sophtaのブックマーク (422)

  • SPR(心霊研究協会)の問題について

    スピリチュアリズムと近代科学の関係について論じようとするとき、SPRの存在を抜きにすることはできません。SPRには、心霊現象と近代科学の対立の構図がそのまま反映しています。ここではSPRの歴史を振り返り、そこからスピリチュアリズムの抱える問題点を明らかにしていきます。 SPRの設立と、その目的 初期スピリチュアリズムは、少人数の交霊会(ホームサークル)を核にして発展・展開していきました。交霊会(ホームサークル)では霊能者や霊媒を中心に人々が集まり、さまざまな心霊現象が演出されたり、霊媒を通してあの世の霊との交信が行われました。そうした底辺拡大の動きに並行して、心霊現象の研究と検証を目的とした研究機関として、1882年にSPR(英国心霊研究協会)が、そして1885年にASPR(米国心霊研究協会)がバレット卿によって設立されました。 SPRには、当時の科学界の第一級の人物が集まりました。フレデ

    sophta
    sophta 2015/02/19
  • plginrt-project.com - plginrt project リソースおよび情報

    This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.

    plginrt-project.com - plginrt project リソースおよび情報
    sophta
    sophta 2015/02/19
  • 『限界の思考』 - logical cypher scape2

    宮台真司と北田暁大の対談的に、宮台は同じことをずっと繰り返し言っていて、それに対して北田が色々な方向から質問をする、という体裁 『サイファ』の方が読んでいて「限界」って感じたりしたんですが。 宮台は、ヘタレ右翼、ヘタレ左翼、ホンモノ右翼、ホンモノ左翼というような区分をするのだけど、それでいくと自分はわりとホンモノ右翼かもしれないなどと思ったりw まあそんなことはどうでもいいや 全体としてはアイロニカルに振舞う、とは何か、ということを論じていて、さらにいうと宮台は、最近のアイロニーはオブセッシブなアイロニー(韜晦)なので、そのオブセッシブを解除してあげたい、という。 オブセッシブなきアイロニー(諧謔)を手に入れて、もっと自由になろうよ、というのが、繰り返される宮台のメッセージ オブセッシブなアイロニーというのは、アイロニカルに振舞うことに没入してしまい、あらゆる対象をズラしていくが「

    『限界の思考』 - logical cypher scape2
    sophta
    sophta 2015/02/10
  • 本橋哲也『ポストコロニアリズム』 - logical cypher scape2

    1学期の授業のテキストだった。 フランツ・ファノン、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァクを取り上げた、ポストコロニアリズムの入門書。 言葉 ポストコロニアリズムは、文学(認識)と政治(実践)を切り結ぼうとする試み、ではないか。 詳しくは知らないが、テクスト論とかポストモダニズムは後者をほとんと取り入れないようなイメージがある。 というか、後者を入れようとすると批判されてしまう、というか。 つまり、ある立場から見れば、ポストコロニアリズムはあまりにも政治的すぎるのだろう。 だけどあくまでも文学理論の一つであって、政治ではない。 (政治的な文学なのか、文学的な政治なのか、はよくわからないけど、多分前者だと思いたい) よって、まずは言葉による認識を重視する。 人間は言葉を使わないと何事かを認識することはできない。 つまり言い換えれば、言葉によって何事かが「何事」として定位されるのである。

    sophta
    sophta 2015/02/10
  • 小熊英二『民主と愛国』 - logical cypher scape2

    いやあ、とにかく長かった。 しかし、難しいことは全然書いていなくて、読みやすい文章なので、非常にさらさらと読める。が重たい*1ことを除けば、長さはあまり気にせずに読むことができると思う。 あと、何度も何度も同じことが繰り返し出てくるので*2、またそれね、という感じで読んでいける。 このの大きな主張としては、 まず、戦後思想とは、戦争体験の言語化である、ということ。 次に、新しい思想であっても、古い「言葉」を使って表される、ということ。 そして、一口に戦後と言われるが、それは大きく二つに分けられる、ということ。 第二次大戦によって、多くの日人が衝撃的な体験をすることになった。 その言葉を絶するような体験を如何にして言語化していくか、それが戦後思想である。 そしてその言語化の際、どのような言葉を使うかというと、それは実は戦中、戦前の言葉であったり、「近代」とか「革命」とかいったヨーロッパ

