人口が減り、残った住民はお年寄りばかり。かつて近海漁業で栄えた三重県南部の東紀州に地域再生の光が見えてきた。手を差し伸べたのは、東京の外食産業。現地で漁業や水産加工を手がけ、本社を移転する構想も打ち出した。何が経営者を動かしたのか――。 3月の早朝。熊野灘に面した三重県尾鷲市の須賀利漁港から、東京の外食産業「ゲイト」の定置網船「八咫丸(やたまる)」が初めて船出した。乗組員は五月女(そうとめ)圭一社長(45)ら約10人。8キロ沖の定置網を引き揚げてシマアジやアカイカ、アオリイカを尾鷲港に水揚げした。五月女さんは「喜びは格別だが、先は長い。引き締まる思いで、地道に漁を重ねたい」と話した。 《問屋依存体質》からの脱却を模索 尾鷲市の漁獲量(養殖含む)は2015年、5837トンで、26年前(1989年、2万589トン)の3分の1以下に落ち込んだ。足もとの漁業就業者は約360人。約50年でざっと2千