1970年11月25日午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問。名目は「優秀な隊員の表 彰」であった。益田総監と談話中、自慢の名刀「関の孫六」を益田兼利総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取っ て籠城。様子を見に行った幕僚8名に対し、日本刀などで応戦、追い出した。その中には、手首に一生障害が残るほどの重傷を負わされた者もいた。 三島自身が自衛官と報道陣に向けて30分間演説することを要求してそれを認めさせた後、バルコニーで自衛隊決起を促す演説をしたが、自衛官たちからは総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さへの反撥が強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されてわずか7分で切り上げる。そして森田必勝らと共に『天皇陛下万歳』を