しゃろん @op10_4 BBCの中継すごくよかった。皇位継承儀式をフルで放送して、生前退位が202年ぶりであることや三種の神器の説明、震災時の天皇の慰問、皇室典範にも触れた上で「元号」が未だ現存する日本特有のcalendarだと紹介されてた。解説めちゃくちゃわかりやすくて感動した。 pic.twitter.com/gPmFt9XkSd
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。 ◆「そう思わん?」「わかるか?」 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社が
去る7月2日、「天皇陛下が体調不良を訴え、医師の診察を受けた結果、脳貧血と診断された」との一報が駆け巡った。生前退位を目前に控えての心配なニュースだが、その後、詳細は報じられていない。いったい何が起きていたのか? 猛暑の日に行われた「同窓会」 7月1日、日曜日。東京都心で最高気温が32度に達したこの日、天皇の姿は母校・学習院初等科(新宿区若葉)にあった。14時から開催される同窓会に出席するためである。格式あるその同窓会は「初等科桜友会」という。 正堂(講堂)で総会が行われたあと、約500人の参加者は食堂へ移り、会食となった。昨年まで桜友会総会議長を務め、天皇の学友としても知られる明石元紹氏が、当日の天皇の様子をこう語る。 「みなさんノータイ姿の中、陛下は背広に革靴で来られまして、大変に暑い日でしたから、大丈夫かなと少し心配でした。私は陛下と同学年ですが、この歳になりますと、やはり暑さを感じ
今から72年前、1945年8月15日。昭和天皇の「玉音放送」によって、国民は戦争が終わったことを知った。すでに310万もの日本人が戦火に倒れていた。もしも戦争が続き米軍を中心とする連合国軍の本土上陸が実現していたら、被害はさらに広がっただろう。 ソ連が北海道に上陸して南下していたら、日本はドイツや朝鮮のように、民族同胞が分裂する状態となっていただろう。昭和20年夏の敗戦は、こうした最悪の悲劇を逃れる決定であった。 その決定が、昭和天皇による「聖断」によって実現したことはよく知られている。一方、より長い時間軸で敗戦までの過程をながめると、この「聖断」の意味が立体的に見えてくる。今回は『昭和天皇実録』などから、「聖断」の意味を考えてみたい。 ポツダム宣言「黙殺」が生んだ悲劇 まず連合国軍による降伏勧告、「ポツダム宣言」(以下「宣言」)から8月15日までの大まかな流れをみておこう。 同宣言は19
皇太子さまは21日午前、デンマーク訪問を終え、帰国した。天皇陛下の退位を実現する特例法成立後、初めての外国訪問。次の天皇として手厚いもてなしを受けた。市民とのセルフィー(自分撮り)に気軽に応じるなど、新しい皇室の姿も垣間見えた。 滞在半ばの17日、皇太子さまは公式行事の合間を縫って、運河沿いを散策した。地元の人々に「ここにはよく来るんですか」と話しかけたり、握手を交わしたり。ハイネさんという男性から携帯電話のカメラでツーショットのセルフィーを頼まれると、気軽に応じ、そばにいた宮内庁関係者を驚かせた。 4月のマレーシア訪問でも、ナジブ首相とのセルフィーがネットに流れ「前例がない」と話題になった。 幼稚園児にしゃがみ込んで声をかけたり、予定時間を超えて対面者と接したり。より身近で、より時代に即した皇族像を求めているように感じた。 デンマーク王室のもてなしも印象的だった。到着時には、フレデリック
日本会議国会議員懇談会は23日、国会内で皇室制度プロジェクト(座長=衛藤晟一首相補佐官)の勉強会を開き、男系継承のあり方を議論した。自民党を中心に23人が参加し、民進党などが求める「女性宮家」の創設に反対論が相次いだ。 天皇陛下の退位をめぐり、衆参両院の正副議長が3月にまとめた「議論のとりまとめ」では、退位を実現する特例法案の付帯決議の中で「女性宮家の創設等」の検討を政府に求めることが盛り込まれた。これに対し、プロジェクト座長代行の柴山昌彦首相補佐官は23日の会合後、記者団に「こうした方策がまず最初に出てくるのはおかしいとの認識を共有した」と語った。 出席者によると、会合では「付帯決議に『女性宮家』を盛り込む動きを断固粉砕すべきだ」などの意見が出た。「旧11宮家が臣籍降下したのは占領政策の結果だ」として、戦後に廃止された旧宮家の復活による男系維持を求める声もあがったという。 日本会議国会議
天皇陛下が在位30年を節目として譲位を希望されていることを受け、政府は、平成31(2019)年1月1日(元日)に皇太子さまの天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。国民生活への影響を最小限とするには元日の譲位が望ましいと判断した。譲位に伴う関連法案は、有識者会議の報告と衆参両院の論議を踏まえ、5月上旬にも国会に提出する見通し。譲位は「一代限り」として皇室典範改正は最小限にとどめる方向で検討を進める。 複数の政府関係者が明らかにした。譲位の日時に関しては「○年以内に政令で定める」として法案に明記せず、皇室会議を経て閣議決定する方針。 具体的には、平成31年元日、国事行為である「剣璽等承継の儀」(三種の神器等引き継ぎ)と「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)を宮中で行い、官房長官が速やかに新元号を発表する方向で検討している。 皇位継承に伴う重要儀礼である大嘗祭は、準
