俺はニートの時に「今の自分を肯定できたら一生もんの自己肯定感を得られるな」と思って過ごしてたら 2ヶ月目くらいの頃にふと何となく自分を肯定できる感覚に気づけたよ とはいえ今でも毎日辛いけど、でもその感覚が一回でも得られたことが支えになってる
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anond:20200726170112 これ書いてから anond:20200725210204 これを読んだ。キツすぎる。 自分が拠り所にしてた「私は有能だから私は凄い」がさらに良い形になっていたのに、最近はなぜか希死念慮おばけに取り憑かれてたんだけど、なんとなく理由が見えた。純化のしすぎだ。 「できないじゃなくてやらない、やってない」「だから私は何でも出来る有能」で、切り捨てちゃいけないところまでいつの間にか切っていたかもしれない。私が私であるために~なんて自分探しの旅に出たがるようなゆるふわワード言いたくないけど、そんな感じの、WindowsでいうところのCortanaを切り捨てていたのかもしれない。 どう考えても、私が有能じゃなかったら私は私がもっと嫌いだっただろうし、希死念慮も今どころじゃなかっただろう。根拠のない自己肯定なんてしたことがない。出来ないことリストに「根拠のない自
とくに人に誇れるような特技もないし、むしろ他の人に比べるとダメなとこばっかりいっぱい見つかって落ち込むこともたくさんあるんだけど。 おしゃれで凝った料理も作れなくてにんじんのきんぴらとかもやし炒めとか簡単で適当な料理ばっかり作ってるし 化粧も服もマジでわからんのでこれすごいかわいい!と思って買ったワンピース着て鏡見るとまあべつに可愛くないんだけど着てると気分いいし 自分は天才だとか魅力的とか思えないし自分の長所は?って言われてもあんまり思いつかないけど それでも自分のこと結構好きなんだよな 自分は最高!とか毎日楽しい!とか大好き!とかすごい!とか超偉い!とかそこまでの感じじゃないんだけど私は私のこと「結構好き」で「そんなに嫌いじゃない」んだよ 自分のことめちゃくちゃ好きでもないがめちゃくちゃ嫌いでもないよ これからも仲良くしていきたいなー自分と ここまで読んでくれてありがとう
実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんを食べていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。 それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲・結婚・離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。 10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。 いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしま
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