「Tulpas」はrlwの作品を再構築した5枚組CDである。それらは95〜97年の間に制作された音源が収められた古いアルバムである。rlw自らが運営するレーベル、Selektionがテーマのひとつとしている流通の場における情報の変遷という観点から楽曲を拡散・集合させたプロジェクトである。決して安易なリミックスやトリビュート企画ではない。rlwは80年代初頭のノイエ・ドイチェ・ヴェレの動向から更に地下へと進みラディカルな音楽活動を行ってきた。このアルバムにはノイズ寄りの作家から独自の電子工作を編み出した作家たち、あるいはそれらの動向に影響を受けた若手までが隔たりなく集まっている。彼等は互いに孤立して制作を続けていくうちに共通の関心事と幸運な機会によって邂逅し交流が始まっていった。10年前の各作家同士の連絡方法は今とは異なる。インターネットは既に整備されていたが利用はそれほど多くなく、手紙や電
質問 お気に入りANIME作品や、今視聴している作品の登場人物を使ったエロ同人誌を手に入れたがるのは異常でしょうか。個人的には何にも抵抗がないのですが、そういう行為を強くとがめる友人もいます。登場人物たちをポルノグラフィックな状況に置き換えた代物を手に入れるのは、本来の作者にだけでなくキャラ当人達の人格に対して失礼である、と。ああいう代物を手に入れたがる習慣や行為をどう考えますか。常軌を逸しているでしょうか。 回答 ANIMEファンはANIMEに対して独特の尊崇の念を抱く傾向があります。ANIMEが大好き、そして素晴らしいと考える私達にとって、穢れたポルノグラフィーにANIMEを貶める行為は無礼かつ汚らわしいものに映ります。とりわけ人気が高かったり品性の良いキャラクター、例えばベルダンディーとか桜庭葵といったキャラをセックスと絡めて眺めるのは、その純潔さと無垢な美しさが土足で踏みにじる行為
だが、考えてみれば、こんな単純な構造であそこまでの物語を書き、何とかまとめあげてしまったのだから、鳥山明という人はやはり天才的なストーリーテラーだと思う。個々人の能力を駆使して戦う方が、ゲーム性も生まれるしプロットも作りやすいはずなのだ。だが、鳥山は意図的かは判らないがそういう方法を取らず、その豪腕で無理やり単純な世界を展開し続けた。『ドラゴンボール』と戦闘力のインフレ問題 - 虚構組曲基本的には概ね同意で、反論ではありません。なんとなく思ったことを記述します。「こんなに単純なのに凄いストーリー」というtragedyさんの指摘は面白いと思った。でも個人的には、鳥山は、あくまで絵や世界観が優れていて、ストーリーはそれに付随するものに過ぎないと思う。鳥山は、とにかく絵がうまい。なんでも描ける。描けない物はないと思う。普通の漫画家は絵が下手なので、描ける物が限られている。なので、思いついたストー
鳥山明のストーリー構成力について - English training diary昨日のエントリに対して、匿名ダイアリーで反応があった。面白いので回答しようと思う。漫画家としては中の上じゃないの?あんなくらいのレベルの絵を描ける人は他の漫画家にもいっぱいいないか?って思っちゃうわけですよ。玄人の皆さんは一体どこを見て「上手い」と言うんですか?ちなみに素人の私が上手いと思う漫画家は森田まさのりとか井上雄彦とか小畑健などですhttp://anond.hatelabo.jp/20070914045811彼が挙げている三人は、どれもリアルな絵を描く漫画家だ。そういうのが好きな人が、鳥山の絵を軽く見るのは理解できる。では、この三人について書いてみる。同じリアル系でも、実は微妙に異なる。まずは森田まさのり。森田の絵は、写真のような絵だ。おそらく自分で外に出向いて写真を撮って、それを元に背景を描いている
マンガ史的に見て、鳥山明の残した業績ってのは、大友克洋とはるぐらいだと思っている。 マンガという限定されたコマにおける空間の把握の仕方。 デフォルメ表現。 スーパーサイヤ人という「発明」 その他もろもろ・・・ ドラゴンボール以降、確実にジャンプマンガは変わった。 というよりも少年漫画全体の文法が変わった。 そう認識している。 それは、マンガという大きな流れの中では確かに偉業だった。 でも、鳥山明個人も問題として捉えるとどうだったんだろうな・・・ってなことを、ドラゴンボール以降の鳥山作品を見るにつけ、考えてしまう。 (余談だけど、鳥山明って、もとモデラーらしい。だからどの作品の登場人物も、立体化して矛盾がないように描かれている。つまり、ドラゴンボールのフィギアだけは、単行本の表紙をそのまま立体化!みたいなことが可能だったりする。これってものすごいレベルの絵のうまさだ。) ただ、それはあまりに
