広島県安芸高田市甲田町出身で、里山里海の原風景を描き続けた画家平野清さん(1980年に64歳で死去)の作品展が、吉田町の市民文化センターで開かれている。古里を拠点に全国を旅した孤高の画人で、自然の息遣いや暮らしの営みを油絵に込めた。平野さんに師事した地元の同門会が画集発刊25周年を記念して企画した。17日まで。無料。
広島県安芸高田市甲田町出身で、里山里海の原風景を描き続けた画家平野清さん(1980年に64歳で死去)の作品展が、吉田町の市民文化センターで開かれている。古里を拠点に全国を旅した孤高の画人で、自然の息遣いや暮らしの営みを油絵に込めた。平野さんに師事した地元の同門会が画集発刊25周年を記念して企画した。17日まで。無料。
「君は広島で何も見ていない、何も」。原爆に家族を奪われた日本人の男の言葉に、フランス人の女が言い返す。「いいえ、全てを見たわ」。復興途上の広島を舞台にした日仏合作映画「ヒロシマ・モナムール」は、そんなせりふで始まる▲俳優の女は病院で被爆者に接し、原爆資料館にも足を運ぶ。それでも、被爆の惨苦にどれほど近づけたと言えるのか―。作品に込めた、名匠アラン・レネ監督の問いかけが伝わってくる▲広島サミットに集ったG7や招待国の首脳は皆、原爆資料館を訪ねた。ウクライナから飛び入りのゼレンスキー大統領も。G7首脳が見たのは、ふるい分けされた展示物だという。閃光(せんこう)を浴びた人々の写真は並んだのだろうか▲どうやら米国の注文らしい。「これは見る。あれは駄目」と口を出し、取材不可にもこだわった。「核のボタン」を預かっているバイデン大統領に迷いが生じるのを周りが嫌ったようだ▲裏返せば、折り紙が付いたといえよ
先進7カ国首脳会議(G7サミット)がまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」を巡り、カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(91)が20日、帰郷中の広島市で中国新聞のインタビューに応じた。「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と批判した。 サーローさんは帰国前から、サミットに関与する市民社会のグループによる政策提言に注目。核兵器禁止条約の締約国との協働などを求める内容だったが、「岸田文雄首相は提言書を直接受け取ったのに、広島ビジョンでは全く無視されている。市民の声を聞いていない」と憤った。 人間として原爆資料館の展示遺品や原爆慰霊碑と向き合うよう訴えてきた、G7首脳の平和記念公園(中区)訪問も疑問視。「文書の文言から首脳の鼓動も体温も感じない。あの場で何を見て、感じたのかを一切非公表とし、広島に来た意義はあったと言えるのか」と話した。 核
相生橋を背に「あの日」見た光景を証言する蔵田淑子さん。「人の気配は なく『原爆のにおい』としか言えない、においが満ちていました」 原爆投下の翌日、ドームそばの相生橋で米兵捕虜が電柱に吊(つ る)されていた―。「原爆秘話」の一つである。逃げるところを市 民につかまり、なぶり殺されたらしい…。口伝えで語り継がれるう ちに尾ひれもつき、また、それをまことしやかに話す人がいる。 米軍は長い間、自国の兵士がキノコ雲の下にいたことを否定して いたが、一九八三年に「陸軍八人と海軍二人の捕虜が原爆で犠牲に なった」と公式に認めた。が、実数を含めてなぞは多い。市が七一 年編さんした『広島原爆戦災誌』には「被爆直後、死体処理前に、 相生橋東詰め北側の電柱の柱の下に、アメリカ兵の捕虜が死んでい たが…」と、簡単な記述が残るだけだ。 電柱に針金でくくる 「ええ、若い兵隊さんが電柱の根元に
「支援物資宅配」知って 東広島市、HPなどで周知 コロナ自宅療養者・濃厚接触者が対象 (2/18) 新型コロナウイルスによる自宅療養者・待機者の増加を受け、東広島市は、食料や消毒液などの支援物資を自...
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く