晴明の系譜は不詳だが、中級貴族の大膳大夫・安倍益材(あべのますき)[3][4]の子と伝わっている。 各種史書では『竹取物語』にもその名が登場する右大臣阿倍御主人の子孫とある[3][5]。一部の古文書では安倍朝臣晴明ではなく安倍宿禰晴明と記載されるものも散見していることから、安倍朝臣姓の家系である阿倍御主人の子孫ではなく、安倍宿禰姓の家系である難波氏(難波吉士、のち忌寸、宿禰)の末裔説もある。[要出典] 延喜21年(921年)に生まれたとされる[注釈 2]。生地については生誕地を参照。 幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。 必死の人一倍の努力を重ねた賀茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽道宗家となる[6]。 天暦2年(948年)大舎人[要出典]。 天徳4年(960年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を