    小熊英二『民主と愛国』 - logical cypher scape2
    sophta
    sophta 2015/02/10
  • 稲葉振一郎『「公共性」論』 - logical cypher scape2

    ハーバーマス、アレント、アガンベンあたりを中心にした、人文系啓蒙の書。 まず第一には、とにかく色々なものが紹介されている、入門書として読むことができる。 あまりにも多岐にわたっているため、説明不足となっていたりする部分もないわけではないが、人文知ないし現代思想のかなりの範囲に対して言及がなされており、様々な方面への導入にもなっている。 書を貫いているのは、公共性とは可能か、もっといえば、公共性はあった方がよいのか、という問いである。 この問いを反復する前半部は見通しもよい。 しかし、この問いへの答えは必ずしもすっきりとはしておらず、後半の進むにつれて、分かりにくい部分も出てくる。 ただし、やっていることはずっと同じことの反復ともいえるので、決して難しいではない。 稲葉は、公共性を「生活世界」と「社会システム」のズレを克服しようとしていくことと定義する。 「社会システム」というものは、人

    稲葉振一郎『「公共性」論』 - logical cypher scape2
    sophta
    sophta 2015/02/10
  • 永井均『これがニーチェだ』 - logical cypher scape2

    とりあえずこので記されているニーチェは、あくまでも永井によるニーチェ解釈であることが何度か指摘されている。別にこれは当たり前のことで、世にある解説というのは全てそういうものなのである。逆に、例えばこのであればそこにあるのは、ニーチェ哲学ではなくて永井哲学なのだ、と言ってしまうことができる。 ということは、頭では分かっているけれど、ついつい原書を読まずに入門書ですませてしまう癖が自分にはあるなあ、と思う。哲学を専攻するとか言っておきながら、原書で読んだことのある哲学者なんてほとんどいないってまずいなあ*1。 そんな感想はおいておいて中身にうつる。 ニーチェの思想の終着点は「動物」になることだったのではないだろうか。だが、当然のことながらニーチェ自身は「動物」ではなく、徹頭徹尾「人間」である*2。それ故に、ニーチェの思想はポストモダンについての思想とも言い得るかもしれない。 このの中で

    sophta
    sophta 2015/02/10
  • logical cypher scape - 『偶然性・アイロニー・連帯』

    リチャード・ローティが語る、リベラル・ユートピアについての 東浩紀が、「大きな物語の凋落(リオタール)」とはどういうことか知りたければ、これを読めって言ってたでもあるはず 書は三部構成となっており、それぞれ「偶然性」「アイロニズムと理論」「残酷さと連帯」となっている 第Ⅰ部偶然性 ローティの書の主張は、リベラル・アイロニストたれ、である ここでリベラルとは「この世で最悪なことは残酷であると考える」ことであり アイロニストとは「自分が最も正しいと信じていることも、実は偶然的なことにすぎないと自覚している人」のことである 第Ⅰ部ではまず、アイロニストの自覚する「偶然性」とは何か、について語られる つまり、例えば言語や道徳といったものは、歴史的な偶然の中で生み出されたものであり、歴史を越えた――普遍的な真理に拠るものではないのである 道徳などの根拠として、何らかの「普遍性」や「真理」を付

    logical cypher scape - 『偶然性・アイロニー・連帯』
    sophta
    sophta 2015/02/10
  • 究羅壇頭経

  • 相次ぐ市民革命が露呈した「間接民主主義の限界」21世紀型“直接民主主義”は本当に実現するか?

    1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学大学院教授などを経て、2022年4月から現職。著書は「下流にならない生き方」「行動ファイナンスの実践」「はじめての金融工学」など多数。 今週のキーワード 真壁昭夫 経済・ビジネス・社会現象……。いま世の中で話題となっているトピックス、注目すべきイノベーションなどに対して、「キーワード」という視点で解説していきます。 バックナンバー一覧 留まることを知らない市民革命の波 新たな「直接民主主義」が胎動し始めた? チュニジアの高失業率と、糧品価格の高騰に苦しむ若者の不満は、最終的に、同国で長期にわたって政権の座に君臨してきたベンアリ大統領の失脚に結びついた。その動きは、チュニジアだけに留まら

