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  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 4/5 - 森の奥へ

    * 『震災通信』後記1/5~『震災通信』後記3/5の記事は、阪神淡路大震災から10年近く経った2004年11月10日発行の同人誌に掲載したものです。今日は2021年3月12日。『震災通信』を書いてから、さらに16年あまりが過ぎました。 その間に、大きな被害をもたらした地震だけでも 2011年3月11日東日大震災最大震度7、死者・行方不明者約2万2000人 2016年4月14日熊地震前震、最大震度7 2016年4月16日熊地震震、最大震度7、前震を含めて死者273人 2018年9月6日北海道胆振東部地震、最大震度7、死者42人 2021年2月13日福島県沖地震、最大震度6強、死者1人 などが、この国を襲いました。 つい先日起きた2021年2月13日の福島県沖地震は、東日大震災の余震だと言います。日の観測史上最大規模の東日大震災はいまだに活動を終えていないということです。なんと不

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    sufuretan 2021/03/12
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5 - 森の奥へ

    * 白米一キログラム、米麹五〇〇グラム、ドライイースト小さじ半分くらい。 これらの材料から、「おいしい甘酒」約三リットルを作ります。蒸したお米に麹とドライイーストを混ぜて水を二リットル強加え、二日くらい置くと甘酒状になります。さらに寝かせると一週間ほどで「意に反してアルコール度が15%以上になり、たいへんおいしいどぶろくが出来てしまうかもしれません。すぐに廃棄しなくてはいけません。おなかの中に廃棄してもいけません。大切なことですので絶対に注意してくださいね」。 これは濁酒さんのHPからの引用です。廃棄しないといけない理由は、「アルコール度が1%を越えると酒税法違反」になるからです。ちなみに、生イーストを使うと、大変辛口の「おいしい甘酒」に仕上がるとのこと。 もし、あの大震災に遭わなかったら……、十年前に交わしていた濁酒さんとのメールのやりとりはその後も平和裡に続けられ、そのうち僕は「おいし

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    sufuretan 2021/03/11
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 1/5 - 森の奥へ

    わたしは阪神淡路大震災の翌春、大阪文学学校という文章教室に通い始めることにしました。そこには、文章について学ぶというより、小説について語り合える仲間たちと、時間と空間とを共有できる面白さがありました。もちろん、お酒を飲みながらそれを味わうこともできました、、、(^_^) その教室に2年通い、知り合った仲間たちと小説同人誌を作るようになりました。1997年4月から2008年8月までの間に、3つの同人誌・28冊の発行に関わりました。小学生の頃から書くことが大好きでしたが、それが生活の一部になったのは、震災がきっかけでした。今回、ブログに連載した『震災通信』は、2004年11月10日発行の同人誌に掲載した作品です。 ですので、以下は、2004年11月の視点で書いた文章です。そのまま再掲していますので、時系列的に読みづらい部分もあるかと思いますが、どうぞご容赦くださいますように。 * 震災からやが

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    sufuretan 2021/03/09
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***51日目(3月8日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日から51日目、平成7年3月8日水曜日、わたしは結核性胸膜炎で国立神戸病院(現・神戸医療センター)の結核病棟に入院することになりました。入院生活は約二か月続きました。 松任谷由実の『春よ、来い』。この歌を聴いて、春が来る日を信じました。 * 結核病棟。 この言葉はの中でしか知りませんでした。けれど、結核という病気は撲滅されたわけではありませんし、決して軽い病気でもありません。 Wikipediaによると、「世界保健機関 (WHO) によると、結核はHIVの次に死者の多い感染症」であり、「厚生労働省は『結核は過去の病気ではない』というスローガンで」、「注意を喚起している。日での2010年の新規登録患者数は23,261人、罹患率は人口10万人対18.2、結核死亡者数は2

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    sufuretan 2021/03/08
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***50日目(3月7日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日からちょうど50日目です。長いお付き合いありがとうございました。日記編はこの日で終わります。 3月7日(火) 母からの電話で目が覚める。しばらく声が出せなかった。あまりに息苦しく、胸が痛い。身体を動かすと、胸膜に溜まった水が、右の肺の表面を押しながらゴロリと流れる感触がはっきりと自覚できる。 兵庫区役所を訪ね、K芝先生(※来の職場の同僚、先輩)に入院することになった旨を告げる。他の庁からの応援職員や区役所の課長、A田さん(※区役所で一番親しく思っていた先輩職員)らには区役所に戻ってこられなくなったことだけを伝え、今までお世話になった礼を言う。 その後、南蛮美術館(※わたしの来の職場)に行く。美術館職員の事務長さん、M田さん、Y村さん、館長さんに挨拶する。あやまっ

