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ブックマーク / blog.tinect.jp (96)

  • 「作文が書けない子」に本当に必要な訓練の話

    先日、東洋経済さんでこんな記事を拝読しました。 「作文」が書けない子に教えたい3つの言葉 文章を書くことは、観察し、驚きを見つけ、考えることです。これがステップ1からステップ3への手順に当てはまるのです。 (東洋経済オンライン) 正直なところ、この記事を書いた方は「作文が書けない子」のレベルをかなり高く見積もっているなあ、と感じました。 いや、文中のテクニック、文中の手法が悪い、というわけではないのです。ここに書かれていることは、それはそれで非常に有用、非常に有効なことだと思います。 「観察→深堀りと整理→考察」という思考法は、あらゆる表現、あらゆる論考で重要な手順です。 小さい頃からこの手順になじんでおくことはとても有益ですし、その際の教え方、かみ砕き方として、文中提示されているような言い方をするのも有効でしょう。そこについては何の文句もないんです。 ただ、ここでいう「作文が書けない子」

    「作文が書けない子」に本当に必要な訓練の話
  • 約二年やってみてわかった、リモートワークのホントのところ。

    Books&Appsを運営する弊社は、現在フルリモートワーク仕事をしている。 といっても、小規模な会社なので大企業が言うフルリモートワークとはちがい、「やってみましょう」の一言で、結構気楽にやれている。 そして実際に二年ほどフルリモートワークをやってみると、利点や欠点がよくわかる。 * もともと、弊社は昭和63年に、わたしの父が創業した。 ほとんど税金対策でしか機能していなかったので、父の引退とともに、休眠状態であった。 ところが私が会社をつくるとき、父が私に使わせるために会社を潰さず残しておいた、と言ってくれたので、私は起業とともに「ティネクト株式会社」と名前を改め、会社を運営し始めた。 その時のメンバーは私ともう一名の合計二名。 「たった二人でオフィスなんかいらないよ」という考え方もあった。 しかし結局、仕事のメリハリをつけるためと「フェイス・トゥー・フェイス」が重要だとの考え方が当

    約二年やってみてわかった、リモートワークのホントのところ。
  • わざと皆の前で出席簿を忘れた、小学校の担任の先生の話。

    H先生の話をします。 H先生は、私が小学校3年から4年の時に担任を持ってもらった先生です。 男性で、眼鏡をかけていて、体格はそこそこ良くて。多分当時、30代後半から40代くらいだったのだと思います。気さくで、笑顔が多くて、授業中でもちょくちょく雑談をしては、クラス中を笑わせるような先生でした。 ちなみに、この記事で「巻物を触る仕事をしたい」という素っ頓狂な発言をした私に対して、「大学でなら触れるで」という適切な方向付けをしたのはそのH先生です。 私の人生において、ある意味かなり重大な影響を与えられた先生でもあります。 私が子どもの頃ですので、今の小学校とはまた色んな事情が随分違うとは思いますが、H先生がクラスで慕われていたことは間違いありません。 小3から小4くらいの小学生というのは当に難しくて、面倒くさくて、一歩間違えると先生の言うことなど全く聞かなくなります。 その点、私のクラスは、

    わざと皆の前で出席簿を忘れた、小学校の担任の先生の話。
  • 子供に「スケジュール管理」をさせる幼稚園の教育に、けっこう驚いた話。

    5歳の娘が、いま幼稚園に通っている。 友だちと遊んだり、モルモットの世話をしたり、を読んだりと、幼稚園は結構好きなようだ。 課題を出す幼稚園 ただ、その幼稚園はちょっと変わっている。 子供に「課題」をよく出すのだ。 といっても、何か算数や国語などの勉強をさせるわけではない。殆どの課題は「日常の習慣」に関するものだ。 例えば「早起きの励み表」と称する紙が子供に渡される。 その紙には、1週間分の起床に関する記録がつけられる欄があり、「起床の目標時刻」と「実際に起床した時刻」を毎日記録していく。 もちろん、親が記録をつけるのではない。子供が自分で記録をつけなければならない。 そして1週間後、きちんと記録が埋まれば、幼稚園でメダルをもらえたり、表彰してもらえたりする。 要するに、一種の目標管理である。 もちろん、何もしなくても、ペナルティは特にはない。やるかやらないかの意思決定は、子供に委ねられ

