タグ

ブックマーク / www.arban-mag.com (25)

  • 【ジョージ・クリントン】ジャズ・フェスに降臨したファンク界の異形の王─ライブ盤で聴くモントルー Vol.40 | ARBAN

    「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。 2018年、ジョージ・クリントンはライブ・ツアーからの引退を表明した。ブラック・ミュージックの可能性を大きく広げたPファンク軍団を率いておよそ半世紀。その間、何枚かのライブ・アルバムが発売されてきた。2004年のモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージを記録したライブ盤もその一つである。2000年代バージョンのPファンクの音楽の記録を紹介しながら、ブラック・ミュージックの可能性を大きく広げたファンク集団の歴史と功績を振

    【ジョージ・クリントン】ジャズ・フェスに降臨したファンク界の異形の王─ライブ盤で聴くモントルー Vol.40 | ARBAN
  • ビル・エヴァンスはユダヤ人か、あるいはユダヤ人とは誰か【ヒップの誕生】Vol.43 | ARBAN

    ジャズのプレーヤーの中で、黒人に次いで多いのがユダヤ人であるとされる。その枠をコンポーザーやプロデューサー、あるいはレコード会社や音楽出版会社の経営者にまで広げれば、ジャズに関わってきたユダヤ人の数はさらに倍することになる。しかし、多くの日人にとってユダヤ人は決して身近な存在ではないし、ジャズにおける「ユダヤ性」が語られる機会も多くはない。「ジャズと黒人」というテーマに比べて光があてられることが圧倒的に少ない「ジャズとユダヤ人」という陰のテーマ──。連載「ヒップの誕生」の最終章では、このテーマを数回にわたって掘り下げていく。 黒人と白人が協力してつくり上げた音楽 ジャズは黒人音楽か?──。この問いは、「ゴスペルは黒人音楽か?」「ブルースは黒人音楽か?」「R&Bは黒人音楽か?」「ファンクは黒人音楽か?」「ロックンロールは黒人音楽か?」「ラップは黒人音楽か?」といった問いに比べて、答えるのが

    ビル・エヴァンスはユダヤ人か、あるいはユダヤ人とは誰か【ヒップの誕生】Vol.43 | ARBAN
  • ゴム、シンゲリ、アマピアノ… 要注目の「最新音楽ジャンル」たち | ARBAN

    30年以上も前に作られた日の「シティポップ」が近年、まるで新しい音楽ジャンルであるかのように世界中で注目されている。そうした “局地的な音楽ジャンル”が突如、世界的に認知されることはいまや珍しくない。日産の音楽やアニメと繋がりの深い「ヴェイパーウェイヴ」や「フューチャーファンク」、「ローファイ・ヒップホップ」といった新興ムーブメントも同様。その背景にあるのはインターネットである。 こうした “ネットありき” のムーブメントは、いまも続々と新たな音楽カテゴリを生み出している。また、ネット依存度は低くとも、認知拡大中のユニークな音楽ムーブメントも多数。そんな「注目すべき新ジャンル」を、音源とともに紹介しよう。 Gqom(ゴム) 南アフリカで誕生し、いま世界的に注目されつつあるのがゴム(Gqom)。2010年ごろに南アフリカ共和国のダーバンで生まれ、数年前に欧州経由で世界中に拡散したエレクト

    ゴム、シンゲリ、アマピアノ… 要注目の「最新音楽ジャンル」たち | ARBAN
  • 上演禁止曲「奇妙な果実」をめぐる物語─映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』 | ARBAN

    投稿日 : 2022.02.12 更新日 : 2023.03.07 上演禁止曲「奇妙な果実」をめぐる物語─映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』 © 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC. アメリカが怖れた「自由」 9.11のテロが起こった時、アメリカの放送局の多くが、「イマジン」を放送自粛のリストに入れた。たったひとつの曲が社会で大きな力を持つことを、ポップ・カルチャーを生み出してきたアメリカは知っているのだ。 そんななかで、「イマジン」に先駆けて社会を揺るがせる強烈なメッセージを持った名曲が「奇妙な果実」だ。黒人差別がおおっぴらに行われていた1940年代のアメリカ。ジャズの女王、ビリー・ホリデイはリンチにあって木に吊るされた黒人を「奇妙な果実」に例えて歌った。それがいかに衝撃的なことだったのか。映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリ

