ザ・ビートルズが全英もしくは全米のシングル・チャートで1位を獲得した楽曲だけを集めたアルバム『ザ・ビートルズ1』が映像版も含めた最新バージョンで11月6日にリリースされるのを記念して、NME Japanでは「NMEが選ぶ、ビートルズ究極の名曲ベスト50」を11月6日に向けて発表してきました。 ついにトップ10の発表です。トップ10の選曲者には、ボブ・ディラン、スウェードのブレット・アンダーソン、ザ・ヴァクシーンズのジャスティン・ヤングらが登場します。ランキングを締めくくる10曲をお送りします。 41位〜50位の記事はこちらから→https://nme-jp.com/feature/7630/ 31位〜40位の記事はこちらから→https://nme-jp.com/feature/7732/ 21位〜30位の記事はこちらから→https://nme-jp.com/feature/7789/
先日、プロモーションのため6年ぶりとなる来日を果たしたスティングだが、好きな日本のラーメンランキングのトップ3を発表している。 先日、スティングは自身のインスタグラムにラーメンを食べる写真を公開していた。そのキャプションには「今週は東京へのファンタスティックな旅をしてたんだ。テレビ出演と僕のお気にいりのラーメン店を訪れたのを楽しんだよ。ありがとう、ジャパン!」と記されている。 u2h2OVuIf/gWUFyy8OWEpdyZSa3aVCqpVoVvzZZ2VTnn2wU8qzVjDDetO90GSy9mVLqtgYSy231MxrY6I2gGqjrTY0L8fxCxfCBbhWrsYYAAAAAElFTkSuQmCC); display:block; height:44px; margin:0 auto -44px; position:relative; top:-22px; width:
イギリスで全時代を通して最も売れた60枚のアルバムが発表されている。 1位にはクイーンが1981年に発表したベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』が輝いている。 これはチャートの集計を行っているオフィシャル・チャート・カンパニーがUKチャートの60周年を記念して、歴代で最も売れたアルバムを明らかにしている。 クイーンの『グレイテスト・ヒッツ』はイギリス国内だけで、610万枚を売り上げている。 2位はABBAの1992年発表のベスト・アルバム『ゴールド』で520万枚を売り上げている。ザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、ベスト盤以外では最高位となる3位で、510万枚のセールスを記録している。 UKのアルバム・チャートは1956年7月22日よりスタートしており、最初の週に1位を獲得したのはフランク・シナトラの『ソングス・フォー・スウィンギン・ラヴァー
2004年に行われたロックの殿堂の式典において、ジョージ・ハリスンへの追悼パフォーマンスでプリンスと共演したトム・ペティがその日のパフォーマンスについて振り返っている。 2004年の式典ではジェフ・リンやスティーヴ・ウィンウッドと共に二人はザ・ビートルズの“While My Guitar Gently Weeps”を演奏したが、プリンスが4月21日に亡くなって以降、この時のパフォーマンスが多くの注目を集めている。 トム・ペティは米『ニューヨーク・ タイムズ』紙に対し、演奏したときの当時の様子と、プリンスの参加について次のように述べている。 「オリヴィア・ハリスン(ジョージ・ハリソンの妻)に、ロックの殿堂の式典でジョージの紹介役を務めないかと頼まれたんだ。『そう、プリンスも演奏するの』と言われて、『おお、それは最高だ』と答えたよ」 「リード・ギターを弾きたがっているプリンスがいてね。なぜプリ
1995年3月1日、ロンドンのとある駐車場に大型の黒のリムジンが静かに入ってきた。そのそばでは、2人の若者がスチール製の高いフェンスに顔を押し当てている。すぐ横にはウェンブリー・スタジアムのツイン・タワーがそびえている。彼らは早口で喋り、腕時計を確認しながら、自分たちのヒーローを一目見ようと落ち着かない様子で待ち構えていた。 リムジンのドアが開くと、彼らはいっそう強くフェンスの手すりの上に乗り出そうとした。しかしその時、大きな手が彼らへ伸びてきた。「お前たち、そろそろやめるんだ」。低い声が響く。彼らは振り返り、その警備員の目をじっと見た。一瞬、彼らは混乱した。リムジンのドアが閉じる音が聞こえた。彼らはすぐさま振り向いたが、時すでに遅しと分かり、落胆した。彼らが姿を見ようと待ち望んでいた男は去ってしまった後だった。 ゲートを越えると、高級車が何台も並んでいた。色付き窓ガラスのしゃれた長距離バ
デヴィッド・ボウイ(1947年〜2016年)には数々の鉄板の名曲があり、そこから40曲を選出するのは至難の業だった。しかし、サーストン・ムーアやセイント・ヴィンセント、ジョニー・マーやワイルド・ビースツなどの力を借り、40位から1位までの名曲のカウントダウンを行なっていきたい。 40位 “It’s No Game (Part 1)”(1980) セイント・ヴィンセントは次のように語っている。「『スケアリー・モンスターズ』に収録されている“It’s No Game (Part 1)”は私のお気に入り。深く親しみが持てて、それでいて陰のある曲を作る彼の才能を良く示していると思う。ロバート・フリップの、一筋縄ではいかないようなギターも大好き。気持ち悪いけど、大好きなのよね」
