2021年6月8日のブックマーク (8件)

  • ベトナムのホーチミンに行ってみたら、そこには「昭和」があった。

    海外旅行に出かける理由は人それぞれ。 私の場合、いつも日のことを知るために海外に出かける。 たとえば欧米諸国に出かけると、欧米からみた日文化や習慣のユニークさに気づきやすい。 経済発展の真っ最中の国々に行けば、日の生活習慣や街並みがどれぐらい先進国然としていて、どこまで追い付かれ、どのように追い越されようとしているのかを垣間見ることができる。 今回は、ベトナムのホーチミン市に出かけてみた。 ホーチミン市はベトナム第一の経済都市だから、ベトナムという国のなかでは現代的な場所のはずである。 それでも、日を振り返るには十分な経験ができたので書き残してみる。 美しい街並みと、まだ現代的ではない人々の振る舞い お昼に日を発って六時間弱、ホーチミン市の夜空は濁っていた。 着陸態勢に入った飛行機の窓からは、赤茶色のもやに覆われた地平線が見える。これって大気汚染じゃないか? 帰国して調べてみる

    ベトナムのホーチミンに行ってみたら、そこには「昭和」があった。
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    "ホーチミン市の路上は自動車よりもバイクのほうが多いのだが彼らは交通信号を見て動いているのでなく周囲の人間の動きを見ながら動いている様子だった"←この様な社会は日本以上に発達障害者には適応が難しいと思う
  • 生きづらいのではない、生きる意味がないのだ - メロンダウト

    生きづらい。不幸だ。格差が広がっている。閉塞感がある。 などなどもう手垢がついた言い回しにすら聞こえるほどここ20年ほどの間、日は失速してきた。経済的にもデフレが続き、それを一因とした少子化などによって社会も失速していった。それらを解決しようと政治が試みても実質賃金は上がらず人口減が続いている。それに伴い年金は事実上破綻して格差は広がるばかりで、とネガティブな話をすればきりがない。 しかしそれほど生きづらいだろうかとも同時に思う。生きづらいという言葉には外部の条件を示唆するようなニュアンスが含まれている。外部条件として考えた時に日で生きることが難しいのは当なのだろうか?僕は生きづらいという言葉には齟齬があると思っている。 自分が置かれている状態を言葉にするのはとても大事な作業である。それゆえ単純に「生きづらい」とワンフレーズで結論づけてしまうことはかなり危うい。特にこういう生きるとい

    生きづらいのではない、生きる意味がないのだ - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    "この社会は個人が自由に生きていい社会である。しかし個人が尊重されるだけ他者にたいして不可侵になっていく。つまり他人から望まれない人々にとっては生きる意味がない。"
  • 日本で起きている最大の問題は信頼の不況化ではないか? - メロンダウト

    以前、個人は世間を信用しなくなったという記事を書きました。思えば僕が社会についてなんか書こうと思う理由はすべてがこの個人主義、または利己主義の残酷さについてでした。 最近、自分のブログや増田をはじめてまるまる読み返してみたのですが、てきとうに書いてきた文章も総体的に見れば自分が何を言わんとしているのか、自分でも気づけていなかった核のようなものがわかった気がいたします。それがおそらく日の閉塞感の最たる原因である利己主義についてだったと思うのです。 長文(5000文字強)になりますが、読んでいただけたら幸いです(読んでくださいと書くのは何気に初めてです) おそらく最も根にある原因は資主義による感情の無謬化と一様化ではないかと捉えることができます。 無謬化とは自己の無謬性、自分は善人であり庶民であり個人であり悪人ではないと考えるような、臆病で間違う可能性のある行動や発言をしない常識ある一般

    日本で起きている最大の問題は信頼の不況化ではないか? - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    現実問題としては労働者が会社の所有物とされブラック労働が当たり前だった昭和や、子どもが親の所有物扱いで基本的人権も守られていなかった時代よりは個人主義の現代の方が遙かにマシだと思う。
  • メタ承認論~世間からの承認の激化と世間への信用の失墜~ - メロンダウト

    なんでブログなんか書いてるんだろうとさいきんことに思う。実際には最近忙しいのが主たる理由です。だから最近はそんなに書いていないのだけどそれでもはてブなどはちょこちょこやっている。 なんでブログを書いたりするのだろう?Youtuberでもtwitterでもinstagramでもにこなま主でもアイドルでもなんでもいいが不特定多数の人間に発信するモチベーションはなんなのだろう? 一般にこの手の欲求は社会への帰属欲求だとか、もっとはやっている言葉で言えば承認欲求が最も一般的に使われる。 しかしこの「承認欲求」という言葉に関して僕は以前からなにか違和感がある。端的に言えばこうしてブログを書いている分際で言うのはどうかと思うが僕個人は世間からの承認はまったくもっていらない。 だから一口にブログを書くのは承認欲求と判断されると???となってしまう。承認されなくてもいい。だからといってただのメモともまた違

    メタ承認論~世間からの承認の激化と世間への信用の失墜~ - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    "恋愛指南の本や文章などはいかに愛されるかしか書いていない。非モテ論壇もそうだし恋愛工学も愛されることのみに着目している。相手をどう見るかどうしたら愛せるのかのほうがはるかに重要なことであるのに"←至言
  • 日本ではもう経済による幸福は限界なので宗教の話をするべき - メロンダウト