    上演禁止曲「奇妙な果実」をめぐる物語─映画『ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』 | ARBAN
  • アート・ブレイキー初来日公演の秘蔵音源が奇跡の発掘! 録音テープ発見者が語った “謎解きの苦難と興奮” | ARBAN

    Home ニュース アート・ブレイキー初来日公演の秘蔵音源が奇跡の発掘! 録音テープ発見者が語った “謎解きの苦難と興奮” 邦ジャズ文化が急展開した大事件 2016年の春、東京都内の個人宅でそれは「発見」された。古ぼけた箱に収められた正体不明の録音テープ。その内容はジャズミュージシャンのアート・ブレイキーによる演奏で、彼のグループが1961年に初来日ツアーを行った際に録られたものだった。 この音源が先日ついに、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ 『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー』として正式リリースされ、世界中のジャズファンに衝撃を与えた。作をパッケージ化したのはジャズ界屈指の大ブランド、ブルーノート。レーベルの代表を務めるドン・ウォズはこうコメントする。 「このレコーディングの発売は私たちすべてにとって大きな誇りである。もっとも素晴らしい陣容のひとつだったときの、輝

    アート・ブレイキー初来日公演の秘蔵音源が奇跡の発掘! 録音テープ発見者が語った “謎解きの苦難と興奮” | ARBAN
  • 美空ひばりと〈あきれたぼういず〉─日本初のコミック・バンドと天才シンガーの知られざる関係【ヒップの誕生】Vol.25 | ARBAN

    父の音楽趣味に影響され、横浜の下町の人々を観客として歌うことの喜びを得た幼い日の美空ひばりだったが、11歳の頃に「私のたった一人の先生」とひばりが呼ぶ人物と出会うことになる。戦前に一世を風靡した〈あきれたぼういず〉の中心メンバーであった川田晴久である。川田とひばりの出会いによって、日の大衆歌の命脈は戦前から戦後に引き継がれたと見ることも可能だ。その二人は、日がまだ占領下にあった1950年にアメリカに渡ったのだった。「ヒップの誕生・美空ひばり編」第2弾をお届けする。 第1弾はコチラ 日で最初の格的コミック・バンド 特定の音楽家に師事することなく、横浜のはずれの下町の人々の前で歌うことによって歌い手としての地歩を築いた美空ひばりだったが、彼女が唯一「師匠」と呼んだ人物がいる。戦前に活躍した〈あきれたぼういず〉のメンバーであり、ギター浪曲の生みの親であった川田晴久である。戦前は川田義雄

    美空ひばりと〈あきれたぼういず〉─日本初のコミック・バンドと天才シンガーの知られざる関係【ヒップの誕生】Vol.25 | ARBAN
  • 『モカンボ・セッション』が残したメッセージとは? 【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.6 | ARBAN

    占領が終わって間もない時期に、横浜の雑居ビルの地下で行われた一大ジャム・セッション。一人の学生が手掛けたその日の録音は、日のジャズ史における極めて貴重な歴史的資料となった。それはまた、ジャズが最もヒップだった時代の記録でもある。伝説の「モカンボ・セッション」の意味を改めて問う。(前編はコチラ) あれは「歴史的録音」ではない 横浜・伊勢佐木町の『モカンボ』でセッションが続いていた10時間の間、岩味潔はテープレコーダーを操作し続けていた、しかし、録音自体がずっと続いていたわけではない。 モカンボ・セッションの貴重な写真。 「テープは5時間ぶんくらいしかなかったので、司会のハナちゃんの話は省いて、演奏だけを録りました。でも曲が終わった直後にすぐ次の曲が始まったりして、もたもたしているうちに録り損ねたり、失敗して途中で止めてしまったりすることが何度もありました」 結果、一部途中で途切れているもの

