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ブックマーク / ultrabigban.cocolog-nifty.com (5)

  • 三島VS東大全共闘の映像を見て---一夜の記憶は夢だったのか - BigBang

    1970年11月25日午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問。名目は「優秀な隊員の表 彰」であった。益田総監と談話中、自慢の名刀「関の孫六」を益田兼利総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取っ て籠城。様子を見に行った幕僚8名に対し、日刀などで応戦、追い出した。その中には、手首に一生障害が残るほどの重傷を負わされた者もいた。 三島自身が自衛官と報道陣に向けて30分間演説することを要求してそれを認めさせた後、バルコニーで自衛隊決起を促す演説をしたが、自衛官たちからは総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さへの反撥が強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されてわずか7分で切り上げる。そして森田必勝らと共に『天皇陛下万歳』を

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  • 葵上とブログ世界と闇を巡る断章 - BigBang

    能を多く見てきたことは以前にも書いたが、能「葵上」の鑑賞は数え切れないほどの数に及ぶ。能でも屈指の人気曲であるため、それは各所で繰り返し繰り返し演じられるのだが、この演目は、一方での大衆的人気曲「羽衣」の清清しさに比べて、何とも陰湿な人の業の深さを表現している。 六条御息所は、教養豊かで理知的、かつては源氏と交わす和歌やもてなしにも典雅な気品が匂い立ち、源氏の心をとらえた女性である一方で、源氏より七歳年上であることなどから、いつかは源氏が自分のもとから去っていくだろうと不安を抱え、若く美しい正・葵上に対する嫉妬がつのる。それでも高貴な身の上、はしたない行動には出られず、じっと耐えている。そんな六条御息所を打ちのめしたのは、賀茂の斎院の御禊(ごけい)の折、都大路を行列する斎院と光源氏らの姿を一目見ようと出立した六条御息所の車が、後から来た葵上の車に押しやられ、打ち払われた事件。散々の恥ずか

    葵上とブログ世界と闇を巡る断章 - BigBang
  • 業界パーティでもたまには面白い話に出会う - BigBang

    その話によれば、その会社に通うことを希望した若者は、机とパソコン、そしてネット接続を提供される。原則として毎日通ってくるように言われるが、もちろ ん拘束はない。給与も出ない。1日中パソコンで遊んでいてもいいが、社員プログラマーから少しずつプログラミングの基礎を学んで、一定の時間経過後にその スキルを認められれば就職と、そういう仕組みだ。若者にしてみれば、コンピュータの専門学校に行けば高額の授業料がかかるところが、無料で技術が学べ、就 職までできる。会社側としてみれば、一発勝負の面接で決めるよりも、長い期間その人物を見ることができるので、安心感があるという。 会社内にそうしてブラブラした若者を迎える社員の側はどうかと言えば、最初は戸惑いがあったようだけれど、最近はすっかり慣れてしまったということだ。もちろん現業が優先なので、忙しいときには、指導ができない。そういうときには、「ちょっと待ってて

    業界パーティでもたまには面白い話に出会う - BigBang
  • 「六本木ヒルズ×篠山紀信」と九龍城----イメージの不思議と支離滅裂 - BigBang

    田美奈子: アメイジング・グレイス (DVD付) 移動途中の銀座線の車内の空間がふいに色相を変え、彼女の声が響き渡る。あのころはぎりぎりまで、何か折れてしまいそうな繊細さと痛々しさすらあった、振り絞るような彼女の声は、いつの間にか少し穏やかな丸みを帯びた大人の女性の歌声に変わっていた。僕は長い間、この歌声を忘れていた。 生きる者は死んだ者に煩わされてはならない。 そんな言葉は嘘だ。 僕はあなたの「ミス・サイゴン」を生涯忘れない。 田美奈子の死-----僕は「ミス・サイゴン」を忘れない (★★★★★)

    「六本木ヒルズ×篠山紀信」と九龍城----イメージの不思議と支離滅裂 - BigBang
  • ブログジャーナリズムなんて必要なのか?----相次ぐ惨状に関して - BigBang

    ジャーナリズムがブログを使ったくらいで何か別の価値を持てると考えること自体が、大いなる錯覚なのではないか。 確かに読者との相互コミュニケーションや、記事をアップするときのスピードなどなど、既存のメディアに比べて優れているところはあるにはある。しかしそれらは、どれも「ツール」としての利便性にしか過ぎず、質的な問題とは無関係ではないか。 「ブログブーム」に乗っかり、Web2.0などと「持ち上げられ」、一時は過剰な期待を背負ったサイトが次々と失速している現状の中に、何か共通の問題点のようなものが、透けて見えていると言っては言い過ぎか。それははっきりとは僕も形には出来ていないのだけれど、「ツールと価値を転倒している」ことと、「現場感覚の欠如」が、その要因であるように思う。 ブログを使うジャーナリストは、どこまで言っても「ブログを使うジャーナリスト」にしか過ぎないのであり、そのこと自体に特別な価値

    ブログジャーナリズムなんて必要なのか?----相次ぐ惨状に関して - BigBang
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