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ブックマーク / ibaya.hatenablog.com (12)

  • 「誰かのため」とか言っていないで、自分のために生きること。ー 期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。 - いばや通信

    武蔵小杉のホテルから眺めた空が綺麗だった。先日、この場所で開催された教育系シンポジウムに登壇者のひとり(異物的な役割)として出演した。そこで、強烈な違和感を抱く出来事があった。テーマは「こどものためにできること」であり、私を含めた(私以外は立派な経歴の持ち主である)四人の登壇者たちが順番に壇上で話すという内容だった。 「こどものためにできること」的な教育シンポジウムに登壇して強烈に抱いた違和感が幾つかあって、そもそもで「こどものため」というのに腹が立ったし、「社会に通用する人間を育てるのが子育ての基」とか壇上で発言する場慣れした感じの偉そうなおじさんがいて、この人はバカなのかなと思いました。— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 3月 10 「こどものためにできること」なんて存在しない私はまだ結婚をしたこともなければこどもをもったことがないので、こども目線での話しか

    「誰かのため」とか言っていないで、自分のために生きること。ー 期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。 - いばや通信
  • 【男と女の違いについて】女性の言葉は「お告げ度」が高い。ー いがみ合っている場合ではなく、お互いに助け合うこと。 - いばや通信

    沖縄県に来ている。神の島とも呼ばれている久高島に足を運び、島では首里城を訪ね、隙間時間は太陽を浴びたり読書をしたり会話をしたり文章を綴りながら時間を過ごしている。北谷町と宜野湾市ではトークセッションも開催していただき、様々な方々との対話も重ねた。不思議と「男と女の違い」について考えさせられる機会が多く、その時々で感じたことを10か条(?)にしてまとめます。 1・「張り合う男性」と「受け入れる女性」私の文章に共感を寄せてくれる方や、実際に私が出演するトークセッションに参加してくれるのは7〜8割が女性で、私が発言する内容に批判を寄せてくるのは大半が男性になる。この現象がずっと不思議だった。過去に「人間は所有することが出来ない」という意味合いも込めて『不倫肯定論』という記事を書いたら見事に炎上してしまって、3日で10万アクセスを越えて多くの賛否両論が集まった。驚いたことに、批判の100%は男性

    【男と女の違いについて】女性の言葉は「お告げ度」が高い。ー いがみ合っている場合ではなく、お互いに助け合うこと。 - いばや通信
  • 【家族の幸福論】親は子に、子は親に「完璧であること」を求めすぎている。ー 「自分が楽しそうに生きている姿を見せること」以上に説得力を持つものはない。 - いばや通信

    私の両親はどちらも中卒で、現在は新潟市内で小さな理髪店を営んでいる。私は三人兄弟の末っ子で、5歳年上の姉と、4歳年上の兄がいる。5歳年上の姉は専業主婦で、現在は1歳のこどもを育てている。4歳年上の兄は東大在学中から自分で事業を興し、現在は3歳と0歳児のお父さんでもある。 「三人いたら、ひとりくらいはバグるものだ」私はというと「家のない生活がどうのこうの」などとほざきながら、ご覧のようにロクでもない生活を続けている。両親からも「お前はいつまでバカをやっているんだ」と実家に帰省する度に諭されるが、私自身も「今に見ていなさい。いずれ私が、今にも床が抜けそうなこのボロい実家を建て替えてやるから」みたいな感じで、憎まれ口を叩いている。基的には両親との仲も良好で、母親も「三人くらいこどもがいれば、ひとりくらいはバグるものだ」と前向きな意味で私のことは諦めてくれている。私自身も「孫の顔を見せる的なこど

    【家族の幸福論】親は子に、子は親に「完璧であること」を求めすぎている。ー 「自分が楽しそうに生きている姿を見せること」以上に説得力を持つものはない。 - いばや通信
  • マッチ売りの少女を殺したのは誰か。ー 自分をオープンなものにしている限り人間は絶対に死なない。 - いばや通信

    知多半島の朝焼けが綺麗だった。先日開催されたトークセッションの中で、参加者の女性が「古い物語を、新しい物語に書き換える必要があると思っています」と話してくれた。この言葉が今でも印象に残っている。私は、最近頻繁に考えている「マッチ売りの少女」が良い例になるのではないかと思い、あれこれ思考を巡らせていた。 マッチ売りの少女の物語を頻繁に思い出す。もしも少女が「マッチを買ってください」ではなく「誰か助けてください」とお願いしていたら、寒空の下で死ぬことはなかったのではないだろうか。「生きるためには何かを売らなければいけない」という考え方に、最近は違和感を覚えるようになった。— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 1月 31 マッチ売りの少女の物語をおさらいすると、「大晦日の夜に少女はマッチを売っている。すべてを売らなければ父親に厳しく叱られてしまうために、少女は懸命にマッチ