    相次ぐ市民革命が露呈した「間接民主主義の限界」21世紀型“直接民主主義”は本当に実現するか?
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • lilys: 図録▽神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較) - TROISFAUCONS

    Reblogged from 調子はどうだい February 26, 2011, 2:45am      82 notes Permalink

    lilys: 図録▽神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較) - TROISFAUCONS
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ

    とある出版企画でそういうお話を書かなければいけないので、社会学におけるいわゆる「質的研究」と「量的研究」の区別についてメモを書いておく。 結論から言うと、次のように考えるとミスリーディングである。つまり、「まずある<理論>があって、それを<実証>する手段として質的な研究と量的な研究がある」という考えである。こういう考え方は、混乱のもとであるから、避けたほうがよい。多くの社会調査論のテキストでは調査手段の選択として「質的調査」と「量的調査」を選択することがあるかのように書かれているが、少々説明不足である。そうではなく、さしあたり量的研究とその他のタイプの研究が、量的研究とどのような関係にあるのか、と考えたほうがスッキリする。 分野外の研究者からすれば見えにくいが、実際には量的研究と言っても様々である。が、現状からして、「複数のパラメータを含むモデルを構築し、それをデータに当てはめて統計学的推

    質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • ララビアータ:暴力について - livedoor Blog(ブログ)

    内田樹氏は、『ためらいの倫理学』の中で、「私は戦争について語りたくないし、何らかの「立場」も取りたくない」(p−18)と述べている。それは、NATOによるユーゴ空爆に対して、スーザン・ソンタグがきっぱりと支持を表明したことに対する批評の言葉である。氏の批評の中には、耳を傾けるべき重要な論点がいくつか含まれている。たとえば「現場を直接経験した、または目撃した人間には、それについて語り、判断すべき何らかの特権的資格がある」かのように言いたて、その体験者でない者たちの言説を抑圧することは、許されないといった論点である。 しかし、内田氏の主張はそれにとどまらない。たとえば、次のような記述が特徴的である。 「誰か」が戦争を始めた。「誰か」が戦争を終わらせるべきだ。問題は「誰か」を特定することだというロジック…このあまりに分かりやすい図式には一つだけ欠点がある。それは「主体」たちは、絶対に自分が「邪悪

    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 戸田山和久『知識の哲学』 - logical cypher scape2

    先日、友人宅に遊びに行ったとき、戸田山和久のを見つけ手に取る。 なんか授業で使ったらしいが、友人はあんまり興味をひかれなかった様子。 冗談半分に「じゃあちょうだい」と言ったら、あっさり「いいよ」と言われたので、遠慮なく貰う。 そんなふうに、かなり偶然手に入ったなので、どんななのかもよく分からずに読み始めた。 一言に哲学、といっても色々なジャンルがあるが、その中でも「認識論」と呼ばれるジャンルに関する概説・哲学史である。 「認識論」とは何か、というと、「私たちは外界について何事かを知っているといえるのか」「いえるとすれば、それはどうしてか」という問いに関する議論のことである。 これは、ギリシア哲学からある、古くからある議論なのだけど、これが哲学の中心となるのは「近代哲学」以降となる。すなわち、デカルト以降だ。このの中でも、デカルトとヒュームがそれぞれ項目を割り当てられて解説されている

    戸田山和久『知識の哲学』 - logical cypher scape2
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去

    近代的な「生-権力」は人間がまさに可死的なものであることを出発点とする。そのため、権力は「生きるままにさせておく」または「死なせる」ものから、「生きさせる」または「死の中へ廃棄する」ものへと変容するのである。フーコーにおいて前者と後者の権力は区別されたものであったが、アガンベンはこの両者が一致する現代的な全体主義国家の分析においては、この区別が問題化されると指摘する。 フーコーが1976年のコレージュ・ド・フランスでの講義でこの問いに与えている答えはよく知られている。すなわち、人種差別とは、生-権力が人類という生物的な連続体のうちに区切りを刻みこむことを可能にし、そうすることによって「生かす」システムのうちに戦争の原理をもちこむものにほかならないというのである。(p111)*1 この生の連続体において、生の政治と死の政治は無媒介に一致するというのである。生政治は、この区切りにおいてしだいに

