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LIFEとquotationに関するsolailoのブックマーク (9)

  • 凍れるコミュニティー: 極東ブログ

    20代のころだったけどその状況ではその集団にとって重要な意思決定の会議みたいなものに若者の声代表みたいに出席したことがあった。発言を求められて、じゃあというので問題点を整理して回答を述べた。たぶん回答というより、解答だったのではないかと思う。で、どうなったか。ご意見承りました、次、という感じで会議は進んでいった。 あれれ、と僕は思ったのだった。そりゃ。まあ、でもいろいろ課題があるんだろうと思って聞いていると、どうもこの会議が録画されているなら僕の発言部分をカットしてもなんら違和感がない。その先も同じ問題が蒸し返されている。それ、さっき僕が回答したじゃん、これが巻末の解答集、とかいう感じでもういちど発言しようかと思ったけど、恩義あるかたが馬鹿止めろ視線を投げかけてきたので、黙って置物になった。 どういうことなんすか、とあとでその人に聞くと、君は会議の意味がわかってないねというのであった。会議

    solailo
    solailo 2012/07/17
    『僕はいずれ、気弱になるか薄汚なく状況に立ち回る人間になるのかな、いやはやと思ったものだった』
  • 村上春樹: 常に卵の側に

    ハアレツに発表されたエルサレム賞での村上春樹スピーチ(原稿なのか書き起こしかは不明)です。 彼の署名記事です。 原文は http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html 常に卵の側に 村上春樹 今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。 もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマンや肉屋、建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。 どうしてこんな事がまかり通っているかって? 答えを述べさせていただきます

    村上春樹: 常に卵の側に
    solailo
    solailo 2009/02/19
    『私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。』
  • 握らない一教 - 内田樹の研究室

    死のロードの最終日一日前。 楽しい合気道のお稽古。 なんだかやたらたくさん人が来ていて、40 人近くいる。 このところ、みんな上り調子なのである。 合気道がおもしろくてしょうがないという顔をしている。 たぶん、きっかけの一つは「握らない一教」からである。 正面打ち一教、とくに裏のとき、腕の力を使いがちになる。 これがどうもよくないのだけれど、なかなか修正が効かない。 がばっと相手の肘を握って、引き倒すようなかたちになると、「斬り」にならない。 原理的にいうと、ものを「斬る」ためには刃筋がつねに体の正中線上になければならない。 しかし、徒手の武術しか経験のない人たちに「刃筋」という概念を理解してもらうのはなかなかむずかしい。 ふと思いついて、取りは肘を握らない、手首も握らない、掌を当てるだけの稽古をすることにした。 発想の転換である。 「受けの身体運用」を中心に稽古するのである。 手首、肘に

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    solailo 2008/11/30
    「合理的な生き方」と、「最大限の力を発揮する生き方」は、どちらも必要であるが、訓練のやり方が違う。/(金がない→絶望)そういう考え方が「あり」だと思っている人たちは「骨の髄まで合理主義者」なのである。
  • プロと呼ぶには照れる程度の仕事をする人の13の特徴 - finalventの日記

    inspired by 単なるプロフェッショナルをはるかに超える、「感動を生む仕事」をする人の13の特徴 - 分裂勘違い君劇場 感動を生む仕事をする人プロと呼ぶには照れる程度の仕事をする人 1. 人間と社会に対する容赦のない洞察を積み重ね、結果として人間的に成長する1. 現状をひたすら維持する。それだって徐々なる低下に抵抗してがばってんだ象。 2. 自信や誇りにとらわれず、現実をありのままに直視する2. 親しい人には泣き言をこぼすが、飲み会ではだまって飲んだくれている。 3. 目標よりも目的にこだわり、より質的な目的とは何か?と問い直し続ける3. 自分は父親・母親よりましな社会人になっているかな、とたまに問い掛ける。 4. 人々の幸せとは何か?役立つとは何か?について洞察を重ね、より質的なレベルでの幸せを追求する4. 人々の幸せとは何か?役立つとは何か?自分の幸運に感謝し、不運な人のこ

    プロと呼ぶには照れる程度の仕事をする人の13の特徴 - finalventの日記
  • ホームレスになってみよう。 - 不謹慎な箱男

    | | 世に曰く | 「乞は三日やったらやめられない。」 | らしい。 | | | | | | | | そいつが当かどうか試してみてぇ! | | | | ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 | | ※以下、長い文章が続きます。そして余り笑どころはありませんのでご覚悟下さい。 | | || | | 6/6の朝に自宅を出発し、 湘南新宿ラインに乗り込み新宿へ向かう。 | | 昼前に新宿駅へ到着。 | | 期待と不安と胸の動悸が高まる。 | | | | | | 3日後に家へ帰るときの為に持ってきた着替えの服、金、を全てバックに詰めて コインロッカーに放り込む。 | | | | 今俺にあるのは ・衣服 ・コインロッカーの鍵 の2つだけだ。 | | | | | ロッカーに鍵をかけて歩き出す。 | | | | | | | | | | 爆発的に(

