶碗を持とうとしている。サンさんは基的にはすずさんと同じ所作である。女性二人は箸を持ち上げ、べる型に持ち替えて

    「箸の芝居が全員違うのは何故?」「アニメスタイルイベント ここまで調べた『この世界の片隅に』 その調査・考証の全て!?」 - 廣島城天守閣
  • 「この世界の片隅に」は何故、語れない映画なのか? 解説 : 思考拠点 shiko-kyoten

    (※ネタバレがあります) 観てきました。 そして、僕自身の感想でも、他の人の感想(ネットや、友人)でも、共通して同じだったことがある。 それが、この映画は「語れない」映画であるということ。 それは「語ることが無さすぎる薄っぺらい映画」ということではなく、「大変言語化しづらい映画」であるということだ。 僕は観終わった直後、果たして何を語ればいいのか当に分からなかった。 あのシーンで泣いた、このシーンが怖かった、そういうのはある。 「感動した」 「やっぱり戦争は怖い。戦争は嫌だ」 「日常や大切な人を喪うって、苦しいね」 確かに、全部そうだ。 そうなんだけど……そういう言葉が言葉が全部表面的な気がする。そんな一言で包んで流してしまえるようなものじゃない感じがしてしまう。 言ってしまえば、そういう感想は「戦場のピアニスト」だって、「プライベート・ライアン」だってそうだった。 でも、それらとこの映

    「この世界の片隅に」は何故、語れない映画なのか? 解説 : 思考拠点 shiko-kyoten
  • 広島)公開1カ月、ヒット続く 「この世界の片隅に」:朝日新聞デジタル

    戦時下の呉・広島が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」が公開から1カ月を迎えた。異例のヒットを記録する中、太平洋戦争の幕開けとなった真珠湾攻撃から75年の節目を迎えた8日、片渕須直監督が呉市の呉ポポロと広島市中区の八丁座で舞台あいさつした。片渕監督は何度も呉や広島に足を運んで取材を重ねてきただけに、客席からは拍手と「お帰りなさーい」のかけ声が上がった。 八丁座でのあいさつで監督は真珠湾攻撃75年に触れ、「戦争が始まったのではなく拡大した日。原作にはないが、広島護国神社の近くでこの日、主人公のすずさんが貝などを売っている場面を加えた」と制作秘話を明かした。事を作るシーンが多いことに「8月15日で戦争は終わったが、その日の晩ご飯も次の日もご飯を作らないといけない。日々の積み重ねが現在につながっている」と話した。 全国的に話題となっていることに関しては「画面で描いている以上のことを感じて自分に

    広島)公開1カ月、ヒット続く 「この世界の片隅に」:朝日新聞デジタル
  • アニメ映画「この世界の片隅に」 戦時下 日常が輝く瞬間 - 日本経済新聞

    アニメーション映画「この世界の片隅に」がヒット中だ。戦時中の広島と呉を舞台に、18歳で結婚したヒロイン、すずの暮らしと戦争の影を温かみのある手描きアニメで描いた。11月12日に公開し、12月11日時点で44万人を動員、興行収入約6億円を記録。当初、63館だった劇場も88館まで増え、今後さらに拡大する。こうの史代の漫画を原作に、「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)で知られる片渕須直監督が映

    アニメ映画「この世界の片隅に」 戦時下 日常が輝く瞬間 - 日本経済新聞
  • 映画「この世界の片隅に」片渕監督に独占インタビュー![前編]

    戦時中の江波に生まれ、呉に嫁いだ女性が、戦禍の中でも懸命に生きる姿を描いたこうの史代さんの漫画が原作のアニメーション映画「この世界の片隅に」。 観客動員は平成28年12月8日時点で36万人を超え、上映劇場も拡大中。 今、日中に感動の声が広がっています。 「大ヒット御礼全国挨拶行脚」で来広中の片渕須直監督を広島市中区の八丁座に訪ね、お話を伺いました。 その内容を、二週にわたってお届けします。 監督、日はお忙しい中、ありがとうございます。今日はどちらから広島へ? 片渕監督 呉からです。呉で舞台挨拶をして来ました。 お客様の反応はいかがでしたか? 片渕監督 地元の方がたくさん来てくださっていて、普段自分が住んでいる近所の風景が映画の中に登場して、なおかつ、そこに今ではない時代の時間が流れていたり、ご自身のお母さんやおばあさんの子供のころ、若いころの様子を垣間見ることができたりしたと言っていた

    映画「この世界の片隅に」片渕監督に独占インタビュー![前編]
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(3)流れる雲、流れる私 | マンバ通信

    マンガのことばはテキストで、アニメーションは声。 そう書くと、いや、マンガのセリフだって話し言葉ではないか、という反論がくるかもしれない。しかし、たとえ話し言葉であってもそれはテキストである。その多くは抑揚や強弱や速度、あるいは表情を欠いている。もちろん、?や!、あるいは太文字や書き文字による装飾によって多少の表情をつけることはできるし、そうした装飾付きのテキストから頭の中で誰かが話しているところを想像したり、実際に自分で朗読することもできる。しかし、そのやり方は読み手に委ねられている。 たとえば、「ほんらいはアニの役目でしたが風邪のため、わたくしが」というテキストがあるとする。これをわたしたちはどう読めばよいだろう。見たところ、何の変哲もない標準語だ。何の装飾もない。すらすらと、訛りのないことばで読めばよいように思える。 では、次の3コマを見てみよう。上のテキストは実は『この世界の片隅に

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(3)流れる雲、流れる私 | マンバ通信