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ブログと読書に関するsn_1054のブックマーク (2)

  • 読書記録をとるのなら、ブログを始めなさい。まじで始めなさい。 - あざなえるなわのごとし

    読書記録をとるのなら、京大式カードを使いなさい。まじで使いなさい。 - マトリョーシカ的日常 ふーむ。 昔から手帳に憧れつつも結局続かず、数ページ書いては終わり、を繰り返してきた。 読書にしろ、昔はルーズリーフに読んだのタイトルを並べてニマニマしてたくらいで、そのときにも中身が~知的に~なんてものはなくて単なる娯楽ですね、はい。 で今となっても日々読書をしてるわけですが、これを「紙に書きだしなさい」「知的に繋がる」と言われてもぐぬぬと感じる。 だってこれをやっても自分は、多分見返さない。 こういうやり方が合ってる人には、いいと思うのだけれど。 読書記録ならブログをやればいいと思うのですよ、それが一番。 読書記録としてのブログ 「ブックレビュー」だの「批評」だのお手軽に言いますが、通常の読書量であれば「感想文」がせいぜい。 ただそんな「感想文」ですら書けないひとが、山のようにいる。 ブロ

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  • 「2009年は161冊読みました!」「それは何がすごいの?」というわけでオススメ本16.1冊を挙げてみる - ミームの死骸を待ちながら

    新年二目、というわけで2009年に読んだ良をまとめて書評しちまうぜエントリ。いざ数えるまで何冊読んでいるのか知らなかったんだけど、これは...案外読んでるな。まぁ、うち40冊くらいは小説なんだけど。舞城王太郎とか西尾維新とか村上春樹とか司馬遼太郎とか真山仁とか福井晴敏とか。 ちょいと余談なんだけど、...いや、そう言うことならこのブログ自体が余談の固まりのようなものか。戯言雑感チラシの裏。すなわちそれは、僕は余談に生きているというか、生き様が余談的なのかも知れない。なんとなくそんな感じはする。となると、じゃあ論はどこにあるんだろう?という疑問が沸いt ってなぜ余談に入る前に余談に逸れるのか。信じ難いな。 気を取り直して。僕にとって読書ってのは、どうもそのときの心理状態をセーブする"鍵"になっているらしい。タイトルを眺めてぱらぱらとめくってみると、以前読んだときの心理状態が再現できる。

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