    『モカンボ・セッション』が残したメッセージとは? 【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.6 | ARBAN
  • 1954年、あの夜の『モカンボ』の真実【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.5 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする! アメリカにおけるモダン・ジャズ=ビバップの最初の記録は、ニューヨークのミントンズ・プレイハウスでのライブ『The Harlem Jazz Scene──1941』であるとされている。『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』としてよく知られている作品だ。では、わが国においてモダン・ジャズはいつ頃から始まったのだろうか。戦後日におけるモダン・ジャズ黎明期の「真実」を探る。 夜を徹して続いた一大ジャム・セッション JR関内駅から歩いて10分ほど。伊勢佐木町通り、現在は「イセザキ・モール」という名で呼ばれる街路に面したビルの地下にその店はあった。4階建ての

    1954年、あの夜の『モカンボ』の真実【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.5 | ARBAN
  • ジャズとプロレス ─米軍キャンプ発の二大エンターテイメント【ヒップの誕生】Vol.22 | ARBAN

    ジャズは日でも戦前から演奏されていたが、その「モダン化」は米軍キャンプや米兵クラブに出入りしていたミュージシャンによって推進された。同様に、米軍キャンプから始まったもう一つのエンターテイメントがあった。その業界の立ち上げに力を発揮したのが、戦後興行界の大物であった永田貞雄、そしてヤクザだった。ヤクザと興行の関係。その一面を探る。 戦後日初のプロレス興行 この連載で、日におけるモダン・ジャズの始まりをおおよそ1954年としているのは、この年の7月に、横浜・伊勢佐木町のジャズ・クラブ〈モカンボ〉でビバップの一大セッションが行われ、それが音源として残されていることを根拠としている。同じ頃、ジャズ同様にアメリカからもたらされ、のちに数多くのファンを獲得することになるエンターテイメントが日でスタートしていた。プロレスである。 戦後の日で最初のプロレス興行が行われたのは、占領期の1951年9

    ジャズとプロレス ─米軍キャンプ発の二大エンターテイメント【ヒップの誕生】Vol.22 | ARBAN
  • 驚異の中学生バンド snack time─ジャズの要地・北海道で活動中 | ARBAN

    北海道の中学生バンドが、いまSNSを通じて注目を集めている。 snack time(スナック・タイム)と称するこのバンドは、2019年5月に結成。メンバーは村越葵(サックス)、村越蓮(トランペット)、山口陽大(キーボード)、藤野桐士(ドラム)の4名。全員が北海道在住の中学生だ。 バンド結成後の彼らはすぐに、地元の音楽イベントやコンクールなどで頭角を現し、2020年8月のサッポロ・シティ・ジャズ『PARK JAZZ LIVE CONTEST ON WEB』で特別賞を受賞した。そのときの様子がこの映像。 演奏曲は、ELECTROCUTICAによる楽曲「Chaining Intention」。この動画は、彼らの公式youtubeチャンネルにて公開されているが、中学生とは思えない技量に、驚きと称賛の声が多数寄せられている。 ちなみに彼らは全員、札幌ジュニアジャズスクール(石若駿や寺久保エレナらを輩

    驚異の中学生バンド snack time─ジャズの要地・北海道で活動中 | ARBAN
  • 戦後エンターテイメントの「二卵性双生児」─モダン・ジャズ界と芸能界、その宿命的関係【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.18 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 「芸能」の歴史は古代までさかのぼるが、私たちが知る「芸能界」が生まれたのは戦後になってからである。モダン・ジャズ同様、それは進駐軍クラブを母体に生まれ、戦後の経済発展とともに成長していった。モダン・ジャズ界と芸能界。その二つの業界は、出自を同じくする「二卵性双生児」のような関係にある。戦後の混沌の中から生まれたエンターテイメントの二つの潮流の成り立ちをあらためて整理する。 半世紀以上のときを経ての共演 渡辺貞夫が〈クレージーキャッツ〉の犬塚弘に「ぼくと一緒にやらないか?」と声をかけたのは2010年のことである。きっかけは、映画『ふたたび swing