    ホームレスになってみよう。 - 不謹慎な箱男
    solailo
    solailo 2007/06/11
    『ホームレスになることはインクの尽きたボールペンと真っ白の日記帳を渡される様なものだ。僕は大事な過去が書き込まれた上に余白が大量にある日記帳を持ち、溢れる程にインクの詰まったボールペンを持っている。』
  • なんでも悲観的に考える人と、なんでも努力すれば何とかなるという人 - 分裂勘違い君劇場

    過酷な現実を前にすると、人の心は次のどちらかに傾く。 (1)ペシミズム(悲観主義) 「こんな状況じゃ、努力したって報われないよ。」 (2)オプティミズム(楽観主義) 「努力すれば解決できるよ。努力して、乗り越えていこうよ。」 もしくは、この二つの間を揺れ動く。 ペシミスティックな気分の人は、努力しても無駄だという証拠をあげつらい、理屈をこねる。 オプティミスティックな気分の人は、努力すればなんとかなるという証拠をあげつらい、理屈をこねる。 どれほど確かな証拠に基づき、説得力のあるロジックを展開しようとも、 ペシミストの主張も、オプティミストの主張も、どちらも、 「結論が先にあって、その結論へ持っていくための後付の理屈の塊」にすぎない。 ペシミズムの色眼鏡をかけた人に対して、オプティミズムの色眼鏡で見た世界観を語っても、心に響かない。 オプティミズムの色眼鏡で世界を見ようとする人のブログには

    なんでも悲観的に考える人と、なんでも努力すれば何とかなるという人 - 分裂勘違い君劇場
    solailo
    solailo 2007/03/20
    『希望の可能性を十分に吟味せずにペシミズムの殻に閉じこもることが不健康であるのと同じように、絶望しきっていないオプティミズムには、軽薄臭が漂う。』
  • 資本主義的勤勉さ - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena

    マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神」(岩波文庫 ISBN:4003420934)を読み、いちばん印象に残っているのは、金銭欲、拝金主義というのは歴史的、地理的に普遍的だけれども、近代資主義を支えている精神、エートスは特殊なものだ、という指摘である。このの主題は、その特殊な「資主義の精神」の起源が、「プロテスタンティズムの倫理」にあることを論証することだけれども、私にとっては、その前提となる「資主義の精神」の特性についての記述の方が興味深い。 いくつか、関連する部分を引用してみようと思う。 ……職業義務(Berufsspflicht)という独自な思想がある。……労働力や物的財産(「資」としての)を用いた単なる利潤の追求の営みに過ぎないにもかかわらず、各人は自分の「職業」活動の内容を義務と意識すべきだと考え、また事実意識している、そういう義務の観念がある

    資本主義的勤勉さ - Everyday Life in Uptown Tokyo on Hatena
    solailo
    solailo 2006/09/11
    『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう(ウェーバー)』
  • 打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない

    「ダレル・ロイヤルの手紙」という名文が存在する。 一体どこの書籍で引用されていたのか、あるいはどこに書かれていたのか、その出所が全く不明であり、海外を広く検索しても、その原文はどこにも存在していないようだし、ダレル・ロイヤルのサイトにある名言集にも掲載されてはいない。 しかし、その内容自体は非常に秀逸であり、GIGAZINEをどんなときも更新し続けた精神と似ている部分があるので紹介しておきます。 親愛なるロングホーン諸君 打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥ずぺき事なのである。ここに、人生で数多くの敗北を経験しながらも、その敗北から、はいあがる勇気を持ち続けた、偉大な男の歴史を紹介しよう。 1832年 失業 1832年 州議選に落選 1833年 事業倒産 1834年 州議会議員に当選 1835年 婚約者死亡 1836年 神経衰

    打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない
  • Friday Night Freedom | Anotherway

    この夏は平日も週末もないような生活をしているが、人に雇われての勤めが終わるという意味では、金曜日は一週間の終わりの開放感がある。 日で働いていた頃は、金曜の夜でも10時や11時まで働くことが多かったので、この金曜の開放感を感じる時間は、ほんの何時間かだけだった。飲みに行くかレンタルビデオを一借りて見ればもうおしまい。土曜は土曜で気分が違うので、金曜の夜のありがたみを享受することは少なかった。飲み屋でよくやっている5時から7時のハッピーアワーなんてまったく縁がない生活をしていた。 それが今は、仕事は5時に終わり、外は9時頃まで明るい。夕方から寝る時まで、自由な時間はたっぷりある。そこにめがけて、事前に予定を入れておくのも一案だが、そうすると自分の中ではそこは「空いていない時間」なので、同じ楽しい時間であっても、まったく何の予定も入っていない空いた時間とはまた気分が違う。先週の金曜の夜は、

    solailo
    solailo 2006/07/12
    『あれもできるしこれもできるが、どれにしようか、とボヤボヤ考えている時間は楽しい。でもその自由な時間が手に入ってから何をやろうか考え始めても、その時点でできることの選択肢は限られてしまっている。』
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