    子供に「スケジュール管理」をさせる幼稚園の教育に、けっこう驚いた話。
  • なぜあの人はいつも、不平不満ばかりなのか。

    最近読んで大変感服したの1つに藤原さんという方が書かれた”カネ遣いという教養”というがあるのだけど、このの中で大変感心したエピソードの1つに「自分の心は自分以外の何ものにも支配されない自由なものである」という話がある。 あるとき藤原さんが電車を降りようとした時、乗り込んできた酔ったオッサンに理由もなく怒鳴られ非常に強い怒りを覚えたのだという。 普通なら怒り心頭になりそうなものだけど、なぜかそのとき藤原さんの頭のなかで「この怒りの感情を逆転させると面白そうだな」という天啓が閃いたそうだ。 そしてそれを実行し終えた後「怒りも喜びも自分の心のあり様次第でいかにでもコントロール可能である」という事に気がついたのだという。 これはぶっちゃけ凄い話である。このエピソードを読むためにもこのを買う価値がある。 どういう事か具体的に説明していこう。 この場面で言えば酔っ払ったオッサンのちょっかいによ

    なぜあの人はいつも、不平不満ばかりなのか。
  • コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。

    コンサルタントをやっていたころ、「議論」を見る機会がよくあった。 「見る」といったのは、私が議論に参加することは殆どなかったからだ。 というのも、コンサルティングには 「お客さんとは絶対に議論するな。お客さん同士で議論してもらえ」 という原則があり、私はそれを忠実に守ったのである。 そのため私は、第三者として、様々な会社で、多くの議論を見る機会に恵まれた。 そこで一つ気づいたことがある。 「議論のうまい人」と「議論がへたな人」は、非常にはっきりと分かれるのだ。 「議論」とは何か 当然、人によって議論に抱くイメージは異なるだろうから、まずハッキリとさせておかなければならないのが、「議論」の定義だ。 広辞苑にはこのように書かれている。 【議論】 互いに自分の説を述べ合い、論じ合うこと。意見を戦わせること。またその内容。 (広辞苑第六版) 私が見てきた議論の殆どは会議やディスカッションなど、 「

    コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。
  • 長男の宿題の遅れを「可視化」で、回復した話。

    最近気づいたんですが、長男には「ちゃんと見た目を整えてあげるとなんかやる気が出る」という特性があるようなんです。 以下、ちょっとした話です。 以前も書きましたが、長男は夏くらいから塾に通い始めました。 まだ小4だし、大変だったら無理せんでいいよと言ってはいるのですが、今のところ楽しんで通っているようです。 人的には、塾自体もさることながら、塾の帰りに軽く買いいが出来るとか、塾がある日は自分だけちょっと寝る時間が遅くなるので、長女次女が既に寝ている、「パパ・ママ・自分」という空間で過ごせることが、どうも凄く嬉しいようなんですね。 私と奥様は、いつも子どもたちを寝かしつけてから自分たちのご飯をべるので、その空間に混じると長男すげーはしゃいで色々喋ります。まあ主にゼルダやらスプラトゥーン2の話とかなんですが。 考えてみると、双子が生まれた後の長男は、両親をいっぺんに一人占め出来る時間という

    長男の宿題の遅れを「可視化」で、回復した話。
  • 「タスク管理をしっかりやると、人生が変わるくらいのインパクトがある」という話。

    むかし、一緒に働いた方から「なぜタスク管理をしないのか」と問われた事がある。 だが、その時の私には、多くの人が思うように、なぜタスク管理が必要なのか、それにどのようなメリットがあるのか、正直よくわからなかった。 というのも、上から出された指示はそう忘れるものではない。 百歩譲って、忘れそうなときにはメールで貰えばよいし、手帳もある(今ではスマートフォンもある)。 また、いちいちタスクを書き出して管理をするという手間が、むしろ仕事を遅らせるのではないかと思っていたからだ。 私は言った。 「タスク管理ですか……。指示はちゃんと覚えてますから大丈夫ですよ。」 すると彼は言った。 「もしかして、タスク管理を面倒くさそう、とか思ってる?」 図星だったが、私は平気な顔をした。 「いえ、なんか仕事をやらされている感……というか仕事に追われるのが嫌なんです。」 「ふーん。」 彼はニヤリと笑って言った。 「

