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ブックマーク / www.dinf.ne.jp (3)

  • 文学にみる障害者像 三島由紀夫著 「金閣寺」

    三島由紀夫著 『金閣寺』 櫻田 淳 「障害を持つ人々は、どこまで自らの障害を相対化できるのか。」私は、障害を持つ人々が突き付けられる課題の最たるものは、結局、このことなのではないかと考えてきた。障害を持つ人々にとって、障害を持つという事実は、自分を取り巻く環境のようなものである。そうであるならば、この環境をどのように解釈するかということが、障害を持つ人々には重大な問題となるのである。 三島由紀夫の傑作『金閣寺』には、障害を持つ二人の青年が登場する。一人は、吃音の障害を持ち、金閣寺放火の挙に及ぶ主人公、溝口である。他の一人は、溝口の大学時代の友人として、溝口に影響を与え続けることになる柏木である。 おそらく、この『金閣寺』という作品の中で、多くの人々の関心を惹くのは、主人公としての溝口の辿った軌跡であろう。しかし、高校時代に初めて『金閣寺』を読んで以来、私が強烈な印象を受け、対話の対象として

  • 親の障害の認識と受容に関する観察-受容の段階説と慢性的悲哀  

    親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀中田洋二郎 国立精神・神経センター精神保健研究所 項目 内容 A Parental Response to Having a Child with Developmental Disorders:A Stage Model or Chronic Sorrow? Yujiro Nakata(National Institute of Mental Health,NCNP,Japan) Waseda Psychol.Rep.,1995 Vol.27 83~92 はじめに 発達に障害のある子どもの親はどのように障害の状態を認識し受容するのだろうか。これまでの研究ではいくつかの異なる見解が論じられてきた。この論文では、それらの見解を概観し私たちが行った障害の告知と障害の認識に関する調査の結果から障害児の親の障害受容の過程について考察する。

    sora-papa
    sora-papa 2010/10/12
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  • 戦後50年 戦争と障害者

    戦後50年 戦争と障害者 はらみちを 戦後50年、今年ほどさまざまなカタチで戦後の記録・隠されていた実態が噴出した年はなかった。 この巨大な集団殺戮のパニックが暴かれへドのように吐き出される惨状に唖然と息をのんだ。これは人間のすることとは思えぬ。だが戦争という巨大な悪魔は人間を狂わせ、暴走したのだ。砲丸を叩きこみ牙をむき襲いかかる兵士に逃げまどう住民、尚も執拗に追う手榴弾、火焔放射器、非戦闘員であろうがなかろうが犬1匹も容赦しない、この集団殺戮の景色の中、障害者が1人もいないことに気がついた。これはおかしい、あの非戦闘員の中に障害者は1人もいなかったのか、いないことはあるまい。いつの時代も障害者は存在したのだ。その歴史は鮮やかに残っている。 障害者の視点からみた記録はないのか…これでは50年前の戦争という歴史の中で、障害者は1人もいなかったことになる。この歴史の中のポカッとあいた空白をその

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