【(承前)前篇はこちら】 実は1991年の入社当時のことはあまり覚えていません。ショックのあまり記憶を失ってしまったということでもなく、編集長の今岡清氏に「君は線が細そうだけどだいじょうぶ〜」と評された私は(ちなみに今岡さんに最初に推薦されたのはルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』)、実質的な編集長であったA氏と、いまはF社でご活躍のT氏の厳しい指導を受け、しかも一日一冊の翻訳SF読書を自らに課す日々で、とても落ち込んでいる余裕などなかったというのが本当のところでしょう。最初の日本SF大会「i-con」のスパリゾートで刻まれた凄絶な孤独感など、SFについてはさまざまな場所で語っていますので、ここでは割愛します(ひとつだけ、同期入社の予定だった某評論家氏の入社が叶っていたら、私はFT文庫編集部配属だったらしいですよ)。 さて当時の早川書房といえば、『ホーキング、宇宙を語る』100万部突破、原