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2020年9月14日のブックマーク (11件)

  • ネタバレツイートへの訴訟宣言をしたキン肉マンの最新話が更新。ネタバレどころか普通の感想すら呟かれなくなる異常事態に

    まこ @mako_0722 どうなったかな……と思ったら「第321話」だけがトレンド入りしていて想像を超えた展開だった。みんな題名も言いたくなくなってしまった pic.twitter.com/pKNuhmRgX2 2020-09-14 05:13:09 れぐみん🐹 @Legumin_P キン肉マン。第321話がトレンド入りしたものの、肝心のタイトルは載らず。ネタバレの苦言が過剰な認識になり、感想すらつぶやかれなくなり、誰も望まない世界になった。来は盛り上がってたはずなのに残念。作者の意向に従う人も多かっただろうに、訴訟の話は様子見してからでもよかったのでは。 2020-09-14 00:49:29

    ネタバレツイートへの訴訟宣言をしたキン肉マンの最新話が更新。ネタバレどころか普通の感想すら呟かれなくなる異常事態に
  • 「女性芸能人の政界進出はヌードより恥ずかしい」に膝を打ったという記事に「この記事と書いた記者の方が恥ずかしいだろ」の声。

    今回の話題はこれ↓ 「「22年の参院選で共産党は目玉候補として、小泉今日子(54)を出馬させるという話が永田町に流れているんです。実際、ツイッターで小泉は安倍政権批判を繰り返し、5月末には共産党の機関紙『しんぶん赤旗』で劇作家の渡辺えりと対談。1面にデカデカと登場しています」 ただ「過去の人」とはいえ、一世を風靡した元アイドルなので、反響もそれなり。ツイッターでは、こんな声を見かけた。 「うちはキョンキョン世代ですけど、共産党から出馬はさすがに引くわ… 天地真理のヌードくらい引く…」 これには思わず、膝を打ったものだ。たしかに、女性芸能人の政界進出にはヌードに似た恥ずかしさがある。いや、ヌードがまだ芸能活動の一環であるのに対し、政治については完全に素人なのだから、恥ずかしさもそれ以上だろう。 もちろん、現時点で出馬が決まっているわけではないが、小泉がこのところ左傾化しているのは事実だ。ネッ

    「女性芸能人の政界進出はヌードより恥ずかしい」に膝を打ったという記事に「この記事と書いた記者の方が恥ずかしいだろ」の声。
  • 女にワイングラスより重たいものを持たせてはいけない! ~ 日本人の食事マナーを批判する

    NYの会議通訳者が教える英語 @NYCenglessons パスタスープは音を立てないでべること。パンは一口大にちぎってからバターをつけること。英語圏で事に行く場合、絶対に必要な条件です。この場合、「男だから」とかは関係ありません。続く。 2015-07-07 10:45:30 NYの会議通訳者が教える英語 @NYCenglessons 続き。しかしワインを一注文した場合、忙しくてウェイターが来なかったら、甲斐甲斐しくお酌をするのは男性の役目です。これは「男だから」で、日男児がどんなに不服でも、日の外では男ってそういうものなんです。女性にはグラスより重い物を持たせてはなりません。 2015-07-07 10:50:34

    女にワイングラスより重たいものを持たせてはいけない! ~ 日本人の食事マナーを批判する
  • 人種は存在しない…のか? - 道徳的動物日記

    gendai.ismedia.jp 上記の記事は3ヶ月前のものだ。ブコメは現時点で30ほどしか付いていないが、わたしを含めて、違和感を表明しているコメントが多い。 特に違和感があるのは、やはり、「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」というタイトルだろう。ここには、ある種の文系の"学問"や"社会学"に独特なレトリックと、市井の感覚との乖離が見出せる。今回は上記の記事を直接批判したり反論したりするわけではないが、このタイトルが象徴するような、"社会学的"なレトリックや議論に対してわたしたちが感じる違和感について、ちょっと書いてみたい。 人種の問題に限らず、ある種の社会学(あるいは、ある種の「哲学」や「思想」)では、"わたしたちが「自然」であったり「普通」であると思っている物事は社会的に構築されている"、ということが強調される場合が多い。 そして、多くの場合には、その社会的構築の背景には"レ

    人種は存在しない…のか? - 道徳的動物日記
  • ディズニーの『ムーラン』に対する愛と悲しみ

    ディズニー長編アニメで何が好き? と問われたら挙げるくらいに『ムーラン』(1998年)が好きだった。 『ムーラン』は中国の伝承をもとにした話だ。老いた父に代わり男装して従軍し武功を立てるも地位は断り故郷に戻る。最も古いのは詩と言われ、民謡、戯曲、小説の題材になっている。 時代によってどこに力を入れて語られるかは変わってくる。女で軍功を立てる力強さを描くのか、家族への孝行を尊ぶものなのか、国への奉仕を宣伝するものか。 ディズニーでのアニメ映画化にあたっては女性の自己実現という方向で物語はまとめられている。 主人公のムーランは、女は家でおしとやかにしているべきという風潮になじめない。老いた父を助けるため男装して代わりに従軍することになるが男ほどの力はない。しかし彼女自身の強みである知恵と機転を武器に自分を信じ、自分らしいあり方、誇りを見つけるのだ。 挿入歌『リフレクション』が名曲だ。映画のわり

    ディズニーの『ムーラン』に対する愛と悲しみ
  • 俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり..

    俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。 タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います) うん、銀英伝のファンのあい

    俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり..
  • アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん

    前回のブログ記事の最後に、ドラマ『カルテット』のパセリの話題を引用して、アニメ業界は他のエンタメ業界に比べてパセリに注目するような土壌がほぼないと書きました。パセリだとなくてもいいとなっちゃうかもしれないので、ラーメン業界に例えると、味のバリエーションが少なく、各店舗による違いがあまりないという寂しい状況にアニメ業界はなってきていると危惧します。散文になってしまいますが、アニメ業界と他業界の違いを中心にアニメの現状を考えていきたいと思います。 映画業界の場合、様々な映画祭があり、キネマ旬報や映画秘宝(廃刊してしまいましたが…)などの批評雑誌の存在もあって、興行だけでは計れない指標があり、一定程度の多様性や新人育成の機会が保たれていると思います。片渕さんへのインタビューへの反応として映画賞に対して否定的な意見もありましたが、賞が全てではないにしろ、海外含めたコンペなどで注目をされることの効果

    アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん
  • アニメ評論はなぜ「無いように見える」のか? アニメ雑誌と評論の歩み――アニメ評論家・藤津亮太インタビュー

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています アニメ関連の記事を眺めていると、新作情報やクリエイターインタビュー、メイキングなどはちまたにあふれているのに、「評論やレビューはあまり見かけない気がする」――そう疑問に思ったことはないだろうか。 SNSでは感想ツイートが日々飛び交い、配信全盛となった現在でも放送時刻の前後にはTwitterトレンドがアニメ関連ワードに染まるのも珍しくない。作品を自分とは違う(あるいは同じ)角度で論じた情報へのニーズは確かに存在するのに、なぜ評論記事は「少ない」のだろうか? そんな疑問を解消すべく、ねとらぼでは3月21日に「なぜ商業媒体で“アニメ批評”は難しいのか?」をテーマにした特集記事を掲載。メディア各社へのアンケートを実施し、回答のあった5媒体の意見を紹介した。ところが意外にも、各編集部からはいずれも(温度感の違いはあるものの)「作りにくい実感は

    アニメ評論はなぜ「無いように見える」のか? アニメ雑誌と評論の歩み――アニメ評論家・藤津亮太インタビュー
  • メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology

    来年度の卒論指導に向けて、今年度の反省や感想を簡単にまとめておこうと思う。今年感じたのは、 アニメやマンガなどを批評する卒論は難しそうだということである。なぜか流行歌の研究は比較的うまくいっているような気がするし、アニメや漫画ゲームなどにしても、必ず失敗することを運命づけられているというわけではないだろうが、これまでの卒論の例を見る限り、失敗率が高そうな気がする。印象論で言うと、失敗率が高い理由は3つ考えられる。 まず、深く考えず安易にメディア批評を選ぶ学生が多いこと。メディア現象は身近な社会現象だろうし、メディア批評の中には面白いものもある。学生がこういったテーマに魅力を感じるのはよく理解できるのだが、読んで面白いからといって自分が面白いものをかけるとは限らない。メディア批評の論文が『社会学評論』や『ソシオロジ』のような主要な社会学雑誌に載ることはまれだと思うが、それはメディア批評をオ

    メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology
  • 社会学よどこへ行く|ぽんこむ

    正直なところ、社会学という学問については辞書的な知識しかありません。特に学んだことも、専門書を読み込んだわけでもありません。しかし「社会学者」なる人達がメディアで珍妙なことを吹聴していたことは存じておりました。 然るにSNS時代となって、「社会学者」なる人達が、陰に日向に珍妙な思想集団を支援し、言わばその裏書きというかケツ持ちとなっていることに違和感を覚えました。社会学が、人権や民主主義思想の至らない実社会に対して、それらに依拠した「社会のカイゼン」を提言しようとしていることは想像に難くないのですが、どうにも一部「社会学者」の提言に依拠して社会に手を加えようと叫んでいる集団が、人権や民主主義に依拠しているとは思いがたい、もっと言えばそれらを理解しているとすら思いがたい振る舞いをし、また「社会学者」達もそれを掣肘するそぶりも感じられません。 既に何度か述べていますが、ポリティカルコレクトネス

    社会学よどこへ行く|ぽんこむ
  • 批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。 だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。 レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..