本を出しました 『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』 このたび、築地書館から『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』という本を上梓いたしました。お手にとっていただければ幸甚です。つうか、1人3冊は買って。 本屋に並ぶのは(2007年)11月26日からになりますが、アマゾンでは予約を受け付けています。それから、築地書館の本は、街のどんな小さな本屋、80歳くらいのじいちゃんが猫を撫でながらエロ本と漫画を売っていたような、ぼくの実家の近くの本屋にも必ずある、というわけではなく、やはり一定の大きな書店に限られています(築地書館のホームページで常備書店の検索ができます)。地方の方は、ネット経由がいちばん確実かと。 築地書館さんについては、ぼくも吉田太郎『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』の書評を書いたことはありますし、ふるくは土門拳の写真集、最近では『反★進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスター
質問 (あんたにはきっつい質問だけど答えてやってよジョン君。この手の質問は何度も何度も来てるんだろけど。) OTAKUなANIME者(つまりANIME好き)の熱心さはいいとして、WAPANESE(白人のくせに釣り目の東洋人に憧れる連中)が何かというとUS国産アニメは日本製のパクリだと決め付けてくるのにはうんざりしてる。それが何だってわけよ。阿呆なあいつらはあんたのお薦めのHENTAIでヌいてるわけ?っていうか、表現の自由があって何事も強制されない国に生きていることを盾に、頭の腐ったオタッキーどもが何でも来いのあんたの頭脳に尻尾ふって跳びついては、怒りをさらに猛(たけ)らせてるようにしか見えないんだけど。 (原註:以上の質問は原文のママ) (その1から続き) 現代のANIMEはもともと’40年代、’50年代のアメリカン・アニメーションの影響や刺激を受けて成り立っているという説は一見もっともで
質問 ハロー、ジョン。先日の「宗教的シンボルを平然とANIMEに使う日本人の神経!」の邦訳を読んで、質問、というか反論をしたいと思います。ご説は一見もっともですが(少なくとも日本製ビデオゲームについては当たっている)、米国人が自分自身を省みないで他所(よそ)のポップ・カルチャーにあれこれ言うのはおかしくありませんか。 例えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではリビア人を生粋のテロリストのように描いたり、日本のビジネスマンを主人公をいじめる傲慢な上司として描いたり、そのくせ黒人については’50年代のお話なのにおちょくるにしてもそれなりの扱いがされています。ハリウッド界は国内からの批判にはすごく敏感だけど、国外からの目線には無関心といういい証拠です。お国のマスコミは宗教や人種がらみの差別には神経質ですが、それは米国がもともとアフリカン・アメリカンを始めたくさんの人種、イスラム教を始めとする
昨日の続きです。 赤木さんは第3章「丸山真男をひっぱたきたいができるまで」で、ご自分の思想遍歴を語っているのですが、これがまさに昨日の話とつながります。 彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。 それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ! と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。 オウムだの幸福の科学だの、そういう大衆をだまくらかすアヘン売人どもに同情している暇があったら、その被害者のことを考えろ! と、ゴリゴリ左翼はいうでしょう。 でも赤木さんにとっては、そういうリベリベな思想こそが「左派」だったんですね。このボタンの掛け違いが、この本の最後までずっと尾を引いていきます。 彼が、「このような左派的なものに自分の主張をすりあわせてきました」という、その「左派的なもの
前バイトしてたところでDr.スランプの原画を見たことがある。 その職場では少年漫画だけでなく少女漫画エロ漫画劇画、いろんな原画を見ることができたんだけど、 鳥山明だけはあきらかに別格だった。 プリンタで打ち出したかのような線のゆるぎなさ、キャラの造形などにも驚いたけど、 何より、車や飛行機、家など、ちょっとした機構物がやばかった。 デフォルメされて縮尺も無茶苦茶なのに、実在するかのようなリアリティがあって、 なのにメカが突然しゃべり出してもおかしくないエネルギーとか説得力が一つ一つに詰まっていて、 コマ割りにもストーリーテリングにも遊び心がつまっていて。 この人は本当にスゴいんだと思った。 余談だが、もう一人別の意味でスゴかった人がいる。 松本零士。 俺がみたのは999の原画だったんだけど、黒塗りの宇宙がヤバすぎた。 何ミリあるか高さが測れそうなくらい、塗りに塗って塗りこめた黒地の彼方に瞬
