不同意に関するsmtz8のブックマーク (6)

  • 【産経抄】8月14日 - MSN産経ニュース

    昭和20年8月14日、つまり終戦の日の前日、東郷茂徳外相はアジア各地駐在の外交機関あてに暗号の緊急電を発した。日の敗戦で、大東亜会議に参加した親日国の要人は厳しい立場に置かれる。もし望むなら日への「移行」に便宜をはかれとの内容だった。 ▼「敗戦国日に呼び寄せたあとの対策や見通しがあったとは思われないが…日なりに誠意を示したのであろう」。親日政権のひとつ、汪兆銘政権を追った『我は苦難の道を行く』の中で上坂冬子さんはそう書いている。確かに敗戦前夜の国とは思えないような「気遣い」である。 ▼「亡命」を打診されたひとりが中国・南京政府の陳公博代理主席だった。汪兆銘亡き後、同政府を率いていた。陳主席は当初、申し出を断る。だが自分が南京に残れば蒋介石軍と衝突が起き市民に犠牲者が出ると判断、25日に日へ向かうことになる。 ▼一行7人の引導兼警護役を任されたのが小川哲雄陸軍主計中尉だった。拓殖大

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    smtz8 2011/08/16
    醜悪さを極める記事
  • 主張の正しさは行動を正当化しない。逆もまたしかり(下) - #旗旗

    ◆デヴィッドさんがどうしたってぇ? 昨日のエントリの続きなわけですが、まあ、もうこんなこと、Twitterくらいでしか誰も何も言わないし、私も別にもういいかくらいの気持ちになっていたんですよね。でもなんか「ヘイトスピーチに反対する会」のサイトに載った、個人の補足意見の末尾に、以下のような文章があって気が変わりました。 「主張はわかるけどやりかたが理解できない」というご意見もいただきました。でも……反グロ・アナキスト、デヴィッド・グレーバーも、こういうカウンターアクションの事例を紹介してますよ。ある行動を組むとき、それに乗れなかったら抜ける自由も、また乗れないどころかそんな行動やらないべきだと思ったら、たとえ仲間であれその行動をブロックする自由も確保されている、という事例 これでちょっとカチンときました。私には、「デヴィッド・グレーバーが、『たとえ仲間の運動であっても、私にはそれを自分の判断

    主張の正しさは行動を正当化しない。逆もまたしかり(下) - #旗旗
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    smtz8 2011/06/28
    「民衆の願い(考え)とは××である」と規定(あるいは囲い込み)したがる欲望について(ついでに「民衆」蔑視も併発してるけど)、時間あったら検討したい/「民衆の素朴で正当な要求」へぇ~(棒)
  • 神話的暴力と神的暴力、あるいは「動物」たちの反乱 - 梶ピエールのブログ

    少し前の、稲葉振一郎氏のエントリより。 少し話は変わるが、人(認識・行為の主体)を殺すということは、ある意味で(すなわちその人にとっての)世界を終わらせるということであり、その意味で人を殺すという営みは神的である。レヴィナスが「殺人は不可能である」と言ったのは要するにそういう意味においてであるとは言えまいか。つまりより正確には「殺人を人として行うことは不可能である」ということであったのではないか。殺すことにおいては、人は実に簡単に神の真似事ができてしまうのである。 もちろんその対極の、いわば「神の真似事」の困難な極というものが考えられる。すなわち、世界を創造するということだ。しかしこうした作業でさえも「真似事」としてであれば十分に可能である、とは言えまいか。すなわち、ある人にとってはその外側、ほかの可能性(「可能世界」と呼んでしまうことはとりあえずは差し控えるとして)が想定できないような環

    神話的暴力と神的暴力、あるいは「動物」たちの反乱 - 梶ピエールのブログ
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    smtz8 2011/06/26
    「民衆が、自由権のみを求めて立ち上がることはありえない」これを信じるなら、立ち上がる者は民衆ではない者であり、民衆は立ち上がった時点で民衆の定義から外れる、よって民衆は立ち上がらない。バカバカしい。
  • [【論説委員の取材ノート】湯浅博 侵略者が手を焼く地下要塞] - MSN産経ニュース

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    smtz8 2011/04/03
    まあ、いまさら産経がこの手の話題において日本軍の侵略に地下道を掘って抵抗闘争した中国の「地道戦」に言及することなんて一ミリも期待してないけど。
  • Amazon.co.jp: 日中戦争の軍事的展開 (日中戦争の国際共同研究 2): 波多野澄雄, 戸部良一: 本

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    smtz8 2010/07/23
    『政治的・感情的要素を排除して/新たな視点』なんでこんなアホな紹介文をつける本が多いのだろう?今までの研究のどのへんがどう「政治的」「感情的」か指摘してくれよ、こんな売り文句はうんざりだ。
  • 汪兆銘とその娘−「我は苦難の道を行く」を読む - Cosmopolitan’s Diary

    汪兆銘にかんする多くの書物の中で僕がこのに興味を持ったのは、汪兆銘の娘で後にカトリックの修道女となった汪文彬への著者のインタビューが掲載されていたからである。彼女は自分の経歴については秘して話そうとはせず、インタビューに成功するまでには長い時間と努力が必要とされたようだ。 汪文彬によれば汪兆銘は、 1937年、日軍に南京を占領された国民政府が重慶に引き下がる前に武漢に退いたころ、次のようにいったという。 「いま父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし、失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか」 これに対して、当時17才の汪文彬は、 「父親の考えたとおりに行動してほしい、子供としては成功しても失敗しても父親はつねに正しいと思っているから」 と答えたという。そして、父親がそのときに嬉しそうに笑ったのが忘れられないと付け加

    汪兆銘とその娘−「我は苦難の道を行く」を読む - Cosmopolitan’s Diary
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    smtz8 2010/04/28
    勝者/敗者などというそれ自体欺瞞的なレトリック(この概念が何を誰を忘却しているか)を超えて、汪兆銘はやはり道義的にも批判されなければならない。それが出来ないならそれは「道義」の敗北である。
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