    「タスク管理をしっかりやると、人生が変わるくらいのインパクトがある」という話。
  • なぜ経験を重ねると、人に優しくなれるのか。

    優しさについて考えるきっかけとなったのは、ある施設の話題だった。 その施設は、トイレットペーパーや布団のシーツといった備品を利用者が補充している。 利用者が補充するといってもやることはとても簡単で、「もうすぐなくなります」と施設側に伝えるだけでいい。 そうすればあとは施設側が手配してくれるので、最初の一声だけ利用者が発信すればいいという仕組みになっている。 ただこれがあまりうまく機能していないらしい。 というのも、利用者がもうすぐなくなるアラートを出すのは自分のためではなく、次に利用する別の誰かのためだからだ。 自分が楽しんでいるときに、次の利用者のことを思って備品の数を見る人はほとんどいない。 ある利用者は「自分が『さあ寝よう』と布団を敷こうとしたときに初めて『シーツがない』と気づく。その絶望感を一度体験すると、次使う人のために必ず残りのシーツの枚数をチェックしようと思える。 だがその経

    なぜ経験を重ねると、人に優しくなれるのか。
  • 「ちゃんと考えられない人」につけるクスリはあるのか。

    かなり昔の話だ。 クライアント先で、一人の男性から相談を受けた。 彼は同じ年代の中でも「できる人」だと評判で、役員への昇進も期待されていた。 だが、彼は仕事上のコミュニケーションで苦労していた。 「ちょっと相談にのってもらえますか。」 「はい。」 「一週間前、エクセルのシートに一人ひとり、現状分析と来期の目標、そして達成のための施策を書いて提出してもらいました。」 「憶えています。」 「ところがです。提出されたものを見ると、……内容がひどくて。」 彼は溜息をついた。 「新人なら良いですよ。でも管理職でもひどい内容のものが結構あります。私の指示がマズいんですかねえ……。」 私はそれを見せてもらった。 様式は丁寧にできているし、不親切なものとは感じない。 だが、提出された内容については、確かに私も首を傾げざるを得ない点が多数あった。 例えば「現状分析」欄には、今期の売上について間違った数字が記

    「ちゃんと考えられない人」につけるクスリはあるのか。
  • マクロで作業工程を改善するのは大歓迎なのですが、無断でやるのは避けた方がいいです。

    仕事関係の割とステレオタイプな寓話として、「Excelでマクロを組んで業務効率化したのに何故か怒られた」というものがあります。 皆さん、そういう話読んだことありますか? webでパッと検索してみると、幾つか類型的なものが引っかかります。これなんか結構昔からあるヤツですね。タイムスタンプは2009年になっています。 K谷「ああ、自動で計算するプログラムを組んだんですよ、マクロって言います。 こっちでやった方が作業効率も上がるしミスも減ると思いまして、何か問題だったでしょうか?」 ・・・・・・・・・・はぁ!?会社舐めるのもいい加減にしろよ、 仕事が早いというのは同じ環境でどれだけ間違いがなく効率よく作業ができるかということ、 そんなの社会人としてというか人として当たり前のことです。 マラソン大会で一人だけ車を使って優勝してもそんなの評価されていいわけがない。 「yahoo釣り袋」などと揶揄

    マクロで作業工程を改善するのは大歓迎なのですが、無断でやるのは避けた方がいいです。
  • 「先輩、残業できないので生産性を上げる方法を教えて下さい。」

    「先輩、生産性を上げる方法を教えて下さい。」 Sは後輩のKから質問を受けた。 「なんで突然、生産性?」 Sは聞く。 「日は生産性が最低だと聞きまして」 「ほう」 「ちょうど会社も残業を削減しろと言ってるじゃないですか。残業が多いと評価が低くなるって。」 「だな。」 Kは当に困っているようだ。 「で、生産性が我が社最高との評判の高いS先輩に、教えを請いたいと思いました。」 「ふーむ。」 SはKのことを「素直だが、能力はちょっと低いやつ」と評価している。 真面目なのだが、機転が利かず、先読みができない。 おそらく他の社員たちも概ね、同じような意見だろう。 事実、彼は仕事は遅い。いつも夜遅くまで仕事をしているのを、皆が目撃している。 一昔前までであれば、「頑張っている」と評価されたかもしれない。 だが、今はもうそのような時代ではない。 おそらくこのまま行けば、彼の期末の評価は少なくとも中の下

