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2020年2月5日のブックマーク (7件)

  • ローリングストーン誌が発売当初に酷評した名アルバム10選 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    レッド・ツェッペリンのデビューアルバムからニルヴァーナの『ネヴァーマインド』まで、ローリングストーン誌の批評が歴史的な評価と一致しなかった10枚を紹介する。 音楽評論家という職業は、決して楽なものではない。時にはニューアルバムを十分に聴き込む時間のないままに全体像を把握し、後世まで残ってしまう可能性のあるレビューを書かねばならない。しかし中には、何度も何度も聴き込んで初めて、真価が明らかになるアルバムもある。例えば、何の予備知識もないままにAC/DCやラモーンズを聴いたとする。すると彼らの音楽は滑稽で幼稚に感じると思う。後になって当のバンドを崇拝するようになるとしても、第一印象は決して忘れないだろう。ローリングストーン誌では、1967年の創刊号からアルバムのレビューを続けてきた。何千、何万とレビューする中で、我々が酷評したアルバムが後に人気の名盤となることも少なくなかった。以下に、最も悪名

    ローリングストーン誌が発売当初に酷評した名アルバム10選 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
    stonedlove
    stonedlove 2020/02/05
    音楽批評批評。必要だよねこういうの。
  • J Hus | ele-king

  • 衝撃の実話!レイシストとして生きてきた若者の苦悩と贖罪を描く-2019年アカデミー短編賞受賞作の長編映画化-ジェイミー・ベル主演『SKIN/スキン』! - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン

    2019年アカデミー賞で短編映画賞を受賞した短編をもとに制作された長編映画『SKIN/スキン』が5月9日(土)より新宿シネマカリテほかにて全国順次ロードショー公開となります。 作は白人至上主義者として生きてきたレイシストが過去と決別し、生まれ変わろうとした衝撃の実話の映画化。 © 2019 SF Film, LLC. All Rights Reserved. その長編製作のためのツールとして作られた短編は見事2019年アカデミー賞の短編作品賞を受賞しました。監督によれば当初は企画の説明をしても誰もが「アメリカに白人至上主義の団体はない、それは過去の話だ」との反応を示していたそうですが、製作途中の2017年にトランプ大統領が誕生したことで状況は一変したとのことです。 白人至上主義者として生きてきた男の、過去との決別。 人は、生まれ変わることができるのか。スキンヘッドに差別主義者を象徴する無

    衝撃の実話!レイシストとして生きてきた若者の苦悩と贖罪を描く-2019年アカデミー短編賞受賞作の長編映画化-ジェイミー・ベル主演『SKIN/スキン』! - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン
  • 日本ジャズ史最大のヒップスター・守安祥太郎【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.7 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする! 戦後のある時期までダンスミュージックだった日のジャズをほとんど単身で「モダン化」したひとりのピアニストがいた。共演したミュージシャンの誰もがまごうかたなき天才と語るその男の演奏が今日聴けるのは、モカンボ・セッションの録音のみである。わずか8年の活動期間に日のジャズシーンに鮮烈な印象を刻んで去っていった伝説のヒップスター。その功績を関係者の証言から辿る。 物のジャズをやっていたのは守安だけ 日に来ていろいろなミュージシャンを聴いたが、あらゆる楽器を通じての第一人者は守安祥太郎だ。俺にはあの男が怖ろしい──。 のちにさまざまな文献に引用されることにな

    日本ジャズ史最大のヒップスター・守安祥太郎【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.7 | ARBAN
  • みんなクスリが好きだった─ 日本のジャズとドラッグ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.9 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 芸能人やミュージシャンの薬物使用が逐一ビッグ・ニュースになる現代から見て、戦後のジャズ・シーンは別世界だったと言っていいかもしれない。誰もが当たり前のようにドラッグを使用し、しかも逮捕されることは稀だった。戦後の混乱期、ジャズ・ミュージシャンたちはドラッグをどう受容していたのだろうか。また、なぜジャズにドラッグが必要だったのだろうか──。ジャズとドラッグ・カルチャーの関係を掘り下げていく。 ヘロインはダメ、ヒロポンはOK 戦後の横浜を舞台にした黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)には、山崎努が演じる研修医が、誘拐の共犯者をヘロインの過剰投与で殺害

    みんなクスリが好きだった─ 日本のジャズとドラッグ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.9 | ARBAN
  • ウルトラシリーズの脚本家・上原正三は「在日琉球人」として本土で生き抜いた - 石川智也|論座アーカイブ

    ウルトラシリーズの脚家・上原正三は「在日琉球人」として土で生き抜いた 代表作『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」。マイノリティー迫害を描く 石川智也 朝日新聞記者 「ウルトラマン。籍地、沖縄。やはり、私は、こう記入したい」 初期ウルトラシリーズの監督、実相寺昭雄は、著書にそんな言葉を残している。 1966年~72年に放映された『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』の作品世界は、じっさいのところ、沖縄と日、米国の関係を色濃く映していた。 この3作品に参加した数多くのシナリオライターのなかで、基設定と物語の骨格を作り上げ、脚全体を統括するメインライターを務めたのは、金城哲夫と上原正三というふたりの沖縄人だった。 その上原正三さんが1月2日、82歳で世を去った。早逝した盟友・金城の思いを引き継ぎつつ、「在日琉球人」として土で生き抜いた半世紀だった。

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