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人生と増田に関するstealthinuのブックマーク (55)

  • 旦那に趣味の登山をやめてもらう方法

    なんか配偶者の趣味関係をいじると炎上する気配があるけど真剣に悩んでいる。 登山はフィギアやゲームみたいに勝手にどうこう出来る類のモンでもないから困る。 旦那が数年前から運動不足を理由に登山を始めたら見事にハマってしまった。 最初は高尾山やら私でも知ってる低難易度の山を楽しんでたんだよ。 そこまでは良かったんだがなんかハマり方が異常でどんどん違う山を目指すようになった。 長期の休みが取れればどこかしらの山へ行くし家にいる時もずっと登山youtube見てるか神々の山嶺見返してる。 神々の山嶺に関しては紙の漫画と外でも読めるよう電子書籍でも購入してる。 別に独身なら楽しそうでいいねで済む話だが、旦那はと子供二人がいるパパでもあるんだよ。 まず長期休みの時にこちらの予定無視で登山ぶち込むの当に迷惑。 次は富山のどこだかの難易度が高い山に挑戦するらしく色々情報集めてるみたい。 なんかもう登山する

    旦那に趣味の登山をやめてもらう方法
    stealthinu
    stealthinu 2024/08/02
    これはなあ… 自分は子供うまれてからはBC行かなくなった。知人や身の回りで亡くなった人いたので。そういう懸念を正直に話すしかなかろう。
  • 死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ(追記あり)

    先日、が亡くなった。 ガンだった。ガンが見つかった時は既にかなり進行していたようで、医者から具体的なステージ名は告げられなかったが、余命3ヶ月を宣告された。 あらゆる治療を試みたが、彼女は治療開始から6ヶ月で亡くなってしまった。 治療中は全力で彼女のサポートをしていたので、音楽を楽しむ時間も心の余裕も無かった。 だが、葬儀や一連の手続きが済んだあと、ふと耳に入ってきた米津玄師のLemon。歌詞があまりに今の自分と符合していて、聴きながら号泣した。 勿論、以前からこの曲を何度も聴いたことはあったが正直そこまで深く歌詞を吟味したことはなく、何となくいい曲だなという印象しかなかったが、が亡くなって歌詞の感じ方が180度変わった。 そこでお願いします。 米津玄師のLemonのように、居なくなってしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてください。日語の歌詞だと助かります。 6/16 追記: 1

    死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ(追記あり)
    stealthinu
    stealthinu 2021/06/16
    「花は咲く」
  • 金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと

    地に足がつかない、とはこのことかと思った。 2月の終わり、寒い日のことであった。大学受験の二次試験前期日程の試験を終えた私は、試験会場の大学からバスに乗り、金沢駅のバスロータリーに降り立っていた。バスから降りた時、アスファルトがぐにゃんと歪んだような気がして、最初上手く歩けなかった。地に足がつかない、とはこのことかと思った。 二次試験は、よく解けたという気もするし、ダメだったという気もした。要するに何も分からず、前者であったと自分に言い聞かせるしかなかった。金沢駅の東口をとぼとぼと歩く。前期試験が終わった。そのことへの安堵と、もうこれで受験勉強をしなくていいかもしれないという期待は確かにあって、背中に羽が生えたような気分だった。 しかし、まだ合否は出ていない。もう動かせない結果は、どちらに転ぶか分からないのである。まだ何者にもなれていない、宙ぶらりんの状態は何とも居心地が悪かった。 バスか

    金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと
    stealthinu
    stealthinu 2021/02/03
    いいエッセイだった。去年受験で今年入学の人も辛かったろうが、今年の受験生も大変だろうな…
  • 妻が統合失調症になった

    昨年11月に統合失調症になった。 当時は統合失調症って若い人がなる病気だと思っていて、発症時は36歳だったので正直ショックが大きかった。 発端は昨年7月。「フェィスブックがハッキングされてる!」と大騒ぎしていたので、ログイン履歴を確認して、誰にもハッキングされてないことを説明していたが、どうも納得してくれていなかった。 そのやりとりが週に1回あり、次第に頻度が増えていた。後半はめんどくさくなって「心配しすぎ!されてないよ!」とだけ答えていた。 その時点で統合失調症の初期症状を疑うべきだったと今でも後悔している。 ハッキングの被害妄想だけではなく、ものすごく色々なことに敏感になっていた。自分のべるもの、着るもの何から何まで清潔じゃないと気が済まなくなったし、夜中にアパートの上の階の軽い物音がしたたけでイライラしていた。この時点ではコロナの影響によるストレスだと思っていたので、あまり心

