ロヒンギャ難民数百人がキャンプから失踪、密航か インドネシア 2021年01月29日16時06分 【ジャカルタAFP=時事】インドネシアにある難民キャンプに暮らしていた、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ数百人の消息が分からなくなっている。関係者らや情報筋が27日、明らかにした。隣国マレーシアに密航した可能性があるという。(写真はインドネシア・アチェ州ロクスマウェにある、閑散とした難民キャンプ) インドネシア北部沿岸ロクスマウェにある仮設キャンプには、昨年6~9月に約400人のロヒンギャ難民が到着したが、今週には112人に減っている。 地元当局も国連(UN)も、消息不明者らの所在を確認できていない。マラッカ海峡を渡ってマレーシア入りするために、密航業者に依頼した懸念が持たれている。 国連調査団が「ジェノサイド(大量虐殺)」に当たると報告した2017年のミャンマー軍による弾圧で、ロヒン
これまでに新型コロナに対する治療薬として効果が認められている薬剤として、抗ウイルス薬のレムデシビルとステロイドのデキサメタゾンがあります。 この他にも様々な治療薬が検討されていますが、その中の一つに回復者血漿療法があります。 8月下旬にアメリカのトランプ大統領は、新型コロナウイルス感染症の治療として回復者血漿の使用を緊急承認したことを発表しました。 この回復者血漿療法は有効性についてはまだ十分に証明されておらず、日本国内では現時点ではこの回復者血漿療法は承認されていませんが、昨日、日本国内でこの回復者血漿療法の臨床研究が開始されることが報道されました。 “回復患者の血しょう投与”倫理委で初承認 回復者血漿療法とはどのようなものか、そして現時点での国内での状況についてご紹介します。 回復者血漿とは?回復者血漿療法の流れ(いらすとやより筆者加工)回復者血漿とは、特定の感染症から回復した人の血漿
「権力を分散させれば破滅をもたらす」太平天国の教訓 そして何よりも問題だったのは、様々な王位や官職がもつ権限が曖昧で、複数の権威や組織のあいだで常に激しい競争原理が働いていたことだった。 その最たるものは「万歳」の称号と救世主の権威をめぐる洪秀全と楊秀清の争いであり、他の王たちも庇護を求める人々の声に応えるために競合した。公有制が充分に機能せず、中央政府の求心力が低下するほど、諸王の地方における勢力拡大は進み、中央以上の富と兵力を蓄積する者も現れた。そして洪秀全とその側近によるコントロールのきかない諸王に対する不信と抑圧は、政権そのものの崩壊を招いたのである。 その結果、後世の人々は太平天国が失敗した原因を内部分裂に求めた。そして「中国は常に強大な権力によって統一されていなければならない。少しでも権力を分散させれば破滅をもたらす」という、中国の歴史においてくり返し唱えられてきた教訓を読み取
だが太平天国の分権統治には大きな矛盾があった。洪秀全に与えられた「真主」という称号は天上、地上の双方に君臨する救世主を意味し、中国のみならず外国に対しても臣従を求める唯一の君主だった。そこには権限を明確に区別し、分散させるという発想が欠けていた。 また洪秀全の臣下で「弟」だったはずの楊秀清は、シャーマンとして天父下凡を行うと洪秀全の「父」として絶対的な権限をふるった。彼の恣意的な権力行使に対する不満が高まると、楊秀清は「万歳」の称号を要求して洪秀全の宗教的な権威を侵犯した。 逆上した洪秀全は楊秀清の殺害を命じて天京事変が発生し、石達開の離脱によって建国当初の5人の王はすべていなくなった。その後諸王による統治は復活したが、洪秀全は独占した権力を手放さず、かえって中央政府の求心力の低下と諸王の自立傾向を生んだ。 この結果をどのように考えればよいのだろうか。 下層移民の異議申し立てから始まった太
洪秀全が創設した上帝教は、太平天国の滅亡と共に中国社会からその姿を消した。それは一つの宗教が信徒の内面的な実践に充分な時間を割かずに政治運動化した結果だった。また読書人の太平天国に対する反感はキリスト教への拒否反応となって残り、反キリスト教事件がくり返し発生した。 20世紀に入ると、香港の中国人キリスト教社会から「第二の洪秀全」を自任する孫文が登場し、太平天国を反満革命として評価する動きが始まる。ただし辛亥革命によって太平天国の評価が一気に変わった訳ではなく、1930年代になっても江南では太平天国に対する否定的評価が残った。 現代中国に通じる「他者への不寛容さ」 太平天国がその掲げた理想にもかかわらず、矛盾と混乱に満ちた運動であった。これは新著『太平天国』(岩波新書)で詳述した通りである。 洪秀全は「神はただ一つであり、偶像崇拝は誤りだ」というキリスト教のメッセージから、中国の歴代皇帝は上
太平天国の乱とは何だったのか 14年にわたる太平天国の内戦は1864年に終わった。戦場となった地域とくに江南三省(江蘇、安徽、浙江)の被害は大きく、江蘇だけで死者は2000万人を超えた。読書人たちは流亡の苦しみに遭い、死んだ男女を「忠義」を尽くした者や「烈女」として顕彰した。死者の記憶は儒教を中心とする伝統文化の再興という形をとって伝えられた。 清朝は南京占領後も太平天国の生き残りに対する捜索と弾圧を続けた。捻軍などの反乱勢力と合流して抵抗を続けた者はやがて敗北した。楊輔清は上海からマカオへ脱出し、10年間潜伏した後に捕らえられた。また逃亡先の香港で李世賢の軍を支援しようとして捕まった者、苦力(クーリー)となってキューバへ移住した者のエピソードもある。 太平天国に献策したことが発覚して清朝の追及を受けた王韜は、逃亡先の香港でキリスト教と儒教の接点を追い求めた。南京を訪問して太平天国の近代化
映画で観る韓国三大未解決事件 解決に至らなかっただけに、長く人々の記憶に留まり続ける未解決事件。今も犯人は何食わぬ顔で、あなたの近くで暮らしているかもしれない……と思うと、背筋が寒くなります。 未解決事件は、社会的な関心の高さから、映画の題材に取り上げられることもしばしば。映画の中でもう一度事件をなぞり、解決の糸口を探してみる、という切り口だけでなく、一体なぜ解決に至らなかったのか? という未解決事件ならではの視点も加わって、ドラマとしての奥行きの深さは、事件が解決してスッキリと終わる作品以上かもしれません。 今日はそんな未解決事件を扱った映画の中から、韓国で1990年前後に起きた3つの未解決事件(いわゆる「韓国三大未解決事件」)を扱った作品をご紹介しましょう。 CASE1:『殺人の追憶』(03) まずは、韓国の人気監督ポン・ジュノが手がけ、韓国内で記録的な大ヒットになった『殺人の追憶』か
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