タグ

2009年12月10日のブックマーク (4件)

  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波哲学講座・第12巻『性/愛の哲学』(2) 2009年9月刊 (写真は、田村公江氏の別著) 収録論文の田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作である。田村論文は、ポルノグラフィーと売買春を扱うもので、「制度としての性の商品化に反対する立場で、・・・制度としての売買春=買春機会を保証する社会のあり方に反対するのが、筆者の立場である。」(p170) ここでは、なぜ売買春は悪いことなのか、その論理を根源的なレベルで構築しようとする田村の議論を見てみたい。田村はまず、現代の日社会が売春に寛容である理由として二つを指摘する(172)。(1)貧困に迫られての悲惨な売春はすでに過去のものとなったという楽観的認識、(2)性は個人的な事柄であり、当事者の自己決定に委ねておけばよいというリベラリズム。この(1)(2)にそれぞれ対応して、売買春を条件付きで肯定する考え方が二つある。 まず

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌
  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波講座哲学・第12巻『性/愛の哲学』(1) 2009年9月刊 戦前から続く岩波哲学講座だが、今回、『性/愛の哲学』というテーマの巻が登場した。フロイト、ラカン、フーコー、バトラーなど、20世紀には「性」が哲学のテーマとして前景化し、ジェンダー研究も活性化したことが背景にある。全体を通読した印象では、収録論文はやや玉石混交か。その中では、小泉義之「性・生殖・次世代育成力」が鋭く、また田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作だ。観点が違うこの二つの論文の考察はともに、期せずして、"正常で健康な"男女の性愛それ自体が内包する非対称性、不平等性、強制性、暴力性、罪責性、原罪性などに行き着いている。 小泉論文は、そのタイトルが示すように、異性愛、生殖、子育てという論理的には独立でありうる三項が、人類の歴史においては三位一体のものとして扱われ、恐るべき強制力を持ってきたことに焦点

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌
  • セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground

    このブログでセクシュアリティの問題を扱ったことは、あまりない。採り上げるほどの興味を持っていないということもあるが、セクシュアリティについて語ると、多かれ少なかれ個人的経験と結び付けて考えざるを得ない部分が必然的に出てくるので、ややためらわれるということが大きい*1。ただ、以前から考えていることはあるので、一度まとめて書いておくのもいいだろう。多分に問題提起的な性格の記事で、ほとんど何も調べずに書くことになるので、ツッコミどころは多いかもしれない。批判は歓迎するが*2、十分にお返事できるかどうかはわからないので、悪しからずご了承あれ。 人間の三大欲求は欲・性欲・睡眠欲だとよく言われるが、欲や睡眠欲の充足は社会的な手当てが必要だと考えられているのに対して、性欲の充足は倫理学や社会政策が問題にする人間の基的「必要need」からも除外されていると言っていい。これは実に深刻な問題である。とに

    セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground
  • 「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置 - on the ground

    私の論文などに興味がある人はごく少数でしょうから、ブログマターに戻って先日の話を続けましょう。 デモクラシーについての私の理論的立場は既にお話したので、今回は東的デモクラシー論が持つ可能的意味にグッと焦点を絞りたいと思います。東さんは「朝生」終了後から、ご自身のツイッターで自らが構想する新たなデモクラシー像について断続的に説明していらっしゃいます。その中で、「データベース民主主義」こそ自分が意図するところだと語っておられる。ほとんど鈴木謙介さんの言う「数学的民主主義」の言い換えですが*1、私の考えでは、これは同時に「データベース全体主義」とも言い換えられます。 早とちりしないで下さい。全体主義だから悪いと言いたいのではありません。現代社会では「良い全体主義」が可能になっているのではないか(それに抵抗すべきか否か)、といった議論は、社会思想分野におけるトレンドになりつつあります*2。全体主義

    「一般意思2.0」の勘所、あるいは「データベース民主主義」の理論的位置 - on the ground
    so_kb
    so_kb 2009/12/10
    "テクノロジーの発達によって可能になるかもしれない、新たな形での「民主政抜きの民主主義≒全体主義」...を許容できるかどうか"