倫理観に関する田中新吾さんの最近の記事を読んだ。 倫理で言えば、学生の頃に学んだ授業が偉い人の話を聞くこと中心で、物凄くつまらなかった。 記事から田中さんも似たような感覚だったと知って、自分の当時の感覚を思い出した。 倫理がつまらなかった理由は、正解の倫理観を強要されたような感覚があったからなのだ、と今は思う。 私は、穴埋め問題の正解をずーっと求めてきた人間なのだが、一方では正解を強要されることに苦痛を感じていたのだ。 倫理における正解とは何なのだろうか? 例えば、こんな穴埋め問題を考えてみる。 サハラ砂漠マラソンの参加中に、給水所に順番待ちの行列ができていた、とする。 その行列に自分も並んだのだが、後からそこに横入りする者が現れる。 文句を言うと横入りした者と一緒に走っているパートナーが、ひどく熱中症ぎみで体調が悪いので、早く助けたいのだ、と返ってきた。 倫理的な行動とは、□□□□□□を
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