陛下に一本取られた話 (注:この記事に関しては、 転載、まとめサイトへの引用は禁止 です。また、取材等もお受けしません。) 実は、約2年前に天皇陛下と皇居で食事をするという奇跡に恵まれたことが有る。もちろん、私自身はそんなVIPでは無いので、偶然と幸運が重なったためではあるが。 数年前に、神経科学の重鎮であるN先生が、天皇陛下の御前で「ご進講」(天皇・皇后・皇族に学者等が業績などをご説明申し上げること:weblio辞書より)をしたのがそもそもの始まり。ご進講の1カ月後に、陛下が講師を皇居に招き、お礼の意味で食事会開く、のが慣例となっているそうで、その時に、2名の随行者を連れていくことが許されるとのこと。N先生はK大学医学部教授の先生を1人と、もう一人になんと私を指名しくれたのだ。 指名してくれた理由は、はっきりしている。N先生は、私が専門とする魚の模様研究が、ネタとして「使える」と考えた
天皇陛下が生前退位の思いを強くにじませたお気持ちを表明したことに、男系の皇統維持を求めてきた人たちが困惑している。「日本会議」や「神道政治連盟(神政連)」の関係者が多く、安倍政権の支持層とも重なる。本来は退位に反対の立場だが、政権が特別措置法の検討に入るなか、容認論も出始めた。 「例外というのは、いったん認めれば、なし崩しになるものだ」 男系派の重鎮で、日本会議と神政連の政策委員を務める大原康男・国学院大名誉教授は、退位の前例を作れば皇位継承の安定性が失われると懸念。「国の根幹に関わる天皇の基本的地位について、時限立法によって例外を設けるのは、立法形式としても重大な問題がある」と特措法にも反対する。 退位の意向が報じられたのは、参院選で改憲勢力が憲法改正の国会発議に必要な3分の2を確保した直後だった。憲法改正運動を進める日本会議の幹部は「いよいよという時に水を差された」と感じたという。「宮
「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示している天皇陛下は、8日、ビデオメッセージでお気持ちを表されました。 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し
「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示している天皇陛下がお気持ちを表される機会が、来月にも設けられることになりました。宮内庁はテレビの中継などを通じて、広く国民に語りかけられる形を考えているということです。 そうしたなか、天皇陛下がお気持ちを表される機会が来月にも設けられることになりました。 関係者によりますと、宮内庁はテレビの中継などを通じて、広く国民に語りかけられる形を考えているということで、先の参議院選挙を受けて召集される臨時国会や内閣改造が終わったあとの来月8日などを候補に、日程の検討が進められているということです。 天皇陛下は皇居・宮殿の石橋の間で、10分余りにわたってお気持ちを表される見通しで、記者が立ち会うことも想定されているということです。 天皇陛下は憲法で定められた国政に関与しない立場から、お気持ちの表明にあたっては、「退位」という言葉や直接的な意向の表明を避けられるもの
天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
宮内庁は、終戦の日の昭和天皇による「玉音放送」の音声を記録したレコード盤「玉音盤」の原盤を、来月にも音声とともに初めて公開する方針を固めました。今テレビなどで耳にする「玉音放送」の音声は、戦後、原盤からコピーされたもので、終戦を告げた「玉音放送」そのものが戦後70年を経てよみがえることになります。 劣化が進んでいましたが、関係者によりますと、宮内庁が音声の復元に成功し、先月30日には天皇皇后両陛下のお住まいの御所で、両陛下と皇太子さま、それに秋篠宮さまが「玉音盤」の原盤の音声を聴かれたということです。 宮内庁は戦後70年にあたり、終戦の日を前にした来月初めにも、音声とともに初めて原盤を公開する方針を固めたということです。今テレビなどで耳にする「玉音放送」の音声は、戦後、原盤からコピーされたもので、終戦を告げた「玉音放送」そのものが戦後70年を経てよみがえることになります。 宮内庁はまた、昭
1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/05/25(月) 11:01:58.949 ID:BmQqJSCZ0.net
高円宮家の次女典子さま(26)と出雲大社権宮司の千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(41)の結婚式が10月5日、島根県出雲市の出雲大社で行われた。結婚式後、地元市役所に婚姻届が提出され、典子さまは皇族の身分を離れて「千家典子さん」として同市で新生活を始める。時事ドットコムなどが報じた。 女性皇族の結婚は2005年11月の天皇、皇后両陛下の長女黒田清子さん以来。結婚により典子さまは皇籍を離脱し、出雲で千家典子さんとして新生活を始める。 結婚式を終えた典子さんは「滞りなく済みましてほっとしております」、千家さんは「大変心が晴れやかでございます」と笑顔で語った。 (時事ドットコム「典子さまと千家さん結婚=皇室離れ、出雲で新生活へ-高円宮ご一家ら出席」より 2014/10/05 15:24)
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