    「先輩、残業できないので生産性を上げる方法を教えて下さい。」
  • 「誰かが休んだことを、他の誰かが責める」という状況を放置するマネージャーにはなりたくない。

    管理者がまずやるべきことは 「仕事が回っていないとしたらそれは管理者である自分のせいであって、誰か休んだ人のせいではない」 ということを、明確に部下や周囲に伝えることなんじゃないかなあ、と思うんです。 何度か似たようなことを書いているんですが、先日こんな記事を読みました。 「いきいきママ」で業務が崩壊した話 もちろん男性社員であるため有給の取得は管理職の顔を窺いながら取ろうとするも「いきいきママ」で空いた穴を埋める必要があるため口頭で却下されていた 残業・夜勤・休日出勤もあり振替で休めるにしてもスケジュールを会社が勝手に決めて2日以上の連休取得も口頭で注意されるような状態だった 更に子持ち男性社員の育休取得で空いた穴を埋めるために有給取得さえ許されない時期もあった 彼らの給与はどうだったか?「いきいきママ」や平社員とほぼ変わらない、幹部候補になっていた男性社員が3人辞める前にこんな事を言っ

    「誰かが休んだことを、他の誰かが責める」という状況を放置するマネージャーにはなりたくない。
  • 「なんでこんなに仕事が手につかないんだろう?」と悩む人に読んで欲しい話。

    すぐ隣で仕事をしている人が、こんなことを言っていた。 「なんで自分にはこんなに集中力がないんだろう?仕事をはじめても30分で耐えられなくなってしまう。昨日の夜は溜まっていた仕事になかなか手がつけられず、つい朝まで寝てしまった。」 私は答えた。 「科学的には、「とりあえず、5分でも10分でもやってみる」とやる気が出るらしいですよ。」 参考:どうにもやる気がおこらない時、やる気を出せる技術。 「やる気」は脳の研究分野の1つでもあり、科学的なアプローチも進められてきた。 脳科学者の池谷裕二氏は著書の中で、「やる気」について言及しており、「何かを始める」と、側坐核という脳の部位が活性化し、やる気が出るとしている。 これはつまり「気分」「マインド」が先ではなく、「行動することでやる気が出る」という、従来のイメージと逆の主張だ。 確かに個人的にこれは思い当たるフシが数多くあり、「やる気がでない」と言う

    「なんでこんなに仕事が手につかないんだろう?」と悩む人に読んで欲しい話。
  • 無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。

    いろいろな会社で仕事をしていると、「ケアレスミスをする人」「同じミスを繰り返す人」に結構な割合で遭遇する。 やれるのにやらない、わかっていてもできない、大事なことを忘れる、そのような行動を繰り返す彼らに付けられる名前は無慈悲そのものだ。 すなわち、「無能」である。 そして、世間は無能には極めて厳しい。 ハーバード大学公衆衛生学のアトゥール・ガワンデ氏は次のように表現する。 私たちは、そのような「無能」の失敗に対しては感情的になってしまいがちだ。 「無知」による失敗は許せる。何がベストなのかわかっていない場合は、懸命に頑張ってくれれば私たちは満足できる。 しかし、知識があるにもかかわらず、それが正しく活用されてないと聞くと、私たちは憤慨せずにはいられない。 氏の述べる通り、「知っているのにやらない」時や、「わかっていてミスをした」時には、組織はミスをした人物に非常に冷酷な仕打ちをする。 叱責

    無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。
  • 成績の良い生徒と悪い生徒は、別の学校のほうがお互い幸せになれる、という話。

    なんだかなあ~、という記事が、タイムラインに流れてきた。 国立大付属校「脱エリートを」…学力より抽選で 「エリート校化し、公立校の教育に貢献する役割を果たしていない」との批判から、近くまとめる報告書に、抽選で選抜するなどして様々な子供を入学させるよう求める提言が盛り込まれる見通しだが、困惑する声も聞かれる。 ◆東大合格102人 「ツクコマ」の愛称で知られる筑波大付属駒場高校。今春、102人の東大合格者を出した屈指の進学校だ。 付属校を担当する筑波大の宮信也副学長は、有識者会議の議論に「抽選で合否を決めれば生徒の学力に幅が出て、教育の質を保てなくなる」と戸惑う。 「科学に秀でた人材育成を目指しており、国の目的と合うはずだ」と強調した。 当たり前だが、エリートかどうかは成績で決まるのではないので、筑駒にいる「成績の良い生徒」を「エリート」と言ってしまうスジの悪さもある。 が、「抽選で選抜をせ

    成績の良い生徒と悪い生徒は、別の学校のほうがお互い幸せになれる、という話。
  • 昇給は、できるだけ小刻みに、不平等に行うこと。そうすれば従業員の幸福を長く保てる。

