ガメラは2、ターミネーターも2 エイリアンは1
街中歩いているときは、ちょっとやばいやつっぽい感じで歩くととても歩きやすい。 まぁちょっと変なことを書いている自覚はあるけど聞いてほしい。 ちょっとやばいやつっぽいあるき方というのは、大体こんな感じ。 ・結構キョロキョロする ・上下右左ランダムでキョロキョロする ・人と目が合うと見開いてガン見する ・歩調が一定ではなくする これやりながら街中歩くと、割と高確率で人が避けてくれてとても歩きやすいことがわかった。 マスクだし別に街中なら知り合いにもめったに会わないだろうっていう感じで試しにやってみたら思いの他快適で、繁華街なんかはいつもそうやって歩く癖がついてしまった。 流石にお店の中とかは恥ずかしいので、入り口入った瞬間に普通にする。 とにかく、一人で人混みを歩くときはマジで楽。 普段が見た目ヒョロくて人になめられてるっぽいことは否定しない。 そういう人にはぜひおすすめ。
紙の新聞を読む人が減り続けている 日本新聞協会のデータによると、この20年で新聞の発行部数は3分の2になった。 20年前は一家に一紙かそれ以上とってたのに、今や新聞をとっている家は約半数。 新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ|日本新聞協会 確かに、電車の中で新聞を読んでる人がもう全然いないよね。 世間話の入り口として「新聞で読んだんだけどさ」っていうのもなくなったし。 電車の中ではみんなスマホ見てるし、世間話の入り口はSNSやネットニュース。 今や紙の新聞はニュースソースじゃなく包装紙としての役割にシフトしつつある。 新聞紙 1束(15kg) 【引越・荷造の包装材・緩衝材として】 メディア: おそらく若い世代が購読しなくなったので、既存の読者である高齢者が亡くなるたびに新聞の部数が減っていってるんだろう。 もうかなり前から、新聞広告は定年退職後の豪華客船クルーズとか、いつまでも若々し
New Yorkerより。 私たちは「シンギュラリティ = 技術的特異点」を畏れ、切望しています。しかし、おそらく決してやって来ないでしょう。 テッド・チャン 11世紀、カンタベリーの聖アンセルムスは、神の存在を証明するためにある論拠を提唱しました。「神は、定義上、私たちが想像できる最も偉大の存在であり、存在しない神は存在する神に比べて明らかに偉大ではない。故に、神は存在するはずである。」これは存在論的証明(ontological argument)として知られていますが、この議論は1000年近く経った今でも議論されているほど、説得力があると思う人がたくさんいます。存在論的証明を批判する人の中には、存在論的証明は本質的に存在を定義するものであり、定義の仕組みではないと主張する人もいます。 人々が存在を主張しようとしたのは神だけではありません。数学者のアーヴィング・ジョン・グッドは、1965
友達にとある自分の好きなものを教えたら、面白がって一緒に楽しんでくれるようになった。 イベントにも一緒に行くようになって、たくさんそれついて語ったりしてさ。 そのうち友達が深みにハマっていき自分よりも詳しくなっていった。 会話をしててもわからないことが増えてきたし、自分の知ってることなんてにわかレベルであると痛感させられる。 底辺な自分はなけなしの財力でしか楽しめないけど、財力ある友達は自由に楽しめて、 イベント参加回数も増えてついていけなくなってきた。 そのうち知らないファンと交流もはじめていよいよ置いてきぼり感が強くなってきた。 友達にそれを伝えても「そんなことないよ」と言ってくれるだろうけど。 僻んでしまう自分が情けない。
花という犬の散歩をしていて逃げられた。 「はーな、花、はなちゃん!!!」 と追いかけたら、遠く、日に焼けた農作業帰りのおじさんにまとわりついてる。 花ちゃんは私の飼い犬ではなく時給制か現物支給の散歩係をしているだけの関係だが逃がすと厄介。 おじさんのビニールハウスまで花ちゃんはついていく。 追いついたら、おじさんはビニールハウスの横の休憩所で畑を見ながら休憩していた。 花どこ。 と思ったら、ビニールハウスの横の長細い穴に顔を突っ込んで下半身をふりふりしてる。 「はなーーー!」 汚れたらいやん。 おじさんは笑ってこの犬可愛いねー気に入ったよ、と言ってる。 ずぼおっ。花ちゃんが穴に突っ込んでいってしまった。消えた。 まじかよ。犬って穴に全身入るのか!!出てこい!出てこいはなーーーー!!! って騒いでたら花が出てきた。花が二匹も出てきた。 は?は?は?花が増えた?と思う程よく似てる。 おじさん笑
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く