現在のフリーランスに近かった浪人宮本武蔵、長年浪人を続けていた彼だが56歳の時に熊本藩に客分として招かれた / credit:Wikipedia一般的に浪人は「主君に仕えていない武士」を指すイメージがあり、時代劇などでは「お尋ね者」や「さすらいの旅をしている武士」といった役割で登場することが多くあります。 江戸時代の浪人は武士としての公的な身分こそ失っていたものの、名字帯刀が許されているなど、世間一般からは武士として扱われていました。 その日常生活は後述するような例外を除けば一般の町人と同じであり、手工業や日雇い労働で日銭を稼いでいたのです。 そんな浪人ですが、他の武士から浪人であるという理由だけで軽視されていたわけではありません。 例えば弘前藩(現在の青森県西部)では、家来が「武芸の修業がしたい」と届け出をした書物が残っており、そのときに家来が修業をつけてもらう予定の師匠についても書かれ
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