    生政治/ホモ・サケル/人道的介入 - 過ぎ去ろうとしない過去
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • Agamben, Giorgio[ジョルジョ・アガンベン]

    ■著作/単著 ◆1970 L’uomo senza contenuto, Milano, Rizzoli, (Macerata, Quodlibet, 1994)=20021210 岡田 温司・岡部 宗吉・多賀 健太郎訳『中味のない人間』,人文書院,253p. ◆1979 Stanze, Torino, Giulio Einaudi=199810 岡田 温司訳『スタンツェ――西洋文化における言葉とイメージ』,ありな書房,290p. ◆ 1979 Infanzia e storia, Torino, Giulio Einaudi, = 20070100 上村 忠男 訳 『幼児期と歴史――経験の破壊と歴史の起源』,岩波書店,262p ◆1982 Il linguaggio e la morte, Torino, Giulio Einaudi, ◆1982 La fine del pensier

    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 美馬達哉『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』

    ■美馬 達哉 20070530 『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』,人文書院,257p. ISBN-10: 4409040863 ISBN-13: 978-4409040867 2400+税 [amazon] /[kinokuniya] ※ sm ■内容 世界を妖怪が徘徊している、〈病〉という妖怪が。SARS、鳥インフルエンザ、AIDS、ES細胞、脳死、がん、ストレス...。 〈生〉を貫き強力に作動する政治力学、恐怖と予防を上昇させネオリベラリズムとも共鳴するその力の質とは何か。 医学生物学と政治社会学を横断する、気鋭による清新な分析の誕生。 ■著者略歴 1966年、大阪生れ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、京都大学医学研究科助手(高次脳機能総合研究センター)。 臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学。 ■目次 まえがき 第一部 〈感染〉の政治学 第1章 アウトブレイク

    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 『Agamben, Giorgio[ジョルジョ・アガンベン]『人権の彼方に――政治哲学ノート』』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    『Agamben, Giorgio[ジョルジョ・アガンベン]『人権の彼方に――政治哲学ノート』』へのコメント
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • 柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground

    4ヶ月ほど前に、柄谷行人に会った。 今年の1月、大阪で開かれるアジア感染症フォーラムに参加するため、半年ぶりに一時帰国した。 発表を終えたその日の夜、私は関西空港の隣にあるホテル日航の部屋で、ひとり缶ビールを飲みながら、ソウルの研究所とメールでやりとりしていた。 返事を待つ間、ちょうどそのころYouTubeにアップされたばかりの柄谷行人のスタンフォード大学での講義を聴いた。 相変わらずだなあと思っているうちに、いつの間にか私は、柄谷氏に「ぜひお会いしたい」と英語でメールを送っていた。 発表が終った開放感に、酔った勢いが重なったのだろう。 翌朝、福岡に向かう新幹線のなかで、なぜあんなことをしたのかという多少の後悔の念がよぎったが、どうせ無視されるだけだろうと自分を納得させた。 夜、長崎に着き、大学病院の近くの浜口町の安ホテルでパソコンを開く。 ソウルからの大量のメールにまぎれて柄谷氏からの返

    柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground
    sophta
    sophta 2015/02/08
  • land and ground

    仕事を後任に引き継ぎ、ニャチャンを離れることになった。 2年以上暮らしたホー・スン・フン通り31番地の家も引き払った。 思えば、ここが社会人になって一番長く住んだ家だったかもしれない。 今日、昼前のフライトでニャチャンを発ち、サイゴンへ。 明朝、福岡に到着予定である。 2006年7月、はじめてベトナムに足を踏み入れた日に始めたこの日記も、区切りのよい日をもってひとまず終了としたい。 *** すこしあとがきめいたことを記しておこう。 私は以前、パレスチナ・ガザ自治区で仕事をしていたときにも日記をつけていたことがある。 このブログはその続編のつもりで書いてきたものである。 パレスチナでは、常にエドワード・サイードを意識していたが、ベトナムではそれがチャン・デュク・タオであった。 彼らのように徹底して理論的に考えながら、否応なく<土地>に巻き込まれていった思想家たちに、私は興味を覚える。 ある

    land and ground
    sophta
    sophta 2015/02/08