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    sufuretan 2021/03/07
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***49日目(3月6日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から49日目です。入院することになりました。 3月6日(月) 早朝、息苦しくて目が覚める。胸に激痛が走り、それから眠れない。右の肺の上に重い何かの塊が乗っている感じがする。 区役所に今日から交代してもらったK芝先生を訪ね、その後、美術館に連絡をとる。仕事を休んで、国立病院を受診することにした。 名谷(※須磨区)の国立神戸病院(※現・神戸医療センター)には1年前にA型肝炎で1カ月入院した。偶然、去年と同じ外来の先生に診てもらった。 レントゲン写真を見るやいなや、先生から入院せよとの宣告。肺に水がたまっているらしい。結核性だと説明された。レントゲン写真では、明らかに右の肺の方が小さく萎んで見えた。地震よりショックが大きい。 入院すれば、電気・ガス・水道・事など、一切を気に

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    sufuretan 2021/03/06
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***48日目(3月5日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から48日目です。今も時折り思い出す苦い日です。この日が区役所応援最後の日になりました。 3月5日(日) 今日の被災家屋再調査のペアは市土木局のK場さん。鵯越の独身寮に住んでいるという。 最初は天井の板がごっそり抜け落ちた家を調査する。一見するとひどい被害のようだが、他はどこも傷んでいない。おやじさんは大工さんだが、怪我をして現在失業中とのこと。年配の気のよさそうなおばあちゃんが、あまりに辛そうに話されるので、何とかできないかとも思ったが、結局、一部損壊の判定で納得してもらう。多少例外をつくってもよかったんじゃないか、少し厳しかったかと気になって仕方ない。 熊野町のヤンキー風のにいちゃん、いきなり文句を言い始める。家の中を見せて頂きますから、と何度もくり返し言うとようや

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    sufuretan 2021/03/05
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***47日目(3月4日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から47日目です。背中の右横の部分が痛くて夜中に何度か目を覚ましました。 3月4日(土) 市の外郭団体「西神開発」I岡氏とペアを組んで被災家屋再調査へ。僕が教職出身だと言うと、I岡氏も自分の経歴を語ってくれた。 学校の管理員を10年勤めて、事務職への編入試験に合格し、今の職に移ったとのこと。裏口入学ですわ、と笑っていた。 調査は今までになく順調に進んだ。先日訪ねたときに会えなかった山王町のY田さんとはようやく出会えた。 罹災証明を見ると、昭和17年生まれとのこと。30代後半くらいに見えたが。家屋は彼女の祖父が隠居するときに建てたとのことで、寿命と言えるだろうが、かなり傷んでいた。全壊の判定を下す。 木曜日に約束をすっぽかしたお詫びとのことでケーキをもらう。I岡氏からは「

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    sufuretan 2021/03/04
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***46日目(3月3日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から46日目です。無性にラーメンべたくなりました。 3月3日(金) 公休。 無性にラーメンべたくなって、開店を15分ほど待って「ラーメン太郎」のネギチャーシューラーメンべる。 イメージです(^^; ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net よければtwitterものぞいてみてくださいね。山 (@keystoneforest) | Twitter イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)

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    sufuretan 2021/03/03
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***45日目(3月2日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から45日目です。 3月2日(木) 今日の被災家屋再調査のペアは、北区役所からの応援のT寺さん。去年採用とのことで、やたらと頭が固そうな印象。 山王町のY田さんの家(周りが土塀に囲まれた築50年くらいの古い家で解体申請が出されている)をなかなか全壊と認めようとしない。Y田さんとは昨日避難先に電話して話していた。4時頃にこちらに来てくださるとの約束だったが、40分程家の前で待ってもやってこない。区役所に問い合わせると、交通事情のため行けないかもしれないとの伝言。空しく帰る。不在の家に電話したりして残務整理に7時頃までかかる。 区役所の首脳部は応援職員のマナーについて憤慨している様子。日替わりでメンバーが代わるので、そのたびに仕事の内容を説明し直さないといけないし、わざわざ