    戦後エンターテイメントの「二卵性双生児」─モダン・ジャズ界と芸能界、その宿命的関係【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.18 | ARBAN
  • 秘められた「フランス的なもの」──菊地成孔が語るジャズのエロスの起源【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.13 | ARBAN

  • 誰がジャズにアイビーを持ち込んだのか─ モダン・ジャズのファッションの起源【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.14 | ARBAN

    戦後アメリカで初めて誕生した若者向けファッションのムーブメントは、それほど時を置かずに日でも知られることになり、一大ブームを巻き起こした。その新しいファッション──アイビー・ルックを日人に教えたのは、モダン・ジャズのレコード・ジャケットだった。では、ジャズの世界にアイビー・スタイルを持ち込んだのは果して誰だったのか。50年代の日米におけるジャズとファッションの関係を探る。 サラリーマンの月収に相当したスーツの価格 「初期のジャズ・ミュージシャンたちの多くは服装に凝っていた。ぱりっとした服装はそのまま成熟と成功を意味していた。おかげでジャズマンたちの収入のかなりの部分がワードローブの充実のために費やされることになった。何人かのミュージシャンたちは着こなしがあまりに見事だったので、ファッションの流行に影響を及ぼしさえした」(『ジャズ・アネクドーツ』ビル・クロウ著/村上春樹訳) アメリカでは

    誰がジャズにアイビーを持ち込んだのか─ モダン・ジャズのファッションの起源【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.14 | ARBAN
  • クスリと音楽をめぐる幻想と真実─マイルスが見たヘロイン地獄【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.10 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 1940年代から50年代のニューヨークの音楽シーンには、ドラッグ、とりわけヘロインが隅々まで蔓延していた。ジャズ・ミュージシャンの多くがヘロインにのめり込んでいったのは、たんに「そこにヘロインがあったから」だけではない。なぜ、彼らはヘロインを必要としたのだろうか。音楽とドラッグの結びつきの質を、当時のニューヨークのジャズ・シーンに探る。 音楽シーンはヘロインだらけ 「パリから戻ってきてから、ハーレムをうろつきまわるようになった。音楽シーンの周りはクスリだらけで、たくさんのミュージシャンが、特にヘロインにどっぷり漬かっていた。ヘロインを打つのがヒップ

    クスリと音楽をめぐる幻想と真実─マイルスが見たヘロイン地獄【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.10 | ARBAN
  • 娼館が育てた音楽──セックスと退廃のBGMとしてのジャズ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.12 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 「ロックンロール」という言葉は、かなり率直に性行為を表現したものであると言われている。「ロック」して「ロール」するというそのニュアンスを理解しない人はいないだろう。「ジャズ」もまた、その始まりは性に深く結びついていた。ジャズという音楽はどんな場所から育っていったのか。ニューオリンズと横浜における「ジャズとセックス」の歴史を紐解く。 セックスと深く結びついたジャズの語源 「Jazz」という言葉の由来には諸説あって定説はない。由来とされる語源の多くには性的な意味合いがあって、性行為の隠語である「jass」、精液や射精を意味する「jism」、尻の意の「as

    娼館が育てた音楽──セックスと退廃のBGMとしてのジャズ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.12 | ARBAN
  • ドラッグを生きた男たちの証言─チャーリー・パーカーと石丸元章【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.11 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! ジャズとドラッグの関係を考察する際に最も困難なのは、ドラッグがもたらす効用を実際に体験してみるわけにはいかないということだ。ドラッグと音楽が常に結びついてきたのはなぜなのか。ドラッグが人のインスピレーションを増幅させるというのは当なのか。それを明らかにするには、ドラッグに深く耽溺した経験のある人の言葉に耳を傾けるほかはない。人生の半分以上をヘロインとともに生きたビバップの創始者、チャーリー・パーカーと、ハードな覚醒剤経験の語り部である文筆家の石丸元章。二人の発言にドラッグの真実を探る。 覚醒剤を感じさせる音楽 「覚醒剤を感じさせる音楽ってあるんです