    マッチ売りの少女を殺したのは誰か。ー 自分をオープンなものにしている限り人間は絶対に死なない。 - いばや通信
  • 【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病と統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。 - いばや通信

    私は五年ほど前に椎間板ヘルニアと躁病と統合失調症のトリプルパンチで半年間の寝たきり生活を送っていた。病床に伏した理由は明確で、「仕事を失う」「恋人を失う」「家を失う」「金を失う」「身近な人間と死別する」というイレギュラーな出来事が、三日間の間に立て続けに連発したからだ。私はこれを「3days 5accidents」と名付けている。 強烈な躁状態から強烈な状態へ「生きていても何も良いことはない」と思った私は、そのまま状態に陥れば良かったものの「やけくそになってしまえ」という方向に自分の意識がドライブされてしまい、躁状態に陥った。躁状態に陥った人間の所業は凄まじく、ここには綴り切れない幾つものミステイクを犯した。そして、およそ二ヶ月間続いた躁状態の反動として、強烈な期が訪れた。当時の私には統合失調症も併発しており、椎間板ヘルニアも発症した私は見事にぶっ倒れた。そこから私の「闘病生活」が

    【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病と統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。 - いばや通信
  • 【資本主義の石器時代は終わりだ】金の使い方をひっくり返す。ー 「受ける側」ではなく「与える側」が金を払う。 - いばや通信

    私の根源的な熱情は「常識をひっくり返したい」という思いに支えられていて、固定概念を破壊できたらどれだけ清々しいだろうかと思っている。今、個人的に興味のある対象は「金(MONEY)」であり、金の使い方をまるごとひっくり返せたら面白くなるような気がしている。以下に構想中のアイデアを綴ります。 「受ける側」ではなく「与える側」が金を払う今までは「サービスを受ける人」が、自分が受けるサービスの対価として金を払っていた。例えば、飲店ならば「べる人(サービスを受ける人)」が金を払って事をしていたが、これをひっくり返したいと思っている。客(サービスを受ける側)が金を払って事をするのではなく、飲店の店主(サービスを与える側)が金を払って客に無料で事をべてもらうようにしたら面白いと思っている。 学校にも適用できる。今までは生徒が金を払って授業を受けていたが、このスタイルでは先生が自分で金を払っ

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  • 「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ。 - いばや通信

    「母が末期癌で医者からも余命三ヶ月と告げられて、死ぬ前に何がしたいか尋ねたら『歌手になりたい』って言うから老人ホームのツアーを組んで好きなだけ歌わせたら、結果的に癌も完治して今でもピンピンしています」という奇跡的な会話が交わされていて、秋田県は半端ないなと思いました。 という訳で、秋田県に来ている。私は自分のスケジュールと連絡先をWEB上に公開している。それを見てくれた神様のような人たちが「良かったら交通費と謝礼をお支払いするので、私の住む町まで来てください(場合によっては「お話会」的なものをやりましょう)」という声を掛けてくれる。今月は佐渡&秋田&仙台&盛岡&新潟&名古屋&東京&札幌&関西&沖縄&台北&熊&福岡に行く予定です。 坂爪圭吾 《坂爪圭吾のスケジュール》 隙間時間や超絶FREEの時間帯は基的に何でもやります。坂爪圭吾という人間に興味を持ってくださった方は、誰でも気軽にご連絡

    「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ。 - いばや通信
  • 【超ひも理論2.0】必要な物は既に備わっている。ー 特定の女性から養ってもらおうとするのが「ヒモ」ならば、宇宙全体から養ってもらおうとする発想が「超ひも理論2.0」だ。 - いばや通信

    年末年始を佐渡ヶ島で過ごした為に、私の所持金はまたしても三桁(319円)になってしまった。2014年の2月から衝動的に「家も金も定期的な収入も持たない暮らし」を実体験にはじめ、およそ一年の月日が流れようとしている。その中で様々な恩恵を被ることになり、私はこの現象を「超ひも理論2.0」と名付けた。 超ひも理論2.0とは何か?特定の女性から養って貰っている状態が「ヒモ」ならば、宇宙(人間社会全体)から養ってもらおうとする発想を「超ひも理論2.0」と呼ぶ。私は、2014年の2月に諸事情により東京のホームをレスした。来であれば自分で新しい家を借りるなりするのが筋なのだろうが、当時の私にはまるで金がなかった。最初は友達の家を転々とする日々を過ごしていたが、友人の少ない私には即座に限界が訪れた。この瞬間、私には二つの道がつきつけられた。それは、家も金もない状態を「泣く道を選ぶ」のか、それとも「笑う道

    【超ひも理論2.0】必要な物は既に備わっている。ー 特定の女性から養ってもらおうとするのが「ヒモ」ならば、宇宙全体から養ってもらおうとする発想が「超ひも理論2.0」だ。 - いばや通信
  • 【永久保存版】素晴らしい出逢いは人生を肯定する。ー 2014年に日本で坂爪圭吾が出逢った半端ない人たち。 - いばや通信