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    sufuretan 2021/03/02
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***44日目(3月1日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から44日目です。 3月1日(水) 今日から新体制。20人くらい応援部隊が増強された。一応、僕も家屋再調査の経験者ということで、新メンバーとペアを組むことになる。1時間ほど説明があった後、Y口さん、F川さんと一緒に午前中2軒ほど回る。 午後からはF川さんと湊川10丁目から氷室町、山王町まで歩く。F川さんは北区役所所属で、北区でも再調査をしていたとのこと。そのせいか、仕事は早く進んだ。ほぼ順調にこなして6時頃帰宅。しばらく遠ざかっていたパソコン通信で因幡さんにメールを書く。 #山        M*I00*04 95/03/01 20:55 題名:応援、ご苦労様でした。 東灘には行っていないので、様子はよく判りませんが、 高速道路が倒れたほどで、 かなりひどい被害だとい

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    sufuretan 2021/03/01
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***43日目(2月28日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から43日目です。2週間遅れのバレンタインチョコをもらいました。 2月28日(火) 久しぶりに南蛮美術館(※当時の来の職場)に出勤する。決済の山をこなす。書類の横に何か置いてあった。袋を開けてみるとバレンタインのチョコだった。アルバイトの女性3人からの分が入っていた。 昼は近くの喫茶店でカレーべる。長らくべてないので、今日は絶対にカレーべようと思っていたのだ。 午後からは久しぶりに業の方の打ち合わせ。広報誌の原稿のことで神戸大学のM上先生と会わないといけない。区役所応援の仕事をK芝先生と交代してもらうことになった。区役所では明日から編成替えになるので、様子をみて来週くらいに交代することにする。 来年度の予算がほとんどカットされてしまったので、アルバイトの

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    sufuretan 2021/02/28
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***42日目(2月27日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から42日目です。おばちゃんと気の合う日。 2月27日(月) 今日は、F井さん(※庁職員)と被災家屋再調査のペアを組む。午前中は僕が主になり、午後からはF井さんが主になる。F井さんはどちらかというと口ベタな方なのか、横で話を聞いていると少し焦れったくなるほどだ。ま、その辺りはお互い様かも知れないが。 午後の1軒目に会下山町2丁目の家を尋ねたが、すぐに証明書が欲しいということでF井さんが一度区役所まで戻る。その間、おばちゃんの話し相手を務める。結構話しが盛り上がる。 最後に再調査した氷室町1丁目の駄菓子屋さんのおばちゃんとも話が盛り上がる。13歳の時、疎開先の長崎で彼女は原爆も体験したんだそうだ。 母が久しぶりに帰宅する。いろいろ話し込む。今日はおばちゃんと気の合う日だ

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    sufuretan 2021/02/27
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***41日目(2月26日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から41日目です。 2月26日(日) 「自治労」の応援は今日はなし。いきなりペアがなくなってしまった。上からの指示もないので、ペアのいない同士で、庁からの応援職員・I井さんと組んで被災家屋の再調査に午前中回る。いわゆる「できる」人だ。少し話しただけでもそれが察せられた。判定に納得しない人への説得の巧みだったこと。こっそりため息をつく。 午後からは一人で回る。途端に気が緩んでしまう。1軒目で便乗組を扱った疲れと、雨が降り始めたせいと。トイレにいきたかったから、一旦帰宅する。ちょっとサボってしまう。気を取り直してまた外に出たが、難しそうな家はパスしてしまった。やはり一人ではだめだ。午前中、I井さんと7軒まわったのに、午後は便乗組も含めて5軒しか行けなかった。 夜はM田氏(

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    sufuretan 2021/02/26
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***40日目(2月25日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から40日目です。頭が割れそうに痛みました。 2月25日(土) 姫路からやってきた「自治労」の応援職員とペアを組んで被災家屋の再調査に回る。五十歳前後でベテランの方なのだが、一日限りの応援ということでどちらかと言えば第三者的な態度。判定の意見を求めるとシビアな答えを返してくださるが、説得するのは僕。まぁ仕方のないことだけど。半壊判定にまでは至らないことを住人の方に説明して、でも、粘りに粘られ、ついに押し切られてしまった家もあった。 夕方になり、頭がガンガンしてきた。もう4時半を過ぎていたのではっきり言って終わりにしたかったが、ペアの人はもう少し行こうと言う。勘弁して欲しかった。 帰りに夕を買うより先に薬局に寄り頭痛薬を買う。頭が割れそうに痛かった。7時過ぎには布団に入