    妻が統合失調症になった
    stealthinu
    stealthinu 2021/01/05
    統合失調症が発症した方の夫の記録。こんな感じに始まるのかということが勉強になった。いや、自分がなる可能性もあるわけだけども。早くに対処したほうが回復も早いらしい。
  • 亡くなった妻の思い出

    ・ヒートテックがブームになって品薄になったときに、どうしても買いたくなって二人で市内のユニクロを全部まわったけど見つからなくて車で一時間くらいかかるユニクロまで行ったけどやっぱりなかったこと ・Wiiが発売されたときに、オタク趣味が大嫌いなを説得して買うことを了承してもらったけど、品薄で二人で探したけど見つからない。でも、ふと寄ったおもちゃ屋でWiiを発見したら俺よりのほうが興奮してたこと ・ガソリンが高騰してマスコミで騒がれてGSに車の行列ができるような騒ぎになったときに「あそこのGSが安い!」とノリノリであちこちのGSを回って安いのを探してガソリンを無駄にしたこと

    亡くなった妻の思い出
    stealthinu
    stealthinu 2020/12/16
    なんというか、そんなに大したことじゃないことが記憶に残るのだよな…
  • 木村一基の不撓の闘い

    藤井聡太棋聖が瞬く間に二冠、そして八段となり、世間は大きく湧いている。 けれど、ここでは、番勝負で敗れた木村一基九段の話をさせてください。 悲願は実る将棋ファンをやっていて一番辛かった瞬間は、と問われれば、2016年の第57期王位戦七番勝負第7局を挙げる。このシリーズ、通算6回目のタイトル戦挑戦となった木村一基八段(当時)が、羽生善治王位を相手に3勝2敗と先行し、悲願の初タイトルに王手をかけていた。しかし、第6局、第7局と木村は連敗する。またしても、悲願の初タイトル獲得はならなかった。これで木村は、あと1つでタイトル、というところで8連敗を喫した。あと一つは、どこまでも遠い。 いつもは負けた後も気丈に振る舞う木村だが、この日は様子が違った。記者の質問に言葉が詰まる。言葉が、出ない。結局、言葉を発さないまま、木村は右手を小さく振って質問をさえぎった。8度目の正直。期するものはどれだけだったか

    木村一基の不撓の闘い
    stealthinu
    stealthinu 2020/08/21
    将棋に詳しくない自分でもこの王位戦の戦いがすごいものだったことがわかる名文。
  • 旅が終わる気がする

    私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。 事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから当に離れたかったのだなと気がつきました。 一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオからは空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。 これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。 電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有の匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパートの廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。 それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギ

    旅が終わる気がする
    stealthinu
    stealthinu 2020/07/01
    とてもよい文章だった。このまましあわせになって欲しいなあ、と思う。
  • (追記)城崎温泉に住む

    2年くらい前に城崎温泉に行って、なんて風情のある町なんだと感動した。日海側の深い雪を初めて体験したっていうのも大きかったかもしれないけど、やっぱり魅力的な町だったと思う。行けなかったけど海も近い。 いま何となく「城崎温泉 賃貸」で検索をかけてみたら、普通に月4.2万円で風呂トイレ別みたいな物件がガンガン出てくる。駅からもかなり近くて、なんなら旅行の時に歩いたあたりにある。玄関を出たらあの風情ある温泉街、ってことだ。 いま住んでるところは水道ネット含むとはいえ月5.8万、城崎の物件のほうが安いくらいだ。 仕事さえなけりゃ城崎に移り住むことは全然可能なのだ。あの非日常の場、思い出深い旅行先、いつかまた行きたいと憧れている素敵な街、をホームタウンにできるのだ。…仕事さえなんとかなれば。 ウオーーーーフリーターになって城崎に住もうかな!!クソみたいな賃金だしなんならフリーターの方がコスパ良い可能

    (追記)城崎温泉に住む
    stealthinu
    stealthinu 2020/06/27
    僕は白馬に住みたくて会社作って今も住んでますすが受注先が長野市内になってしまって通いのサラリーマンみたいになってしまってる。ままならないもんですな。/白馬は除雪がなきゃいいとこですよ。
  • 初恋の相手に会ってきた

