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マンガと表現の自由に関するsteropeのブックマーク (2)

  • クジラックス氏の件でモヤモヤする - 最終防衛ライン3

    6月11日のクジラックス氏のツイート 先日、漫画アクションを買って家帰ってうどん先生の新連載を読んで「ふへええwwww」ってなってたら、その1時間後ぐらいにチャイムが鳴って玄関開けたらガチ警察の方2人が「クジラックスに用がある」って訪ねてきて「ほげええええwwwww」ってなる珍事件がありました。— クジラックス (@quzilaxxx) 2017年6月11日 内容は「報告と相談」といった感じでこちらとしては「即了解しました!」って感じで終わった要件なのですが、もしかしたらどっかで記事になるかもしれないしならないかもしれない。気をもませたらすみません!— クジラックス (@quzilaxxx) 2017年6月11日 違法アップロードサイトの僕の作品は警察の方からも削除依頼を出していくそうです。このツイートを見た違法アップロードサイトの運営者は大変面倒なことになる前に先に消しておきましょう。—

    クジラックス氏の件でモヤモヤする - 最終防衛ライン3
  • 『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記

    表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純

    『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記
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