    今年は移動に満ち溢れた一年になった。基的には「家のない生活」を主軸に生きていたが、家がないと(猛烈に当たり前だけれど)「家に帰る必要」がなくなる。家に帰る必要がなくなれば、今いる場所から《次へ、次へ》と進むことが出来る。必然的に出会いも増えて、自分の常識や価値観も大きく揺れ動いた。 【参考記事】【常識拡張論】(家のない生活を通じて)私が辞めた10のこと。ー 「こうあるべき」というあらゆるものは嘘である。 - いばや通信 移動生活を続けていると、多くの面白い人たちに出会う。年末というこの時期に合わせて、今年出会った面白い方々を改めてまとめて紹介したい。「なんだこいつは!(すげえ!)」と心から思える人と出会えると、自分の中の何かがぶち壊れて自由度が飛躍的に向上する。素晴らしい人間は無限にいる。 1・何もかも自分でつくる「新潟の鈴木さん(仮名)」 今年の6月に半端ない出会いに恵まれた。何もかも

    【永久保存版】素晴らしい出逢いは人生を肯定する。ー 2014年に日本で坂爪圭吾が出逢った半端ない人たち。 - いばや通信
  • 【生活に最低限必要な10の荷物】所有物を減らすと圧倒的に身軽になる。ー 選択肢を増やすことが自由ならば、選択肢を減らすことも自由なのだ。 - いばや通信

    今年の二月から「家のない生活」を実験的に試している。その過程で、人間ひとりが生きていくために必要な荷物は、それほど多くはないことを知った。行く先々で「カバンには何が入っているのですか?」と尋ねられることが多くなってきたので、改めてこちらでご紹介させていただきます。 1・必要な着替え(三日分) 2・圧縮袋(掃除機不要タイプ) 3・iPhone&WILLCOM(携帯電話)4・iPad(キーボード付きケース)5・充電バッテリー&充電ケーブル6・手拭い7・洗顔セット(歯ブラシ+歯磨き粉+髭剃り)8・べない人たち)9・財布10・リュックサック(LUGGAGE LABEL) 1・必要な着替え(三日分) 基的には三日分の衣類だけを詰めて、交替で着ている。持ち歩く衣類が少なければ「今日は何を着ようか?」と迷う時間が皆無になる。「選択肢が増えることが自由ならば、選択肢が消えることも自由なのだ」という

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  • 【2014年最高の奇書】不食のすすめ。 - いばや通信

    「人はべなくても生きることができる」ー それを証明するために、私がべない実験を開始したのは、2001年の7月のことでした。実をいうと、なぜこんな無謀なことを始めたのか、自分でもよくわかりませんでした。 私が2014年最大の名著であると睨んでいる「べない人たち」の中で、著者のひとりである山田鷹夫さんは述べている。山田さんは私と同じ新潟県の出身で、過去に無人島で130日間(!)一切の物を摂らずに元気溌剌で無事に帰還し、「人はべなくても生きることができる」ことを実証した。 私は「不」という言葉があることさえ知らなかった。だからこそ、日だけでも何もべないで生きる人達が少なからず存在しているという事実は、極めて衝撃的だった。山田さんは「不」という概念の生みの親でもあり、同時に、実践者でもある。共著者でもあるべない弁護士・秋山佳胤さんも述べている。 不とは、べるのをがまんするこ

    【2014年最高の奇書】不食のすすめ。 - いばや通信
  • 人生とは、自分を楽しませることである。ー 「正解を答える」生き方ではなく「正解を増やす」生き方をしよう。 - いばや通信

    岡山県で出逢った女性のFさんの話が非常に面白かった。Fさんには小学生の男の子の子供がいて、ある日、アート系ワークショップに親子で参加する機会があった。当日の内容は「紙袋をつかって自由に服をつくってみる」というもので、当日、会場では親にも子供にも幾つもの紙袋が手渡された。 正解を求めて、身動きがとれなくなってしまう。Fさんは手渡された紙袋を前に「さて、どうしたものか」と思い悩んだ。これで服をつくれと言われても、どうやって作ればいいのかまるでわからない。しばらく思い悩んだのちに、Fさんは「自分が正解を探してしていた」ことに気づいた。来であれば、紙袋でつくる服の作り方には正解も何もない。『自由につくる』というテーマなのに、それでも正解を求めてしまう(そして正解が見つからないからこそ身動きが取れなくなってしまう)自分自身に気がついて、愕然としてしまったのだと言う。そして、その後に最も愕然とする瞬

    人生とは、自分を楽しませることである。ー 「正解を答える」生き方ではなく「正解を増やす」生き方をしよう。 - いばや通信
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