    2019年の暮れはいつもと比べて少し特別だった。成人式以来12年ぶりに、中学時代の初恋の相手と会ったのだ。「同級生が来る」とだけ言われて誘われた、一体誰が来るかもよく分からない飲み会で、馴染みのない地元の居酒屋に行ったら、数名の女子の中に彼女がいた。 正直言うと、彼女が来る事を期待していないわけではなかったが、まさか当に来るとは思っておらず、僕はうろたえた。ぎこちなさを隠しながら、その場にいる全員に向かって「久しぶり」と声をかけた。返事は様々だったが、彼女がぎこちなく発した「久しぶり」という声しか私の耳には入らなかった。あの頃と同じ、少しくぐもったハスキーな声だった。 同級生を交えた会話ではあったものの、僕達は12年ぶりとは思えないほど自然に話せた。前に誰かから聞いたとおり、彼女は5年ほど前に結婚し、3歳の子どもがいるそうだ。写真も見せてもらった。彼女に似た大きな瞳の可愛い女の子だった。

    初恋の相手に会ってきた
    stealthinu
    stealthinu 2020/01/07
    『彼女は、僕と同じように、事あるごとにあの頃の事を思い出したりしていたのだろうか。僕は彼女にとってどんな存在なのだろうか。答えが何であれ、もう何もかも無意味だ。』最後よいな。
  • だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく..

    だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく。(ブコメだと書けないからね デザイナーといっても様々でジャンルの幅が広いが、どのジャンルでも基的な教養は重要。 CG造形をやりたいということであるが、高校で学ぶような基礎教養、一見無駄な知識と思えるものでも後々重要になる。要求されるものについての文化的な素養や知識があるのとないのとでは大違いである。後々苦労する。なので高校で学ぶ学問を軽視してはいけない。独学では視野が狭くなる。無駄と思える知識まで広げておく必要があるので寧ろ、高校時代は可能な限り学科はやっておくべし。私がいた頃は美校の試験学科の成績は実技と比して全然重視されていなかった(酷いものであった)が、試験勉強していないだけで教養がある学生は多かった。無駄なことまでアンテナを張って知的好奇心を養うことができるのは高校時代である。ちなみにその学科試験も昨今は重視す

    だいぶ前に藝大デザイン科を卒業し、同窓に任天堂がいるから回答しておく..
    stealthinu
    stealthinu 2019/11/28
    これはとてもとても良いアドバイスだな。ここではデザイナーの話だけども他の職種でも近いものはあると思う。教養って当時は見えてこないけど意外に後になって助けになってくる。
  • お母さんの自転車

    夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。 そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車の運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。 私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないからモスバーガーをべて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかにおかしくて反省した。 思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借

    お母さんの自転車
    stealthinu
    stealthinu 2019/09/26
    なんかうつくしい文章ですっと読めるのに、すごくかなしみというか、心情が伝わってくる感覚があった。
  • 忘れられない初恋の人の名前を検索した話

    もう10年以上も前の話。 中学三年生の私には好きな人がいた。 発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。 なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。 サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。 怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。 残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。 特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。 その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。 夏休み後

    忘れられない初恋の人の名前を検索した話
    stealthinu
    stealthinu 2019/09/09
    増田だからもっとぐんにょりする最後になると思ったのにすごい爽やかな読後感のお話だった。いいね。
  • 何がしたいのか分からないまま人生が終わった

    小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。ゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

    何がしたいのか分からないまま人生が終わった
    stealthinu
    stealthinu 2019/07/16
    『苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間。』他のブ米でも書かれてるけどここの表現とか秀逸。
  • 喪女が死にものぐるいで恋活してホステスになった

    誰かから好きになってもらえたことが 一度もなく、 22歳で、処女だった。 当に当に当に焦っていた。 この年齢で処女であることに当に焦っていた。 当時、大学4年生の22歳で処女だった。 17歳くらいから「実はこの間彼氏と…」という報告を友達からされるようになり、 22歳になるころには当たり前に女子会でセックスの話題になることが増えた。 自分だけが知らない話題が頻繁に出ることに疎外感を覚えた。 自分自身はクソブスのインキャだけど、 友達とか所属してるゼミとかサークルとかバイト先とかの人は可愛い子ばっかりで 自分の親しい子の中には一人も処女がいなかった。 「えっ!?まだしたことないの?」 「22歳で処女は重いよ、早く卒業しちゃいなよ」 「初めては大事にしなよ」 たくさんの人から色々な意見をもらった。 セックスを経験している同い年の子や後輩が、自分よりずっとずっと大人に見えた。 「彼氏とH

    喪女が死にものぐるいで恋活してホステスになった
    stealthinu
    stealthinu 2019/06/18
    とても良いエントリだった。異性とのコミュニケーションの仕方を学ぶところがない問題を最終的にはスナックでバイトすることが一番効果的だったと。
  • 今年外科には誰も入局者がいなかった