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    sufuretan 2021/02/25
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***38日目(2月23日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から38日目です。 2月23日(木) 今日からM川さん(※庁からの応援職員)に代わり、以前一緒だったS谷氏(※庁からの応援職員)が来る。庁から派遣された他の職員とは少し雰囲気が違う人だ。いわゆる「お役人」ぽくない。口数が少ないだけ信頼できる気がする。 午前1軒、午後7軒回る。無口だという先入観があったのだが、話題を提供すると堰を切ったようにしゃべり始める。それが専門らしく、人口統計、仮設住宅のことなどなかなか鋭い。判定の甘さも見逃さない。区役所に戻った後も、なかなか帰ってこないK上氏(※庁からの応援職員)を待って6時過ぎまで二人で話をする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net よければtwitterものぞいてみてくだ

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    sufuretan 2021/02/23
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***35日目(2月20日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から35日目です。 2月20日(月) 今日から、被災家屋再調査のペアが代わる。3日前から応援に来ていた庁職員・M川さんと一緒になる。たびたび相手が変わるので、自己紹介などあれこれ話をする気にあまりなれない。それでも会話がないとぎこちないので、時々何かしゃべりながら中道通(※兵庫区)辺りを午前中まわる。午後は湊川周辺。いつもより早く仕事が終わって区役所に戻って来るが、書類をまとめるのに手間取って遅くなってしまった。 ラーメンが無性にべたくなって、夕ラーメン屋でとることにする。でも、せっかく入った店のメニューは、しょうゆラーメンとライスしかない。地震直後だからしかたないか。 相変わらずノドが痛い。 中道通7丁目 南北道路の東を望む(1995年1月19日) 写真提供;

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    sufuretan 2021/02/20
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***34日目(2月19日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から34日目です。ようやく家の前まで水道が復旧しました。 2月19日(日) 朝、入口の路地に水道工事の人が3人来ていた。道路に出てみると秋田市水道局の車が止まっていた。 帰宅すると、隣のアパートに住むおじさんが事情を説明してくれた。 家の前までは水道を復旧したが、家の中のどこかで漏水しているようなので給水はできない、とのこと。これから先は水道屋さんに連絡して個人的に修理して欲しいとのことだった。とりあえず、路地の入り口に共同で使う臨時の蛇口が取り付けられた。これでもう水で心配する必要はなさそう。 昼頃、区役所にM田氏(※職場の同僚)より電話があった。ちょっとのどが痛く風邪気味なので、来週の日曜日に新神戸で待ち合わせることになった。地下鉄は16日から復旧している。 夕方6

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    sufuretan 2021/02/19
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***32日目(2月17日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から32日目です。 2月17日(金) あの日から一カ月経った。 久しぶりの公休。ダイエーで買い物をする。 ※前日の2月16日、神戸市営地下鉄西神(新長田~西神中央間)・山手線(新神戸~新長田間)は全線で運転を再開しました。山手線は大きな被害を受け、当初は年内の復旧が困難視されていました。 ところが、一日でも早い運転再開のために、復旧のための工事を終電と翌日の始発との間の時間を利用して行いながら運転を再開することにしたのです。被害の大きかった新長田、上沢、三宮の3駅は通過することになりました。これで、震災翌日の1月18日から運転を再開していた相互直通先の北神急行電鉄北神線(新神戸~谷上間)と合わせて、西神中央~谷上間での全線運転が実施されることとなりました。 徐行しなが

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    sufuretan 2021/02/17
  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***31日目(2月16日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から31日目です。神戸市営地下鉄が全線運転を再開しました。 2月16日(木) N村先生(※前任校の同僚、先輩、西区在住)に近況報告を兼ねて電話する。日曜日にお邪魔する約束をする。地下鉄が復旧した。 ※「あの朝はまだ寝てた。ドッシャーンと大きな音がしてガタガタガタって揺れたから、てっきり玄関にトラックか何かが飛び込んできたんや、そう思って飛び起きた」 N村先生はあの地震の朝の揺れをこんなふうに話されていました。N村先生のご自宅は地下鉄沿線(地下鉄と言っても、神戸市営地下鉄が地下を走っているのは神戸の都心部だけで、郊外では地上を走っています)に当時開発されたばかりの西神南(せいしんみなみ)ニュータウンにありました。このニュータウンの街びらきは1993年3月です。ですので、N

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    sufuretan 2021/02/16