    ドラッグを生きた男たちの証言─チャーリー・パーカーと石丸元章【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.11 | ARBAN
  • 日本ジャズ史最大のヒップスター・守安祥太郎【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.7 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする! 戦後のある時期までダンスミュージックだった日のジャズをほとんど単身で「モダン化」したひとりのピアニストがいた。共演したミュージシャンの誰もがまごうかたなき天才と語るその男の演奏が今日聴けるのは、モカンボ・セッションの録音のみである。わずか8年の活動期間に日のジャズシーンに鮮烈な印象を刻んで去っていった伝説のヒップスター。その功績を関係者の証言から辿る。 物のジャズをやっていたのは守安だけ 日に来ていろいろなミュージシャンを聴いたが、あらゆる楽器を通じての第一人者は守安祥太郎だ。俺にはあの男が怖ろしい──。 のちにさまざまな文献に引用されることにな

    日本ジャズ史最大のヒップスター・守安祥太郎【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.7 | ARBAN
  • みんなクスリが好きだった─ 日本のジャズとドラッグ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.9 | ARBAN

    戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 芸能人やミュージシャンの薬物使用が逐一ビッグ・ニュースになる現代から見て、戦後のジャズ・シーンは別世界だったと言っていいかもしれない。誰もが当たり前のようにドラッグを使用し、しかも逮捕されることは稀だった。戦後の混乱期、ジャズ・ミュージシャンたちはドラッグをどう受容していたのだろうか。また、なぜジャズにドラッグが必要だったのだろうか──。ジャズとドラッグ・カルチャーの関係を掘り下げていく。 ヘロインはダメ、ヒロポンはOK 戦後の横浜を舞台にした黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)には、山崎努が演じる研修医が、誘拐の共犯者をヘロインの過剰投与で殺害

    みんなクスリが好きだった─ 日本のジャズとドラッグ【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.9 | ARBAN
  • 【特集】ブラジル音楽の「現在」 | ARBAN

    世界中の音楽ファンやミュージシャンたちを虜にするブラジル音楽は、いま、どうなっているのか? 特集では、キーパーソンのインタビューや最新音源などを紹介しつつ、「ブラジル音楽歴史」そして「新たなブラジル音楽の胎動」に迫りたい。 2017年11月22日の特集記事を再掲

    【特集】ブラジル音楽の「現在」 | ARBAN
  • 戦争が生んだ「Vディスク」という宝箱(後編)【ヒップの誕生】Vol.2 | ARBAN

    横浜の小さなジャズ喫茶に残されたVディスク。その音に必死に耳を傾けたのが、当時の若いジャズ・ミュージシャンたちだった。そこから戦後の日のジャズは勃興していくことになる。Vディスクと日の戦後のジャズをめぐる物語。その後編をお届けする。 (前編はこちら) 「命がけ」でレコードを聴いていた Vディスクから戦後のジャズが生まれた──。やや大げさな物言いだが、事実のある側面を表していることは確かだ。 戦後、ジャズ喫茶ちぐさのマスター、吉田衛は、1000枚のレコードと電気蓄音機をもってジャズ喫茶の営業を再開した。当時決して安くはなかったはずの蓄音機やレコード針を吉田がどのようにして手に入れたかはわからない。今後関係者の証言を得たいところだが、いずれにしてもちぐさは敗戦後の窮乏期にあって音楽を楽しめる数少ない場所であった。音楽に飢えた人たちは、それらのレコードを聴くためにちぐさに参集した。 店にはジ

    戦争が生んだ「Vディスク」という宝箱(後編)【ヒップの誕生】Vol.2 | ARBAN