この話は前から同じことを考えていたので、ちょっと書いてみる。 「差別・偏見は常に絶対悪」という考えも危険 (id:andalusia) そもそも、私たちは社会で生きていく中で、意思決定を早めるために推論(ヒューリスティック)を利用することが非常に多いです。学校での試験の問題みたいに決まった答えがあるわけではない問題に対して、ヒューリスティックな手段は有用で不可欠です。しかし、ヒューリスティックな手法は、そもそもバイアスと裏表です。偏見を全く持たずに生きていくことはできないし、もし仮にそんな人(ヒューリスティックな手法を放棄した人)がいたとしたら、無知で無能でクズ。アホでバカ。低脳でワーキングプアだと私は思います。 すんません、無知で無能でクズでアホでバカで低脳でワーキングプア、に近い id:raurublock です。 いや、真面目な話、私はこの手の「論理によらないヒューリスティックな推論
asahi.com:「謝罪の念、どうしたらわくでしょうか」教師殺傷少年 - 関西 http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200710250046.html 好きでそう生まれたわけでもなく、望んでそうなったわけでもなく、誰にそのことを教えられたこともなかったのに、そのすべてを「自己責任」だとして背負わされる。 もう、この国の足の引っ張り合いを「社会」などとは呼びたくない。 「善良な殺人願望」をこうまで露骨に現したこの国に「福祉」があるなどと願わない。 「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」 合唱しているその本人は、自分が「健常」だと思い込む。 「異常者を殺せ!」と叫ぶことによって。 俺は泣こう。 「殺される」少年のために。 「健常者になぶり殺しにされる障害者」のために。
AskJohnふぁんくらぶ: 宗教的シンボルを平然とANIMEに使う日本人の神経! http://ask-john.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/anime_d0ce.html#more AskJohnふぁんくらぶ: 宗教的シンボルを平然とANIMEに使う日本人の神経!その後 http://ask-john.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/anime_8a89.html 発端となった質問は実に正論だし、それに対するJohn氏の返答も実に誠実なものに思える。 しかし、なぜか盛り上がるをコメント欄を背景にした「反論」がいただけない。 人として論点がズレている。*1 とはいえ、そもそも「見ず知らずの他人の意見を集約して、それに自分の意見を混ぜて文章を作る」という作業自体に問題があるのかもしれない。 だが、それにしても 宗教テーマを取り
昨今TVでは子供の携帯電話利用や学校裏サイトのことがスキャンダラスに取り上げられています。こまったことに天下の公共放送、NHKもいじめやネット、携帯電話の専門家でもない人間を担ぎ出してネガティブキャンペーンを張る始末。そこで冷静に問題を分析してみよう、というスタンスのこの本が重要になってくるわけです。日本中の学校関係者に送って読んでもらいたいくらい。 本書の主張の第1のポイントは・「学校裏サイト」でのネットいじめの問題はそもそも学校におけるいじめの構造が反映されているものであり、ネットが利用されることで学校におけるいじめが可視化されるようになった。ということかと思います。それ以外では大人のネット利用で見られる荒らしや誹謗中傷書き込みの問題と同様なものが多いようです。また、著者は「学校裏サイト」ではなく「学校勝手サイト」と呼んでいるのですが、様々なアンケート調査や著者自身の聞き取り調査の結果
kanjinaiさんが紹介しているように、17歳の女の子の水着DVDが児童ポルノとして摘発された。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071022/1192991596 私自身、今年の春頃から機を見ては、この問題を友人と議論してきた。しかし、この問題は表現の自由、性の商品化、性の自己決定、売春婦差別、子どものセックスなど、気をつけなければならない点が多く、これという結論は出せずにいた。女の子たちとセックスを結びつけようとする、過度の扇動を批判することは必要だろう。しかし、どの角度から、どのように規制するのか、という点には慎重にならなければならない。左翼にしろ、フェミニストにしろ、反性暴力運動にしろ、動きは鈍い。 一方で、kanjinaiさんが引用している、web上のニュースにもあるように、批判は女の子たちの母親に向けられる。かわいい娘を金儲けの手段にするのか、
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