    このあいだ、寿司が10カンで1万円ぐらいするお寿司屋さんに行ったのだが大変に美味しかった。普段はスシローなどに行くことが多い。いやそんなに多くもないです。そんなにに頓着があるほうではない。 1カン1000円するお寿司とスシローの100円のお寿司とを比べてみるとクオリティーの差は値段が持つ価格差と比例しない。10倍もない。せいぜいが1.5倍というところだろうか。たしかフィクションだがグラップラー刃牙に出てくるビスケット・オリバも似たようなことを言っていた。何百万円もする超高級ワインが市販のものより100倍美味しいわけではないと。 寿司の例に戻すと高級寿司が高いのではなくスシローのコストパフォーマンスが良すぎる。寿司は日文化であるが資主義と結びつきあれだけ安い寿司をあれだけうまいクオリティーで出せるようにまで成長した。 昭和のころの大衆寿司屋が出す寿司よりも質がいいか同等程度にはうま

    日本ではもう経済による幸福は限界なので宗教の話をするべき - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    今の日本の問題の核心を突いたこの記事が拡散されないことに危惧を覚える。個人的にはスポーツクラブやアイドルが現代の宗教ではないかと思っている(日曜に教会に行く代わりにスタジアムやコンサートに行く現代人)
  • 負の性欲とデジタル空間への傾倒 - メロンダウト

    インターネットにおける自己と現実における自己みたいな話はずいぶん前からされてきたことだけれど 負の性欲による現実からの退却とディープフェイクなどテクノロジーによる誘惑により当に一夫多制は実現するのではないかと思えてきた。 今や現実を見ない人はやまほど存在する。テクノロジーがつくりだした世界に耽溺しネットやゲーム上の自分のほうが当の自分だといったある種のパラノイア的な生活をしている人は少なくない。自分も程度問題としてそういう生活を送っている。ブログを書くことも見ず知らずの誰かにコミュニケーションを委託している状態だしもっとはっきり言えばそういう顔の見えない他者に依存しているとも言える。 ソシャゲMMO、ツイッターなどはやっていないので自分が書きたい時に書く以上、ブログは分別がつきやすい方法と思われるかもしれないが身体的な感覚としては依存しているのかもしれないと思うことはある。はてな

    負の性欲とデジタル空間への傾倒 - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    "今この世界は人類史上初めて人生をやらなくてもかまわない時代なんですよね。現実に対してはまあ30%ぐらいの熱量でやり過ごして本当にしたいことはデジタル空間で達成すればいいやぐらいの心持ちの人が出てくる"
  • SNS社会とミシェル・フーコーと理性の逆流 - メロンダウト

    SNSは怒りによって拡散するといった記事を読みました。はやかわ五味さんが個人的にめちゃくちゃタイプなのですが、その話は置いておいて https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66352 フーコーの話をしようと思う。 ミシェル・フーコーは「狂気」を論じた。 狂気とは何かを理解すればSNSをすこし客観的に見ることができる。あおり運転をして暴行するような人間やもっと言えばオウム真理教などは「普遍的」に間違っているわけではない。理性よりも狂気に価値が置かれていた時代もあった。僕達は理性や道徳のほうが狂気よりも上位の概念として在るべきだと考えているけれど、それは様々な歴史の場面において獲得されてきたものに過ぎないとフーコーは語っている。 狂気のわかりやすい例として魔女狩りや宗教などがある。14世紀から16世紀のルネサンス期において狂気は人間を基礎づけるものとして社会的

    SNS社会とミシェル・フーコーと理性の逆流 - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    現代もただの紙切れである紙幣のために過労死などによって人命が犠牲にされる資本主義という強大な狂気に包まれた時代なので、魔女狩りの行われていた中世を笑うことは出来ないと思う。
  • きもくて金のないおじさんと慰めのプラグマティズム - メロンダウト

    はてブのトップエントリーにあがってきたきもくて金のないおじさんと多制に関する記事を読んでいました。 koshian.hateblo.jp 当該記事の中できもくて金のないおじさんでも慰みがあれば犯罪者予備軍にはならないということが書かれており、すこし、めずらしく、記事を読んで考えていました。 論理としては記事内で書かれているように秋葉原の連続刺傷事件屈を爆発させた人間の犯罪だから慰みで屈を麻痺させ、犯罪に手を出させないようにしようというのはよくわかります。 しかしそれって誰にたいしての慰めなんだろう・・・その人物が望む人生懐(こっ恥ずかしい表現であるが)ではない慰みを与えることによって一時的に屈を忘れ静かになるその静かさは社会が求める静かさでしかないように思う。 アニメやアイドルを批判する人の質的な理由もここにありそうである。 人間的感情は代替物による慰めに寄ってはいけないと

    きもくて金のないおじさんと慰めのプラグマティズム - メロンダウト
    son_8ga7gkakgaga
    son_8ga7gkakgaga 2021/06/08
    キリストも仏陀も人間のありとあらゆる営みは一時の慰めに過ぎないと看破したが、恋愛や子育てや社会的地位の獲得などと比べて、アイドルやアニメだけが無意味な慰めである理由は存在しないのではないか。