    もしあなたが経営者、もしくはマネジャー、管理職であれば、従業員の幸福度には関心を持たざるをえないだろう。 なぜなら、「幸福な従業員」は、高いパフォーマンスと関係があると、多くのエビデンスが示しているからだ。 幸福度の高い労働者ほど生産性が高いのか?(独立行政法人経済産業研究所) 実験室の中での研究や実世界で得られるエビデンスはいずれも従業員の健康に注意を払うことは企業にとって有益であることを示している。 幸福感は努力を促し、質に影響を及ぼすことなく生産量を拡大し、生産性が向上するようである。一時的な幸福感の上昇や根底にある幸福感の長期的な変化は生産性向上と関連している。 先日の記事においても、幸せな人でなければ、だれかを幸せにはできない、という話が述べられていた。 全くそのとおりであると思う。 “Happy people make happy horse.” 自分自身がまず幸せじゃないと、

    昇給は、できるだけ小刻みに、不平等に行うこと。そうすれば従業員の幸福を長く保てる。
  • 小学校の学校公開で目撃した、先生の工夫が凄かった

    すいません、ちょっとものすっごい細かい話をしてもいいでしょうか。 しんざき、37歳。長男は9歳で小学4年。長女と次女は5歳の双子です。先日は父の日でウイスキーをプレゼントしてもらいました。大変美味しいです。 先日、長男の小学校の学校公開に行きました。学校公開というか、まあ平たく言うと授業参観なんですが、保護者だけでなく近所の人なんかも参観出来るので「学校公開」と呼んでいるみたいです。いわゆるオープンキャンパスですよね。 昔はあまり聞かなかった言葉だと思うんですが、最近はこういうやり方が多いんですかね? 長男は小4で、3年生からはそのままクラスが持ち上がりになっています。3年からの担任の先生のことをすごく気に入っているみたいで、「先生の授業面白いよ!」としょっちゅう話していたので、ああ相性のいい先生に当たれたみたいだな、良かったなーと思ってはいたんです。 で、先日その先生の授業を見て、えらい

    小学校の学校公開で目撃した、先生の工夫が凄かった
  • 問題を指摘するだけで改善案を出せない専門家、「重箱の隅おじさん」の話

    つい先日、あるwebマーケティング会社の方々から、 「社外の専門家を雇ったのだけど、当にうんざりした」 という話を聴いた。 「なぜ?」とお聞きすると、 「とにかく仕事ができないので、チームの雰囲気を悪くする。」 という。 しかし、当然ながら 「仕事ができない専門家をなぜ雇ったのか?」 というギモンが浮かぶだろう。 私はそれを聞いた。すると彼らは、 「いや、知識だけはすっごいあるんですよね。分析ツールとか、統計とか。異常なほど詳しい。も出したりしている。」 「なるほど。ではなぜ「仕事ができない」と感じたのですか?」 「その人さ、問題を指摘するだけで、全然改善案を出せない専門家なんですよ。」 「そういうことですか。」 「例えば、webサイトを見て、あそこが悪い、ここもダメ、っていう指摘はめちゃめちゃうるさいんですよ。でも、「じゃあどうすれば改善しますか?」と聞くと、何も出てこない。」 「な

    問題を指摘するだけで改善案を出せない専門家、「重箱の隅おじさん」の話
  • 「子供のしつけ」=「我慢させること」と考える人もいますが、私はそれだけではないと思います。

    「あんまり甘やかしちゃダメよー。まず我慢って教えないとー」と、言われました。 しんざき家の子供たちは、3人とも漏れなく抱っこ好きです。 5歳の長女次女はもとより、9歳の長男でも、今でも抱っこされたい時というのはあるようで。寝る際、たまに長女次女が早く寝付いた時など、「二人でサンドイッチして!」と私と奥様に要求したりすることがあります。 成長の過程で親との接触を求めなくなる時というのは必ず来ますから、特に年齢とかは気にせず、抱っこして欲しい時にはなるべく抱っこしてあげるようにしています。 長女次女は長男に輪をかけて抱っこ大好き星人でして、抱っこやらおんぶやら肩車やら、殆ど四六時中要求されます。 しんざき家には「仲良し抱っこ」という制度がありまして、「歩きながら抱っこ」と「仲良し抱っこ(立ち止まって抱っこ)」は別物です。例えばお出かけ中、歩いている時、次女が抱っこを要求した場合、歩かないでその

    「子供のしつけ」=「我慢させること」と考える人もいますが、私はそれだけではないと思います。