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中国に関するsneakingのブックマーク (4)

  • 第2章:左派と右派のあいだ ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか──(1)「現代中国――現在と過去のあいだ」

    3.09.2013 梶谷懐第5回 第2章:左派と右派のあいだ(1) ──毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか── ■ 中国における左派と右派の区分まだ記憶も新しい昨年9月の一連の反日デモやそれに続く暴動の報道で、毛沢東の肖像を高く掲げた人々の姿がテレビに映し出されたことに、名状しがたい思いにとらわれた人々は少なくないだろう。現在の中国社会に様々な矛盾が存在し、それが反日という形で吹き出している。そこまでは何とか理解できる。だが、それがなぜ、毛沢東の肖像を掲げながらなされなければならないのか? そもそも、毛沢東は中国の庶民にとって当の「味方」などではなかったはずだ。毛沢東が君臨した時代、大躍進の失敗による大飢饉や文革によって吹き荒れた暴力によって、何千万人という人々が犠牲になったことは、中国共産党の公式見解においてさえ認められてきた否定しようのない事実である。過去にそういった重大な失政を行っ

  • Amazon.co.jp: 激辛書評で知る 中国の政治・経済の虚実: 矢吹晋: 本

  • 福本勝清氏によるアジア的停滞論に関する連載 - 梶ピエールのブログ

    前回に引き続き、むっちゃ刺激的で面白いです。平野義太郎と大上末広がこのように批判されることに全く異論はないが、だとすると尾崎秀美などはどのように位置づければよいのだろうか? http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_32.htmlより。 例として戦前の日主義論争(封建論争)を挙げよう。互いに激論を展開した両派、講座派も労農派も発展論的な視角をとっていた。だが、労農派を停滞論だと批判するものはいないであろう。誰も、戦前日の農村にアジア的な特殊性を見いだした猪俣津南雄を停滞論とは批判しないだろう(『農村問題入門』 1937年)。筆者は、日主義の停滞的側面を強調した講座派理論は、ある意味で「日的停滞論」と呼ぶことができると考えているが、それは多分に比喩的な意味において(アジア的停滞論の連想から)そうなのであり、それが何か、アジア的停

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  • 蒼蒼―中国的なるものを考える_31: 停滞論の系譜 4 平野義太郎とアジア的停滞論

    前々回は秋沢修二、前回は森谷克己について触れた。今回は、平野義太郎である。そして、問題となる著作は『大アジア主義の歴史的基礎』(1945年)である。この半年間に二度ほど目を通してはいるのだが、あれこれの学説や理論をかき集めた、ごった煮といった印象が強く、何とも評価のしようがない感じがしている。主に戦時中書かれた、時論的な、或いは政論的色彩の濃い論文を集めたからであろう。もちろん、左翼知識人の思想的転向の問題として論ずれば、何か語れるかもしれない。現実に、そのような視角にもとづく平野義太郎の戦時下のアジア的社会論について、すでに幾つも論文が書かれており、やはり講座派の旗手だった平野だけに、その点については注目度が高いといえる。だが、秋沢や森谷と同じように、あくまでも平野におけるアジア的生産様式とアジア的停滞論の関わりを問おうとすれば、ことはそれほど簡単ではない。 平野義太郎は、戦前講座派の重

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