タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kamimagi (4)

  • 90年代後半に発展した概念としてのクソゲー - モノーキー

    ▼アトランチスの謎だって、友達と理不尽な謎解きをするゲームとして意味があった。(あと攻略というバイブルと抱き合わせでもあった 今だったら攻略じゃなくて、画集や世界観の設定資料集になるかもしれないね。 たけしの挑戦状なんかも、きっとビートたけしがそういうのがテレビゲームだと思って作ったように思える。 つまりは、昔のゲームってのは誰かが作った手のひらの中の理不尽を愉しむゲームだったわけで そんなもん、今のゲームのやり方で見たら全部クソゲーになる。 >私事で恐縮ですが、先日SFCドラクエ3の勇者一人旅クリアなどやっておりまして、その時にそれらランダム要素にえらく腹が立ったものであります。 ゲームが理不尽(ランダム)を愉しむものでなくなったように。 ビデオゲームにまっとうなロジックや戦略性が取り込まれていったことによって、お行儀のいいゲームが増えた。 タダのなのに、プレイヤーが

    solailo
    solailo 2009/04/01
  • 強制進行系ゲームは、ゲームのルールを強制される楽しさにある - モノーキー

    ゲーム性つーたら、バーチャルシミュレーターみたいに現実と同じことができるのに、何でもやれる自由性みたいな楽しみ(自分でルールを作ったり発見する)のほうを自分は連想する。 経営シミュレーションとかそういうゲームを見てると究極のゲームってのは 『リスクを伴わず、人殺しだろうが、会社経営の倒産だろうが気軽に何でもできる現実』のように思われる。 いわゆる、自分で(作品という)素材からゲームをつくるってヤツ。 子供の頃の遊びなんかの発生なんてのはこんな感じだよね。ま、いじめの発生もだけれど。 逆に強制され、そのルールに乗ったときに初めて分かる楽しさってのが音ゲーやギャルゲーなんだよな。 ギャルゲやシューティングや音ゲーが嫌いな人って、ルールを強制されるのがいやなんだろうなあ。とも思ったり。 エロゲリアリティを強制されたり、とかさ。 さておき、エロゲとシューティングゲーの一道度合い。

    solailo
    solailo 2007/03/31
  • 物語を死に至らしめる恋愛話の圧倒的な暴力性。 - モノーキー

    伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話(via:はてなブックマーク) >「てかさ、ハチクロって後半、美大とか才能の葛藤とか関係なくね?」「まあ、恋愛話がすべてを覆い尽くしますな」「要するに、恋愛って、それおっぱじめると構築してきたすべてが崩壊し、展開していたすべてが凍りつき、ただ恋愛が圧倒的に物語を支配して、じゃあそれまで美大生活とか描いてたのなんなのよ、ってくらい他のすべてがどうでもよくなるよな」「それはげんしけんでも一緒だろ」「実は「2nd GIG」見ると攻殻ですらそうだ」「『素子ォォォォ〜』なんて叫ぶバトーさんはまるで小学生だ」「恋愛ってスパイスにはならんよな、物語を暴力的にドライブさせはじめて、それ以外の要素を彼方に追いやるから」 結局ガジェットやロジックなどというものは、理不尽なロマンスによって崩れ去るべきものだ。その崩壊の一瞬に物語は輝く。 (「SFが読みたい!2004年度版

  • モノーキー - エロは食玩のお菓子でいいじゃん。

    追記。 関連:月鎌/Fの中のMの中のF - 恋は戦い。 >この論理はグリコキャラメルやスポロガムのように「オマケとお菓子が完全に分離された商品」であることが前提になる気がする。 はてなブックマーク - 青ひげノート - エロゲを未プレイ非オタに薦めても突っぱねられる理由 >wtnb18 悪い印象を与えないって目的なら、AVG(PC)っていう無機質な表記にするのが無難ですね。あとは、モノーキーさんで見た、『シナリオ重視エロゲは玩だ』という非エロゲーマーにも理解できる比喩を広めるとかすかね。 これか! 身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: 軒を貸した母屋が( ゚д゚)ポカーンなエロゲーの歴史のコメント欄 >エロでないエロゲーがなぜ存在するかというと、ビックリマンチョコ(古いか?)やチョコボールのチョコみたいなものなんですね。海洋堂の戦車がラムネ菓子の付録として売られてるみたい

    solailo
    solailo 2006/05/05
    俺も含めた自分の視点だけ(作品の勝手な思い込みや解釈とか)にこだわって言いたいこと言い逃げするような無責任なキチガイ連中の意見には作り手が耳を貸しちゃいけない。
  • 1