    嘘のような当の話だ。 俺は呼吸器外科を専門にしていて今年で医者19年目になる。 昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人の意見だから、外科の先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。 俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科をグルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。 でさ、悩ん

    今年外科には誰も入局者がいなかった
    stealthinu
    stealthinu 2018/07/02
    これは熱い。熱いよみものだった。医師にとって外科は花形(その他の科を指してマイナー科と出てるから実際そうなのだろう)と思ってたが実はあまり人気無いのか。
  • 精液検査を受けてきた話

    30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。 訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基的に番号で呼ばれる。 待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。 さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか、不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。 記入から5分も待たないうちに、奥の方から職

    精液検査を受けてきた話
    stealthinu
    stealthinu 2018/04/18
    自分はここ『メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚してショックを受けているのだった。これははてブの構造に極めて近いなと思った』が一番心に残った。さすがはてな村民。
  • 十年間、探していた同人誌の作者を見つけた。

    私が初めてコミケに行ったのは、高校二年生の夏休みだった。 その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをしてを履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。 人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。 早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。 当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。 他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。 取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~とい

    十年間、探していた同人誌の作者を見つけた。
    stealthinu
    stealthinu 2018/03/02
    ああ、いい話だった… 僕は絵かきではないけど、プログラムにしたってもしそんなふうに言ってもらえたら泣くだろうな。
  • クリスマスイブは骨壺と一緒に酒を飲む

    田舎から某帝大に合格し、東京に出て4年。一旦は東京の会社で勤めていた。 給料はとても高かったし、福利厚生も文句なしの超大企業。 しかし残業三昧だった。 残業代は出るとはいえ、何年も働いていると身体が疲れてきた。 人間関係は希薄で、家と会社の往復の日々。 遊ぶところには事欠かなかったし、東京は何事も最先端だったので楽しい部分もあった。 このまま東京に住み続けるのかな、と思っていた俺が田舎に帰った理由は笑ってくれてもいいが、家の犬だった。 大学に行くまで毎日散歩していて一緒に寝ていた俺の愛犬が、年を取り、もうよぼよぼになってあまり長くないと親から電話があったのだ。 次の休みで飛行機に飛び乗り帰ってくると、足がおぼつかない老犬がよろよろと迎えに出てきた。 けなげにしっぽをぱたぱたと振っていた。 母親が、いつもはずっと寝てるのに、迎えに出てくるなんて、と驚いていた。 なぜだか、年甲斐もなく泣きまく

    クリスマスイブは骨壺と一緒に酒を飲む
    stealthinu
    stealthinu 2017/12/25
    人によって大切なものは違う。特に犬やねことかは飼っている本人と他の人では全く意識がちがうものね。良い話だった。
  •  これを書いてから、早いものでもう九年が経った。 >でもきっと、まだま..

    これを書いてから、早いものでもう九年が経った。 >でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。 と当時書いた通り、驚くようなことがいろいろあった。長くなるけど、書く。 --- 北海道に戻って直後に開設していた、自分のホームページ。内容は、パソコン関係とタイ・インドの旅行記録だった。いわゆるテキストサイト。 その自サイトの掲示板(Teacup)にふらっとSF作家のOさんが現れて、常連になった。当時開設されたばかりのGoogle検索の性能の良さに二人で驚いたりした記憶がある(なにせそれまでのロボット型検索はノイズまみれで使い物にならなかったので)。 Oさんは、文章を褒めてくれた。 ネタ系の駄文とはいえ、褒められるのはうれしいものだ(この前、人にこの話をしてみたらすっかり忘れていて拍子抜けしたのだけども、まあ褒められたほうは覚えていても褒めたほうはそんなものなのだろう)。 で、こちらも試し

     これを書いてから、早いものでもう九年が経った。 >でもきっと、まだま..
    stealthinu
    stealthinu 2017/12/19
    これ読んで元の9年前の増田読むと、なんかこの増田(誰が書いてるのわかるのに増田と言っていいのかわからんが)の人生読んだみたいな気持ちになる。
  • 副業で風俗レポを連載していたのだが、

    諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。 🌑 お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ! 某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。 中国式マッサージ 60分¥6000 インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。 部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一

    副業で風俗レポを連載していたのだが、
    stealthinu
    stealthinu 2017/10/24
    トップブ米にあるように最初だけというか前半で読むのやめちゃダメなエントリ。これは十分文学だと思うんだけど。