ピート・ドハーティが頻繁に裁判所を訪れるのを見れば分かるように、ミュージシャンも法を超越することはできない。それどころか、ミュージシャンであるがゆえに、過剰に騒がれてしまうこともあるようだ。ここでは、物議を醸した音楽界の大事件トップ40を紹介する。いい事件から悪い事件まで、なかにはひどく見苦しい事件も……。 1992年発表のアルバム『ラヴ・シンボル』とベスト・アルバムのリリース後、プリンスは自身の名前を発音不可能なシンボル・マークへ変えてしまったために人々は混乱し、彼を「TAFKAP(The Artist Formerly Known As Princeの略:かつてプリンスとして知られていたアーティストという意味)」と呼ぶことになった。 39位 ポール・マッカートニー死亡説 「ザ・ビートルズのポール・マッカートニーは死んでいる?」という記事がアイオワ州にある大学の学生向け新聞に掲載された。
オアシスと聞いて最初に思い浮かべるイメージとは何だろうか? ドラッグや暴力とは無縁なのはさておき、伝説のネブワースのライヴや、ブリットポップの旗手、強力な90年代のアンセム・ソング、辛辣な批判的態度など、いろいろ思いつくだろうが、そうではない。正解は、「クラシックなレコード・ジャケット」だ。オアシスのレコード・ジャケットの多くは、マイクロドットのブライアン・キャノンがデザインを手掛けている。謎解きのヒントや目くらまし、そして、かつての有名なリバプール出身のバンド――ビートルズへのトリビュートが詰まったこれらのジャケットは、過去20年間のジャケット・デザインの歴史の中でも最も印象的なものに数えられている。そして、そこには必ず多彩なストーリーが込められている。ここに15枚の代表的なレコード・ジャケットを紹介しよう。 Definitely Maybe ビートルズのアルバム『オールディーズ』のジャ
グラストンベリー・フェスティバルのブラー? レディング&リーズフェスティバルのアークティック・モンキーズ? スパイク・アイランドのザ・ストーン・ローゼズ? ここに御紹介するのははフェスティバルでのベスト・フォーマンスのトップ50のランキングである。日常の自分を忘れ、興奮に身を任せたみたピルトン、ヨークシャー、チェシャー(当てはまらないかもしれないが)での熱狂したあの日の時間を思い出すことだろう。 50 ベースメント・ジャックス Glastonbury Festival ’05 カイリー・ミノーグが健康上の理由から出演がキャンセルとなり、否定的な人たちはブリクストン出身の2人組が、観客が必要とするショウ(あるいは金色ラメのホットパンツ)という点で、オーストラリアのポップ・クイーンと同じレベルのことができるのかと不安視していた。ベースメント・ジャックスは、ブラジル人のドラマー、サルの衣装をまと
すばらしいアルバムは終わり方も印象深い。名作を作るには、リスナーを興奮させ、高揚感を残して終わるような力強い締めくくりの一節が必要だ。これから挙げる、時代を超えた24枚の名作が証明するように……。 ザ・スミス『ザ・クイーン・イズ・デッド』 “Some Girls Are Bigger Than Others” 「枕を送ってくれ/夢見る時に君が使ってる枕を/そうしたら俺のも送るよ」 – Send me the pillow/ The one that you dream on/ And I’ll send you mine モリッシーの曲のタイトルの中でもかなり衒いのない“Some Girls Are Bigger Than Others”というタイトルが、ジョニー・マーの巧みでキラキラしたリフに泥を塗ったとしたら、モリッシーはこの曲のメランコリックでロマンティックな最後の一文で、いくらか間
ピンボールの魔術師や政治運動、恋愛や失恋などの私的な話に至るまで。ここで紹介するコンセプト・アルバムには、様々なストーリーが込められている。夢中で聴いた思い出のアルバムで、素晴らしいストーリーを展開してくれた23組の音の語り手を紹介しよう。 デヴィッド・ボウイ 『ジギー・スターダスト』(1972) デヴィッド・ボウイ自身のあらゆる分身の中でも、ジギー・スターダストは究極の人物像だ。燃えるような赤毛を持つバイセクシャルの宇宙人ロックスターは1972年にベールを脱ぐことになった。この架空の人物の名前を冠したアルバムでは、壮麗の極みと言えるサウンドトラックを背景にジギー・スターダストのストーリーが語られ、次第にセックスと愛とロックンロールへの世俗的視点を批評してみせる。 ピンク・フロイド 『ザ・ウォール』(1979) ピンク・フロイドを代表する最も有名なコンセプト・アルバムのひとつ。『ザ・ウォー
御存知の通り、素晴らしいデビュー・アルバムを作ってしまうと、続く2枚目を作るのは至難の業となるわけだが、そう、ここに挙げるのはそれをやってのけたアーティストたちである。ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』からディアンジェロの『ヴードゥー』まで、デビュー作をしのぐセカンド・アルバム29枚を紹介する。あまり知られていないオアシスの『モーニング・グローリー』とかね……。 マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 『ラヴレス』 ほとんどのバンドが2作目の制作にあたり方向性が定まらず苦心するのはここだ。完ぺきだった1枚目と同じスタンスにこだわるか。それともファーストでできたファンが離れてしまうリスクを覚悟の上で新たな分野に挑戦するか。しかし、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、この『ラヴレス』でジャンル全体を定義づけてしまった。クラクラするホワイト・ノイズの金字塔のもと、幻惑的なシューゲイザー・サウンドの旅は
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