私たちは不安と疑惑のなかで日を送っていましたが、そこへ一旦姿を見せなくなっていた八路軍がまた現れました。「上党戦役」で閻錫山の軍隊を撃破したので、戻ってきたのでした。 私たちのいる南溝の日本軍陣地の前は、河を隔てて高台になっていました。その高台と河の間を自動車道路が走っているのです。 八路軍は道路を見下ろす高台の上まで出てきました。だんだんその数が増えていって、道路は通じなくなり、南溝は孤島になってしまいました。 だが、八路軍は急に攻めてくる様子はありません。日本軍さえ手を出さなければ、衝突はほとんど起こりません。 夜になると、八路軍の兵士たちは高台を下り、道路を越え、河原までいっぱい出てきました。 私は小隊長でしたから、その巡察をきびしくしていました。ある晩私は一つの分哨陣地の望楼を訪れていました。そのとき、河向こうから声が聞こえてきました。 「第3中隊のみなさん、こちらは日本人民解放連
山東省棗庄鉄道遊撃隊記念公園の元鉄道遊撃隊の王志勝副大隊長の墓地があったところの傍らに一風変わった碑が立っている。碑文には「鉄道隊は中国人民の誇りであるだけでなく、日本人を含む世界中の平和を愛する人々が敬愛するところである。王志勝副大隊長は鉄道隊の創始者の1人で、彼の名前はこの鉄道隊の旗に記されているように、永遠に人民が尊敬する対象となっている。」とある。落款には日本の友人反戦同盟兵士 田村申樹とある。 日本人がなぜ中国人の碑を建立しているのだろう。鉄道遊撃隊を研究する専門家である棗庄市委員会党史研究室の陳玉中研究員の紹介によると、鉄道遊撃隊には2人の日本人隊員が在籍していたという。田村申樹と小山口原は中国を侵略した日本軍の騎兵だったが、捕虜となり思想啓蒙を受け、積極的に鲁南の「在中国日本人反戦同盟」に参加するようになった。1944年、鲁南軍区は正式にこの2名の日本人が鉄道遊撃隊に加わるこ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く