2007年02月19日 目覚めなければ熱で死ぬ。 (5) カテゴリ:お山に雨が降りまして 原子力発電所が、製造したエネルギーの70%を大気中に排熱することで成り立つ プラントであることは相当有名で自分のような情報に疎い人間でも、70年代から知って いた。ところが楽天ブログのアクティブな諸兄が、これを知らないというのはこの社会が相当病んでいるという気がする。悪しき「兆候」である。 であれば、多少おさらいすることにも意味があるかもしれない。 新潟には、柏崎原発がある。これは、日本でももっとも優秀な熱効率の原発だと喧伝を されている。ここでも6号機、7号機が、ウランの生産する熱エネルギーの3分の1が、せいぜい利用できている程度なのである。裏返せば、3分の2が、排熱として大気に流れ出る。一次的にいえば、日本海を油たんぽにしているのである。夏になれば、みな一斉にエアコンを使用する。柏崎は、新宿のたま
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
無意識の奇矯さに執着する人は、しかし社会的な正しさが問題になると凡庸な正論を言うことがある。 夢の話に夢中になったあとで、「でもひきこもりは最低」。 逆に、社会的な公正さを徹底する人は、無意識という独特の自己解体のロジックを問題にしてくれるだろうか。 私は、「人間関係のための暗黙の共通了解」を維持するのが極端に難しい。 しかしそれが逆に言えば、関係性のロジックを分節化するオブセッションにもなっている。 意識のかこつアリバイに耐えられない。 そのことは、震災時の《享楽》と関わる*1。 痛みが関係を立ち上げるべきなのに、日常が痛みを抑圧している。 日常というナルシシズム。 消費しあいっこのフェティシズムが維持する*2。 *1:【参照1】 【参照2】 *2:ブロガーとしての自意識は、「消費財としてのナルシシズム」であり得る。 受験偏差値のように。 症候的に反復される強迫的な空虚は、文字化のオブセ
2007年02月18日 諸君!眼を覚まされよ。 (5) カテゴリ:お山に雨が降りまして 地球温暖化問題にからんだ、路線対立のようなものが環境テーマで各地で 取りざたになっていることかと思う。なんのことはない、MSK222さんの日記でも 原発推進派と風力発電推進派のような構図で応酬されているのが話題になって いるのを拝読して、驚いた。問題の構図は、私にはきわめて脆弱基盤にあるとの 印象が湧く。つまり、どちらが良いのかという応酬の原則にほかならぬ炭酸ガス削減 テーマや、地球温暖化=温室効果ガス主犯説が底流にあるからだ。 なるほど、ここのところあまねく何人も疑うことを忘れた占領国家の市民らしい。 そんなこと、一体だれが科学的根拠を示して啓蒙しているのだろうか。 もう一度述べるが、ビニールハウスのような構造で地球が温暖化しているのならば 地表の温度差がこれほど露骨な理由を説明して欲しい。大阪と、滋
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